兄と弟
作戦は単純明快。
晃弘の身体が出てくるまで巨神の身体をひたすら削って、削って、削りまくるのみ!
「疾ィッ!!!!」
老執事の大太刀が閃き、大河のように太い九頭龍の首が同時に千切れ飛んだ。
一拍遅れて黄金の血が吹き出し、ダムが決壊したと見紛うほどの勢いで血の大瀑布が地上へ降り注ぐ。
本体から切り離された龍の首と流れ出た血が喪服の女主人の呪縛から解き放たれ、それぞれ独立した怪物となって老執事たちに襲いかかった。
「ああ、宗助。ごめんなさい。でももう我慢できないの!」
龍が放った光の弾幕をバレルロールで回避した吸血鬼が、口の端から涎をこぼしながら龍の頭に取り付き牙を突き立てる。
その表情は恋する乙女のようでありながら、獲物を前にした肉食獣のように凶悪だ。
不死なる怪物の牙が龍の鱗を貫き、肉を裂き、神の血が間欠泉のように吹き上がる。
月の光を浴びてキラキラと大地に降り注ぐ血の雨を浴びるように飲み干すと、吸血鬼の肉体が高校生くらいの少女から、魔性の色香溢れる妙齢の美女へと変化していく。
吸血鬼の象徴たる牙が闇に溶けて消え、彼女の背面にその神威を示すがごとく、禍々しい赫黒の光輪が大きく広がり、真紅の瞳が夜天の下でギラリと煌めいた。
晃弘が飲ませた混沌の塊と荒ぶる巨神の血を取り込み、吸血鬼エカテリーナ・ツェペシュは今ここに闇の神租として覚醒したのだ。
「ああ……。最っ高……♡」
湧き上がる力に酔いしれ、恍惚の笑みを浮かべたエカテリーナが血に濡れた唇を指先でそっと撫でる。
すると空を真紅の紋章が埋め尽くし、そこからあふれ出した闇が残りの龍の首に次々と喰らいついて、バリゴリとえげつない音を立ててあっという間に飲み込んでしまった。
「オレとおっちゃんで道を切り開く! デカイの頼むぞタッツン!」
「任されました!」
「行くぞッ! 黒天封牢!」
万高が呪符をばら撒き、右と左でそれぞれ別の印を同時に組む。
すると神の血から湧き出た不定形の怪物たちを囲うように、万高の手を離れた呪符が環状に高速回転を始める。
輪の中央に小さな黒点が生じ、怪物たちを圧縮しながら飲み込みすり潰していく。
赤い大鬼に変身した雅也が呪符の輪の外を飛び回り、怪物たちを輪の中へ大斧で次々と叩き込んでいった。
怪物たちを黒点があらかた吸い尽くすと、回転していた呪符が黒点を押し固めるようにベタベタ張り付つて野球ボールほどの玉になり、
「いーたーだーきーますっ!」
それを雅也が一口で噛み砕いて飲み込んだ。
すると雅也の腹が「ボグンッ!」と大きく跳ね、全身を覆う甲殻が黄金の輝きを帯びていく……!
