扉の城で 2
あれから、どれほどの死を経験しただろうか。
空腹も感じず肉体も老いず疲労とも無縁のこの空間内で、時の流れを感じさせてくれるのは、遥か彼方に聳える砂時計の塔と、この世界唯一の足場である足元の巨大時計の針くらいなものだ。
まあどっちも執事の攻撃が激しすぎて見ている余裕なんてなかったのだが。
即死しない部分への攻撃による幻痛と、即死による幻痛リセット。
この二つの飴と鞭の絶妙な使い分けに俺はまんまと誘導され、何度も何度も死んで、その度に少しずつ執事の動きを覚え、身体の動かし方を学んだ。
そしていつしか俺は執事の攻撃を回避できるようになっていた。
少しずつ反撃の手数も増え、それでもやっぱり動きの粗を突かれたり、フェイントをかけられたりして何度も死にながら、あの恐ろしく強い執事と表面上はこうして互角に打ち合えている。
最初、一方的にぶっ殺されるだけだった時と比べれば、人類が月面に降り立ったくらいの進歩である。
殴る、往なされる。
蹴る、躱される。
顔面狙いの拳、躱して掴む。
往なされ反撃、躱す。
流れるような打撃の応酬。互いの呼吸がピタリと合った攻防の中で、俺は奇妙な一体感を感じていた。
俺と撃ち合う執事の表情から察するに、多分彼もこの一体感を感じているに違いない。
と、急に自分の身体のキレが格段に増した。
この稽古の中で俺が纏うオーラの色は薄い青からどんどん濃く、深い色へと変化してきたが、ここに来てとうとう真っ黒になった。
多分、これがオーラの最終形態なのだろう。
急に動きの良くなった俺に驚く執事。
そこに生まれた僅かな隙を突いて、俺の拳が執事の鼻っ面を強かに打ち据えた!
「────お見事です」
「お……終わったぁ…………」
一つの試練を乗り越えた達成感と、ようやく終わったという安堵感から、身体の力が抜けてしまい、その場に大の字でへたり込む。
も、もう駄目。一歩も動けねぇ。身体は何ともないけど、精神的にクタクタだ。
「……いやはや。まさかこれほどの短期間でここまで成長してみせるとは。これはお客様への評価を改めなくてはなりませんな」
「は、ははは……。あなたの教え方が丁寧だったからですよ」
ええそりゃあもう丁寧に丁寧に、一回ずつまごころ込めてぶち殺してくれましたね。
「おお、そういえば私とした事が、まだ名前を名乗っておりませんでしたな。私、臥龍院尊様にお仕えする、執事の逢魔隆時と申します。以後、お見知りおきを」
「あ、これはご丁寧にどうも。犬飼晃弘っす。……って、あれだけ殴りあった仲なのに今更自己紹介ってのも変な感じですね」
「ははは、それもそうですな」
自然と和やかな空気が漂う。
なんだか妙な絆みたいなものを感じちゃうな。夕日に染まる河原を舞台に、不良同士が殴り合って友情を深める、みたいな?
これが恋愛シミュレーションなら間違いなく次のイベントが発生するくらいには好感度が上がった気がする。
……ジジイの好感度上げてどうすんだ。誰得だよ。
「しかし私も久々の若い才能を前に、ついつい熱が入ってしまいました。よくここまでついて来られましたな」
あ、やっぱり?
攻撃が回避できるようになったあたりから、普通に俺が復活した隙を突いて攻撃してくるようになったから、そんなような気はしてた。
「いやぁ、余計な事考えるの止めたら案外あっという間でしたよ」
だって、余計な事考えてたら殴られて死ぬほど痛いんだもの。
実際、何万回と死んだわけだけど。
「確かに凄まじい集中力でしたな。圧倒的に格上である私の攻撃にも折れる事無く、愚直に喰らいつき学び取ろうとするあのひたむきな眼差し……。この少年は一体どこまで伸びるのだろうと私、年甲斐もなくワクワクしてしまいましたぞ」
「あはは、まあ確かに、すごくいい笑顔でしたよ」
「いやはやなんともお恥ずかしい。随分とお疲れのご様子ですし、ちょうど手元に疲れに効くよい茶葉がありますのでティーブレイクといたしましょう」
逢魔さんが指をバチンッと鳴らすと、どこからともなくその場にティーセット一式と、テーブルと椅子が現れる。
なんとか自力で立ち上がり、逢魔さんに椅子を引いてもらいそこに座ると、彼は慣れた手つきでお茶を淹れてくれた。
華やかでいて、ハーブのような爽やかな香り。とても心が落ち着く。
「……どうぞ。星読み草とマンドレイク、ほか数種類の霊草ハーブブレンドに御座います」
またえらくファンタジーなものを出されてしまった。
とはいえ、香りはとても良いし、彼が変なモノを出すとも思えない。有難くいただくとしよう。
香りを楽しみつつ、軽く口に含む。
「…………ほぅ…………」
これは……いいものだ。
全身になんだかよく分からない薬効成分が染み渡り、傷つき疲れ切った心が癒されていく。
それと同時に、身体の奥底から熱いものが込み上げてきて、元気が漲ってくる。
「お気に召していただけたようですな。こちらのクッキーにジャムを乗せて一緒に召し上がられると、さらにお楽しみいただけるかと」
いつの間にかテーブルの上にクッキーの乗ったオシャレな皿と、ジャムの瓶が現れていた。至れり尽くせりかよ。
おすすめ通りに、クッキーにジャムを乗せて頬張る。
うっま! なんやこれうっま! サックサクやぞ! ジャムも甘さと酸味のバランスが絶妙だ。
