ここはオレに任せて先に行け! って言えるカッコイイ大人になりたかったな
鍾乳石が怪物の牙のように連なる洞窟内を、ふわふわと漂う人魂の光がぼんやりと照らしている。
すると突然、虚空に穴が「グオン!」と開いて、そこから麗羅たちが「ぽいっ!」と放り出された。
辰巳と雅也が着地に失敗して地面に転がっていく様子を横目に、華麗に着地を決めた麗羅が周囲の様子を窺う。
「人魂が実体化してるわ。霊気も異様に濃いし、間違いなく奥になにかあるわね」
「あれ、臥龍院さんと逢魔さんは?」
「つーかここどこだよ。さっきまでベッドのある部屋にいたはずだろ」
「ご主人様たちはあのバカを押さえ込んでるわ。だから匣は私たちで取り返さなきゃいけない」
手の中に握らされていたメモを読み事情を把握した麗羅が二人に簡潔に状況を伝える。
普段晃弘のトラブル体質に振り回されている二人はそれだけですぐさま意識を切り替えた。
ようはいつも通り大人を頼れない状況というわけだ。まったくツイてない。
「ダメでしょう? 子供がこんなとこに来ちゃ」
洞窟の暗がりで無数の赤い眼光が一斉に目を開き、コウモリが一ヶ所に寄り集まり美しい女の姿へと変わる。
血のように赤く輝く瞳と、生気を感じぬ青白い肌。夜空の月を思わせる黄金の髪。
「今すごくいいトコなの。もうすぐこの世界が変わる。私の夢が叶うのよ」
怖気すら感じるほどの美貌。
知名度、多彩な能力、不死性、すべてにおいてあらゆる怪異の頂点に君臨する怪異の中の怪異。吸血鬼。
彼女の目的はただ一つ。日光を克服し、吸血を必要としない完全な存在へと神化すること。
愛する人と共に生きるため、彼女は世界を破壊する。
芝居がかった仕草で両手を広げ、妖艶な笑みを浮かべた生ける伝説が少年少女たちに牙を剥く。
「人の恋路を邪魔する悪い子は、こわーいお姉さんが食べちゃうわよ?」
刹那、三人の足元から獣の咢を模した影が「ぐぱんッ!」と立ち上がり、三人の身体を丸ごと飲み込んでしまう。
「うぉらああああああ!!!!」
影の檻が内側から弾け、巨大な赤鬼に変身した雅也の恐るべき怪力で投げられ一気に加速した麗羅と辰巳が吸血鬼の頭上を飛び越えていく。
「ここはオレに任せて先に行けェ────ッ!!!!」
「っ!? 逃がさないわ!」
暗がりから狼の頭を模した影が首をもたげ、飛び去る二人を食い殺さんと蛇のように首を伸ばして襲い掛かる。
「させるかぁ!」
雅也が自身の身の丈ほどもある大斧を「ガオンッ!」と振り回せば、距離を無視した斬撃が狼たちの首をバラバラに消し飛ばす。
その隙に二人は空中で加速して、洞窟の奥へと飛び去って行った。
「ふぅん、ちょっとはやるみたいね」
「へへっ、一度言ってみたかったんだこのセリフ」
斧を肩に担ぎ雅也が不敵に笑う。
「仲間のために自ら犠牲になろうとするなんて、健気なのね」
「犠牲になるつもりなんてねぇよ。アンタを倒してオレも前に進むからな」
「あら、自信家なのね。好きよ、そういう子」
「悪いけど化物もビッチも好みじゃねぇな。オレは腹筋の割れた女の子が好きなんだよッ!」
雅也が斧を横薙ぎに振り払う。
斧が生み出した風圧が洞窟の壁に反射してミキサーのような乱気流が発生し、周囲を漂っていた人魂諸共吸血鬼の肢体が血煙に変わる。
あたりを照らしていた人魂が消え、洞窟内に闇が満ちる。
「なんだ、こんなもんなの」
「っ!?」
背後からの愛の言葉でも囁くような甘い声。
吹き飛んだ血肉がグジュグジュと音を立てて再生してゆき、白く細い腕が太い首に回される。
途端に雅也の身体が金縛りにあったように動かなくなった。
「本当に全身カチカチなのね。牙通るかしら」
まるで殻の付いた大きな海老をどう食べてやろうかくらいの気楽さで。
首元を覆う甲殻に指を這わせて、吸血鬼が甲殻の隙間に指をねじ込み。
「えいっ♪」
「ぐああああああああッ!?」
強引に甲殻が引き剥がされ、赤い血潮が噴水のように噴き出した。
「い た だ き ま ぁ す ♡」
鋭い牙が首筋に突き刺さる。
吸血鬼がごくんっ、ごくんっ、と白い喉を鳴らすたび、雅也の体内から命の源が、血と霊力がみるみる失われていく。
「うぷっ……結構濃厚ねキミの霊力。身体も大きいし、クドくて一度じゃ吸いきれないわ」
吸血鬼が妊婦のように膨れた腹をさすりながら口元に付いた血を拭い、苦しそうに「ふぅ」と息を吐いた。
再び洞窟の奥からふよふよと漂ってきた人魂の光が闇を追い払う。
