すれ違う親子 交錯する焔
麗羅が消息を断ったのは今から四年前。
小学校の修学旅行に行ったきり、誰の記憶からも忽然と消え失せた。
「あの時は自分の正気を疑ったぞ。学校の先生はおろか、一緒に旅行を楽しんでいたはずの級友たちも、実の母親すらお前のことをたった一晩のうちに忘れてしまったのだからな」
「……っ」
胸の奥にチクリと痛みを覚え、麗羅が結界から僅かに遠ざかる。
大切なものを守るため、己を犠牲にして戦ったあの日の記憶が麗羅の脳裏に蘇る。
事の発端は、解体中の廃ビルの地下に封印されていた大悪霊が復活したことだった。
悪霊は恨みのあった一族の屋敷を目指したが、屋敷はすでに遊園地に変わり果てており、恨むべき相手の一族も長い時の中ですでに絶えてしまっていた。
そして恨む相手を失った悪霊は、その怒りの矛先をたまたま修学旅行でその遊園地に遊びに来ていた子どもたちへと向けた。
惣流院家の長女として陰陽術を幼い頃より叩き込まれていた麗羅は悪霊の存在にいち早く気付き、悪霊を滅するべく戦いを挑み……負けた。
完膚なきまでに打ちのめされ、目の前で幼馴染の少年たちが殺されそうになったその時。
麗羅の耳元で悪魔が囁いた。
『すべてを救う力を望むなら、お前の最も大切なものを差し出せ。そうすればお前にあの悪霊を滅ぼす力を授けよう』
そして麗羅は契約を結び、強大な力の代償として人々の記憶の中から姿を消した。
あの日の選択は正しかったと麗羅は思っている。
あの時、自分に声をかけてきた悪魔と契約しなければクラスメイトたちは守れなかったし、復活した大悪霊を倒すこともできなかっただろう。
それでも、その選択を後悔しなかった日はない。
人々の中にある自分を消し去り、温かな居場所を自ら切り捨てた、愚かで勇気あるその選択を。
「でも、どうして……? 悪魔の契約は絶対のはずなのに」
「ふんっ、我が身に宿る鬼神の守護に死角なぞないわ」
「ま、まさかあの日からずっと式神と同化してたの!? 無茶よそんなの! できるはずが……」
「大事な娘を忘れずに済むならこれくらいどうということはない」
式神と同化して絶大な力を得る秘術『神化転身』は、互いの霊力の波長をピタリと合わせる正確なコントロール能力が必要とされる。
僅かにでも集中が途切れて霊力の波長が乱れればその力は大きく半減してしまう。
神化転身の平均発動時間はおおよそ一分。長くても三分までが限界とされている。
それを四年もの間、一度も集中を切らすことなく維持し続けるのがどれほど凄まじいかは語るまでもないだろう。
あの日以降、麗羅はこの世界に最初から存在しなかったことになった。
万高がどれだけ声高に叫んでも、誰もが口を揃えて「そんな娘はいない」と言い、ならばと娘の写真を見せようとアルバムをひっくり返せば写真には不自然な空白があるのみ。
麗羅の存在は文字・映像問わず、あらゆる記録からも消え失せていた。
これほど大掛かりな現実改変ができるのは、最上位の悪魔『魔王』くらいなものだ。
名前も知らぬ魔王なぞに娘との思い出を取られてなるものか。
その一心が万高を奮い立たせ、今日まで続く奇跡を成し遂げたのである。
「お前が消えてから、儂は惣流院の総力を上げてお前を探させた。そして土御門の本家に、あの臥龍院尊が連れてきた子供が養子として迎えられたという情報を掴んだ」
臥龍院尊。
この星の霊的守護者であり、世界各地のあらゆる地域や時代に姿と名前を変えて登場し、時代を作った英雄に知恵を授けた謎多き存在。
日本においてはかの安倍晴明に呪術を教えた師であると伝えられており、そのため、臥龍院は晴明を祖とする土御門家に絶大な影響力を持っている。
そんな臥龍院が連れてきた経歴不明の子供。
その子供が行方不明の娘と同じ名前であることは調べればすぐに判明した。
「儂は土御門に娘を返して欲しいと手紙を送り、本家にも何度も顔を出した。だが奴らは知らぬ存ぜぬばかりで、まるで取り合おうともしてくれなかった」
自分の知らない間に父が会いに来てくれていたことを知り、麗羅は驚きのあまり絶句した。
確かに戸籍を手に入れるため土御門の養子にはなったが、本家に顔を出したのは最初に挨拶に行った一度きりのみ。