そして再びお茶を一口。はぁ……生き返る。
【レベルが 一〇 上がった】
お茶とクッキーを心ゆくまで堪能したら、何故かレベルまでもりっと上がった。
最初に霊草のブレンドって言ってたし、なんか霊的なパゥワーがたっぷり詰まってたんだろうな。
「ふむ? またもや急に霊力が上がりましたな。犬飼様は何か特殊な体質でもお持ちで?」
「あー、まあ、体質と言えばそうなるのかな。霊力って普通は上がらないもんなんですか?」
「私の知る限りでは霊力を上げる方法は二つあります。一つは修業によって少しづつ高めていく方法。そしてもう一つは神霊や悪魔などの依代となりその力を借り受ける方法。ただし後者はあくまで外付けによる強化ですので、自らの基礎霊力を上げるとなれば前者しかありません」
そうか……。俺って変なやつだったんだな。なんかちょっとショック。
「とはいえ、世の中にはそれらの常識に当てはまらない者も割とおりますので、それほど気に悩む必要はないかと」
「あっ、そうなんですか」
「はい。ご主人様などはその最たる例かと。ご主人様のご友人にもそういった特殊な人物は多いので、犬飼様が特別変だという事はありませんからご安心ください」
それはそれでちょっとがっかりな気もしないでもない。
俺だけチートで最強だなんて、思い上がりも甚だしいって事だな。
「お茶とクッキー、ご馳走様でした。美味しかったです。今日は体術の稽古までつけてもらって、本当にありがとうございました」
「いえいえこちらこそ。久々に楽しい一時を過ごさせていただきました。そろそろお帰りになられますか?」
「はい。流石にもうクタクタで……」
紅茶を飲んでリフレッシュしたからもう一度! なんて言われる前にとっとと退散します。
もう当分死ぬのは懲り懲りだ。
「ははは、少々指導に熱が入り過ぎてしまいましたな。お詫びにこちらをお持ち帰りください」
と、逢魔さんがポケットから薄紫色の液体の入った小瓶を取り出す。
「先程のお茶にも使用した幾つかの霊草より香りを抽出した、アロマオイルです。入浴の際に湯船に一滴垂らせばとてもリラックスできますので、よければお使いください」
「ありがとうございます。今晩早速使ってみます」
お土産まで貰ってしまって、本当に至れり尽くせりだったな。
なんだか随分と長い事滞在していたような気がするけど、そういえば現実の滞在時間は殆ど経ってないんだっけ。
やっぱりこの部屋チートだわ。……宿題片付けるのに今後ちょくちょく使わせてもらおうっと。
「お帰りの際は玖番のダイアルです。犬飼様が一度通った事のあるドアならばどこへでも繋がりますので、どうぞご活用くださいませ」
「わかりました。今日は色々と良くして頂いて、本当にありがとうございました。臥龍院さんにも、お忙しい中ありがとうございましたとお伝えください」
「承りました。またいつでもいらしてください。それと、もし更なる強さを求めるのであれば、私に一声かけて下されば、今日の続きを教えて差し上げましょう」
ドアを開ける前に逢魔さんにもう一度お礼を言ってから、ダイアルを『玖』番に合わせ、先程ぶっ壊した屋敷の門をイメージして鍵を使う。
ドアを開けると、そこはすっかり殺風景になった元幽霊屋敷跡だった。
すげぇ……マジでどこでもドアじゃん。
「あっ!? そういや自転車!」
そういえばあの駄メイドに自転車を預けたままだったことを思い出し、慌てて自転車を探しに行く。
自転車は屋敷に来た時に停めた場所にそのままの状態で置いてあった。
よく見ると自転車の籠にメモ用紙が入れられていた。
『毎日使うものならちゃんと修理くらいしなさい!』
「な、なんだよアイツ。まさか俺の自転車修理してくれたのか?」
確かに中学の時から使ってる俺の愛車は、ぱっと見、買った当初の輝きを取り戻している。
念のためスタンドを立てたままペダルを空回しして、ブレーキの効きも確かめてみたが、変な音もしなくなっていた。
そればかりか、完全に壊れていた変速ギアも直っていて、すこぶる調子が良い。
「……マジで完璧に直ってるな」
しかし、メモ用紙をよくよく見ると、裏にまだ何か書いてあった。
『壊すしか能のないぽっと出のアンタとは違って、私はご主人様の信頼篤い優秀なメイドですもの。ちょっとご主人様に気に入られたからっていい気にならない事ね』
いちいち口の減らねぇ女だな!
でもまあ仕事に対する丁寧さだけは認めてやらんでもない。
実際、自転車の仕上がりは完璧だしな。
もし今度顔を合わせた時に素直に謝ってくるなら、その時はこの自転車に免じて許してやらなくもない。
貰った鍵を使い廃墟の門から自宅のガレージへと移動して、ピカピカになった自転車を仕舞う。
今日は色々とあり過ぎて疲れた。何万回も死んだんだから、疲れていて当然か。
でも不思議と怖くは無かったんだよな。滅茶苦茶痛かったけど。……俺ってMなのかしら?
いや、別に気持ちよくはなってないからMではないか。大体、執事の爺さんに性癖開発されても全然嬉しくない。
せめてボンテージファッションの臥龍院さんなら……いや、それはそれで後戻りできなくなりそうだな。
そんなしょーもない事をぼんやりと考えながらフラフラと家に上がり、自分の部屋まで戻ると、俺はそのままベッドに身を投げ出して、五秒とかからず深い眠りへと落ちた。