そのとき歴史が動いた
ティンピク王国王妃ディルダは激怒していた。
それというのも、エルフ国から留学してきた姫に夫と息子を寝取られたからであり、ついでに大臣も骨抜きにされて国の機密情報が漏洩してしまったからだ。
「このメス豚! よくも我が夫と息子を!」
「あぁんっ♡ もっと虐めてくだしゃい王妃しゃまぁ♡」
「むきぃぃぃぃっ! なんで鞭打たれて喜ぶのよ!? 頭おかしいんじゃないの!?」
「え、だってたかが百年程度しか生きられない人間が私にこんなにも強い感情を向けてくれるんですよ? 嬉しいに決まってるじゃないですか」
「急に真顔になるのやめろ! その上位種気取りの上から目線が気に入らないって言ってるのよ!!!! 妾より年上のババアのくせしてピチピチの肌しやがって畜生! ギロチンの刃さえ通っていればお前なんてとっくに処刑していたものを!」
「あぁ……っ、人間ってなんて可愛いのかしら♡ 私のためにこんなにもムキになって……♡」
「コイツ……ッ! いつか絶対ぶっ殺してやる!」
「ふふふ、無理ですよぉ♡ 弱くて脆い人類用の処刑道具なんかじゃエルフ王族の私は殺せませーん♡」
「むっきぃぃぃぃぃッ!!!!」
怒り狂った王妃は姫を拷問にかけた。
口に出すのも憚られるほどの責苦の数々に姫は心を壊され……などということもなく。
元々イカれた性癖の持ち主だった姫は、それまで秘密にされてきたエルフ国への行き方をあっさりと白状した。
エルフの国は古代より大森林のどこかにあると言われていたが、今まで人類がそこへ到達できたという記録は一つもない。
なにせエルフの住む大森林は総面積だけで一光年もあるのだ。
闇雲に彷徨っていてはエルフの国にたどり着く前に人間の寿命が尽きてしまう。
だが、姫の口からエルフ国への秘密の抜け道があっさり明かされ、先遣隊の働きによりその情報は真実であると判明した。
すると王妃の怒りは何をやっても殺せないエルフの姫ではなく、エルフ国そのものへと向けられた。
「……ふんっ、まあいいわ。お前が殺せないというなら、お前の国の民たちに責任を取ってもらうだけよ」
「どうぞご自由に。一度滅んでみるのもまた一興。きっと皆楽しんでくれるに違いありませんわ」
そう切り返した姫の瞳は、まるでこの世の深淵を覗いたかのように暗く濁っていた。
「……っ。エルフとは皆お前のようなのか? 命が惜しくはないのか」
「あなたも五万年ほど生きてみれば分かるかもしれませんわね。王妃さま」
かくして王妃主導の下エルフ征伐軍は組織され、邪悪なエルフ殲滅のために動き出したのである。
◇
征伐軍が大森林まで目前に迫る中、辰巳は召喚の間の魔法陣の上にどっかりと座り込んでいた。
辰巳の周囲には過去と現在の映像が幾つも浮かんでいる。
「……ふぅン。こういう経緯だったんですねぇ」
フェアリーたちの舌足らずな説明では要領を得なかった部分を実際の映像で補完した辰巳がつまらなそうに頬杖をつく。
「ほうしゅう、まえばらいしたんだから、ちゃんとはたらいてよね」
「任せてくださいよ」
フェアリーたちに勇者として召喚された辰巳は、彼らの望みを聞いてやる代わりに、報酬としてこの世界に存在するありとあらゆる魔法・科学技術の情報を前払いで要求した。
「前払いじゃないと帰ります」などと脅されてはフェアリーたちも応じないわけにはいかず、辰巳はまんまと異世界のテクノロジーを手に入れた。
そしてその技術の集大成とも言える装置が今、彼の手の中にある。
「さて、そろそろ頃合いですかね。ポチッとな」
大森林へ向かう長蛇の列の先頭が森の外縁に到達したところで、辰巳は手元のスイッチを押した。
すると大森林全体を包み込むように空間が一瞬だけ歪む。
「……? なにをしたの?」
「大森林を閉ざしました。これでもう外から誰も入れませんし、中からも出られません。ほら」
と、辰巳が目の前に一光年先の映像を表示させる。