大量の血と霊力を吸い取られ、力尽きて無様に地に伏す雅也の姿がぼんやりと闇の中に浮かび上がる。
変身して巨大化していた体積は通常時の三分の一程度にまで小さくなっていた。
「でも、久々にガッツリ吸えて満足したわ。残りはもったいないけど眷属たちのエサにしちゃいましょう」
吸血鬼が手を軽く二回叩いて闇の眷属たちを呼び寄せる。
雅也の周囲で影がゾワゾワと踊り、影から首を出した漆黒の狼たちが赤鬼の甲殻に鋭い牙を突き立て噛み砕いていく。
「ギャウン!?」
聞こえるはずのない同胞の悲鳴に、眷属たちの動きが止まる。
続けて残りの眷属たちの断末魔が聞こえ、ぐちゃぐちゃと肉を食む咀嚼音が暗闇に響く。
「カハァァァァァァ────……ッ」
ものの数秒で眷属たちを残さず食い終えた雅也が熱を帯びた吐息を吐きながら、よろよろと覚束ない足取りで立ち上がる。
割れた甲殻を纏い、全身からは未だ血がだくだくと流れ出ている。
逞しかった肉体は最早見る影もないほどやせ細り、まるで幽鬼のようであった。
大きく横に裂けた口の端からダラダラと涎を垂らし、空腹に爛々《らんらん》と輝く灼熱の瞳が「ギロリ」と吸血鬼の方を向く。
「キィャハァァァァ────ッッ!!!!」
「!?」
刹那、吸血鬼の左腕が弾け飛び、血飛沫が舞った。
失った腕を再生させ吸血鬼が振り返れば、そこには千切れた腕を丸飲みにする餓鬼の姿があった。
餓鬼の全身の出血が止まり、割れていた甲殻が再生する。
「ニィ……!」と餓鬼が牙を剥き挑発的な笑みを浮かべる。
食らった相手の能力を取り入れ強くなる。吸血鬼とは別系統の捕食者としての能力。
吸血鬼は己が絶対的な捕食者の立場から、食うか食われるかの対等な立場にまで引きずり降ろされたことを悟った。
「人の恋路を邪魔して嗤うなんて、生意気な糞餓鬼ね」
吸血鬼の背中から巨大なコウモリの羽が生え、美しい肢体が木の葉のようにふわりと宙に浮かび上がる。
血のように赤い瞳を輝かせ、美しくも悍ましい怪異の王はどこまでも不遜に、どこまでも上から目線で、その真の名を告げた。
「我はすべての怪異の頂点にしてあらゆる吸血鬼の真祖。死山血河の頂に君臨する死の女王、エカテリーナ・ツェペシュである! 頭が高いぞ人間。首を垂れろ!」
ごく一部の怪異は、あえて自ら名乗ることで相手に自身の存在をより印象付け、力を増す。
怪異の力の源は人々の恐れ(畏れ)だ。
相手が恐れれば恐れるほど怪異は強くなり、逆にまったく怖がらない相手には本来の力を発揮できなくなる。
「あぁ!? ンなもん知るかボケェ―ッ!」
「なぁっ!?」
だが、この場面に限って言えばエカテリーナの判断は最悪に近い悪手だった。
言霊の呪縛を一切ものともせず、瞬間移動じみた速さで空中へ飛び上がった雅也の牙がエカテリーナの片翼を食いちぎる。
これが吸血鬼伝承をより深く知るヴァンパイアハンターなどであれば、この手は最適解だっただろう。
だが漫画に出てくる程度の知識しか持ってない男子高校生に、吸血鬼の元ネタとも言われる串刺しヴラド公を匂わせる名前を名乗ったところで「誰それ?」程度の感想しか抱かない。
ついでに言えば雅也は世界史が大の苦手だった。
ワラキア公国なんて言われても、どこのファンタジー漫画の国ですかくらいにしか思わないし、なんなら実際の地図で説明しても理解する前に多分寝落ちする。
怪異を相手にするなら小賢しい中二病よりも単純バカの方が相性がいいのだ。
翼を失い地に落ちるエカテリーナと、新たに翼を得た赤鬼。
今ここに吸血鬼と人間、食う者と食われる者の関係は完全に逆転した。
「くっ! あなたもうちょっと勉強しなさいよ! 学生でしょう!?」
「勉強は嫌いだ! 特に世界史! あんなもの覚える意味が分からん! 世の中筋肉さえあれば大抵のことはなんとかなるんだから学校なんて体育だけでいいのに!」
「知らないわよ! あーもう、これだからバカって嫌いだわ!」
「URIIIIII!!!! プロテインが足りねぇぞぉぉぉ!」
ウホウホとドラミングする筋肉バカと、若干キャラがブレ始めた吸血鬼。
二人の不毛な戦いはまだまだ終わらない!
カッコよく名乗ったのに相手がおバカさんでネタが通用しなかったよ。恥ずかしいね☆
もしこれが熟練のヴァンパイアハンターとかなら「なッ!? まさかあの●●の!?」みたいな感じで勝手に脳内で妄想膨らませて怖がってくれるのでパワーアップできた