長い尾とより鋭い爪牙が生えて、重戦車のようだった身体付きがネコ科の肉食獣のようにしなやかなフォルムへ変化した。
「んー、あんまり美味いもんじゃねぇな」
「さあ道は開いたぞ!」
「うおおおおおお!!!! 行きますよ、グレートタイザンオー!」
まさか二度も使うことになるとは思っていなかった巨大ロボを操り、辰巳が巨神目掛けて突撃する。
超断罪剣エンマの一刀が巨神を袈裟懸けに切り裂き、巨神の上半身が大きくズレて、光り輝く心臓が顕になった。
「そこだぁぁぁぁぁぁ!!!!」
晃弘の腕らしきものが心臓の鼓動に合わせて飲み込まれていく。
それを見逃さなかった麗羅は、神の心臓目掛けて一直線に突っ込んだ。
直後、傷口がボコボコと膨れ上がり、飛び込んだ麗羅を巻き込み再生すると、暴れていた巨神の血がドロドロと腐り始め、周囲を不気味な静寂が満たした。
☆
気がつくと俺は誰もいない学校の教室にいた。
一瞬俺の高校かと思ったが教室の雰囲気が微妙に違う。
いつの間にか学ラン着てるし腕も二本に戻ってやがるしで何が何やらって感じだ。
廊下に出てみるが、やはり誰もいない。
地獄のように紅い夕焼けが窓から差し込んで不気味な陰影を廊下に落とし込んでいる。
窓から外を見ると、校舎の裏に数人の生徒たちが屯していた。
あの制服どこかで見たような……
あ、思い出した。宗介の学校の制服だアレ。
なんだか数人で一人を囲んで嫌な感じだし、止めに入った方がいいだろうか。
「やめとけ。何をやっても無駄だ」
「宗介!? テメェいつの間に!」
窓枠に足をかけて飛び出そうとすると制服姿の宗介に止められる。
体格も大人から俺と同い年くらいまで小さくなっていた。
「これは俺の記憶だ。所詮すべては過去の幻影。過ぎた過去は変えられない」
なんて言ってる間にも囲まれていた生徒へのリンチが始まってしまった。
クソッ、見てるだけで何もできないなんて胸糞悪いな。
景色がぐにゃりと歪み、場面が切り替わる。
「どうせこれで最後だ。俺が視てきた世界をお前に見せてやる」
気付けば俺は学校の屋上にいた。
落下防止用のフェンスの向こうには、今にも飛び降りそうな生徒が一人。
先程リンチされていた少年だった。
「待っ!?」
かけようとした声は届かず、少年は飛び降りた。
白昼の校舎が悲鳴に包まれる。
学校全体に不安と恐怖、そして野次馬たちの下卑た好奇心が伝播していくのが肌を通じて伝わってきた。
「どうして助けなかったんだよ!? お前なら助けられただろ!?」
「どうして助ける必要がある? アイツは常に復讐の機会を伺って頭の中で殺人計画まで立ててた精神異常者だぞ」
眼下のパニックを他人事のように見下ろし、宗助が無感動に言った。
すると飛び降りた少年の血の臭いにつられて『良くないモノ』たちが影から顔を出し、少年の魂を暗がりへと引きずり込んでいく。
「見ろよ。あいつに殺された動物たちの霊だ。復讐の機会を伺ってるのは知ってたし、いつも視界の隅にチラついて鬱陶しかったからスッキリしたぜ」
宗助の記憶を辿り、場面が次々と移り変わっていく。
そこには常に人々の醜い本音と、白々しい笑顔があった。
人は皆、腹の底に醜いものを抱えていて、建前と綺麗事でそれを包み隠して生きている。
宗介から見た世界の姿はあまりにも醜悪で、大人も子供も皆等しく嫌気が差すほど幼稚だった。
また別の日の記憶。
一年の女子が自宅で練炭自殺したという暗い噂で持ちきりの廊下を歩き、宗助の独白は続く。
「あの子は自分を暴行してた体育教師だけが唯一の居場所だったのさ。ストックホルム症候群ってやつだな。家庭環境も悪かった」
結局、体育教師の悪事は宗助の手により暴かれ、その教師は警察に捕まった。
「で、居場所を失った彼女は死を選んだ」
宗介に好意を向けてくる相手は沢山いた。
中には体育教師が目を付けていた生徒もいて、今回死んだ子も中学の頃宗助と一番長く付き合っていた元カノだった。
「昔さ、あの子に世界で一番愛してるって言われたんだ。裏表のない、心からの言葉だった。だからもしかしたらって思ったけど、結局人間なんてこんなもんさ」
宗介がいつも違う女の子を連れていたのも、相手の好意を見極め、裏表のない人間もいると証明したかったからなのかもしれない。
だが結局、宗助の求めるものは見つからなかった。
諸行無常。人の心は移り変わり、善にも悪にもなる。
「そろそろ時間だな。さあ、お前の答えを聞かせてくれよ、晃弘」