普段は扉の城でメイドとして生活していたため気づけるはずもなかった。
「ならばと儂は臥龍院に直接頼み込むことにした。だが臥龍院はこういったのだ。いまさら元の居場所に戻したところで麗羅の幸せはそこにあるのかとな……」
臥龍院からそう問われ、万高はハッとした。
母親も、友人も、誰も彼も自分のことを覚えていない。そんな場所に娘を連れ戻しても、あの子が苦しむだけではないか。
今まで自分が娘を取り返すことだけに執着して、肝心の娘の幸せについて考えていなかった事実に気付かされ、万高は娘に何もしてやれない己の不甲斐なさを嘆いた。
「儂は何をすべきか分からなくなった。そんなときだ、奴が儂の前に現れたのは」
宗介との出会いは本当に唐突だった。
ある日突然屋敷に押しかけてきて、惣流院の秘術をよこせと脅してきたのだ。
襲い掛かる惣流院の術師たちをものともせず、歴代最強とまで謳われた万高すらも片手間にねじ伏せた宗助は、床に這う万高に己の計画を語って聞かせた。
宗助の語る計画はあまりにも荒唐無稽で、正義もなにもないメチャクチャなものだった。
『俺の目的はこの退屈な世界をぶっ壊すことだ。けど、ぶっ壊した後の世界を誰がどうしようと知ったこっちゃねぇ。麗羅ちゃんのために一肌脱いでみる気はないか? なぁ、お父さん?』
宗助は言った。
俺の弟は麗羅の幼馴染で、麗羅のことは俺も知っていると。
そして、数ヵ月に及ぶ修業により魂の格が上がったことで、今まで忘れていた記憶が急に蘇ったとも。
その言葉に、万高は一筋の希望を見出した。
「彼奴めがこの地上に混沌をもたらそうと言うなら、儂が全人類を神化させ世界に新たな秩序を築こう。人々を妖魔怪異の呪縛から解き放ち、人類を新たなステージへ引き上げるのだ!」
すべては居場所を失ってしまった娘のため。
一度結んでしまった悪魔との契約は誰にも、どうすることもできない。
例え悪魔を滅ぼしても、契約は残り続ける。
悪魔の契約が人々から娘の存在を忘れさせているなら、全人類を悪魔の契約の対象外にしてしまえばいい。
「さあ、おいで麗羅。儂と共に世界を作り変えよう。またあの幸せな日々を取り戻そう」
結界が揺らぎ二人を隔てていた見えない壁が消え、父が娘に手を差し伸べる。
「……っ、ふざけんなっ!」
だが、麗羅は歯を食いしばり、差し伸べられた手を叩き退けた。
目尻に涙を浮かべ、父の顔を睨み返し娘が吼える。
「私がいつそんなこと頼んだのよ!? 勝手に私の幸せを決めつけないで! ……これ以上私から何も奪わないでよ!」
「違う! 悪魔に奪われたものを取り返すのだ! また家族で暮らしたくはないのか!?」
「……っ」
何度も夢に見た。
あの事件が起こらなかったら続いていたであろう、他愛のない日常を。
だが、それでも。
「……ダメよ、そんなの。私のワガママに世界を巻き込むなんて、そんなの、私が私を許せなくなる」
己の居場所を捨ててでも護りたいものがあった。
それは麗羅にとって傷であると同時に、何にも代えがたい誇りでもある。
もう覚えていないはずなのに、それでもまた友達になろうと言ってくれた彼らのためにも。
「だから、私があなたを止めるわ。お父さん……!」
麗羅が構えた札に火が付いて、白と黒、2対の炎が尾を引き彼女の周囲を駆け巡る。
麗羅の姿がウェイトレスメイドから九尾の巫女へと変化していく。
その瞳にすでに迷いはなかった。
「親の心子知らず、か。……まったく、いつの間にそんなに大きくなってしまったんだ?」
万高がどこか寂しげな笑みを浮かべ、自らの意思を示した娘と向かい合う。
きっと、ここで娘の意思を尊重してやることこそが、親としては正しい姿なのだろう。
それでも、それでもだ。
娘の幸せを思えばこそ、親として絶対に譲れないときもある。
まさに今がそれだった。
「儂にも父としての意地がある! お前が儂を止めると言うなら、今ここで儂を越えてみせろッ!!!!」
万高の全身から青い炎が噴き出し、荒ぶる鬼神へと姿を変えた。
炎と炎。燃え盛る親子の意思が今ここに激突する────!
ネタを挟む余地がない……だと……ッ!?(吐血)