『な、なんだ!? 森に入ったと思ったら森から出たぞ!?』
『どうなってるんだ!?』
兵士たちは慌てふためき、他の場所はどうかと横一列に並んで森に入ろうとするが、やはり入れない。
ならばと森に火をつけようとするが、森に対する攻撃はすべて森の反対側へすり抜けていくばかりで、まるで効果がなかった。
「クククッ、アレを解けるのは僕だけです。その内彼らも諦めて帰るでしょう」
「なんかおもってたのとちがーう」
「ちーとぱわーでじぇのさいどするかと」
「物騒なこと言うんじゃありません! 無用な血は流さない主義なんです。さて、そろそろですかね」
辰巳の身体が徐々に透明になってゆく。
歴史を変えたことで晃弘が剣に封印された未来が変わり、辰巳が異世界に召喚された事実も消えたからだ。
「ばいばいゆーしゃさま」
「おねがいきいてくれてありがとう」
「またねー」
「もう呼ばないでくださいよ」
フェアリーたちから得た異世界テクノロジーの情報は、歴史改変の影響を受けない機械仕掛けの時空神に保存してある。
期せずして得た値千金の知識の数々に思わずにやけそうになる顔を必死で堪え、辰巳がフェアリーたちに手を振り返す。
────と、次の瞬間。
「…………は?」
白く輝く大渦から、高さの違う円柱が天に向かってそびえ立っている。
突如として異様な空間に放り出され、ぽかんと口を開けて固まる辰巳に、遥か高みから声をかける者がいた。
「にっしっし。おめでとうタッツン。これでお前も人外の仲間入りだ」
「ちょっと何言ってるか分かんないですね」
下から数えて三番目。
ちゃっかり超越者としての格があがった晃弘が、不敵に笑ってこちらを見下ろしていた。
◇
「おいどういうことだ説明しろ! なんでアタシとお前の位置が入れ替わってんだよ!?」
何が何だか分からないとでも言いたげにこちらを見上げる黄金騎士。
そのさらに下には新たに座に加わったタッツンがぽかんと口を開けて間抜け面を晒している。
「なに、ちょっとした裏技ってやつさ」
「裏技だぁ?」
「過去を改変してエルフ男の魔王化を止めたら、奴が掌握してた霊的エネルギーはどこへ流れ込むと思う」
「……っ! まさかテメェ!?」
タッツンを超越者にするためにちょいと利用させていただきました。
世界の歴史を丸ごと書き換えたんだ。そりゃ魂の格も上がるってもんだろうよ。
それでタッツンが超越者に成れば、タッツンを使って歴史を書き換えさせた俺の神としての格も上がろうというもの。
地獄フクロウの能力でタッツンの運命を操作するにあたり、俺は剣の配役に収まらなきゃいけなかったが、結果的にすべてうまくいったのでオールオッケーだ。
「タッツンも上手いこと動いてくれて助かったぜ」
「……つまり最初から全部ヒロの掌の上だったというわけですか。とりあえず一発殴らせろこの野郎!」
「やなこった。ちゃんと報酬は渡しただろ?」
ネタバラシすると、フェアリーたちは俺が魔法で生み出した眷属たちだ。
だからぽっちゃり駄女神が人間にしか渡していないはずの勇者召喚の儀式を知り得たし、あの世界のあらゆる魔法と科学技術の知識をタッツンに授けられた。
タッツンの能力は今後の戦いで必要になる。
残された時間と各々の素養から考えて、超越者にできるのはあと二人か三人といったところだろう。
可能な限り戦力を増やしつつ、上手く立ち回って俺自身の格をいかに効率よく上げられるか。
世界の命運はそこにかかっていると言っていいだろう。
「あははは。君、中々のフィクサーだね。臥龍院といい勝負だよ」
と、法衣姿の白髪ショタがカラカラと笑う。
「それじゃあ次は僕の世界で修行してきてもらおうかな。第四多元宇宙。純粋に力を求めて進化した超生物たちの楽園さ」
「ほう?」
「第四宇宙において信仰とは己の強さに対する絶対的な自信のこと。文明さえ生まれていない原始の世界で、君たちには一ヶ月の間サバイバル生活してもらうとしよう」
「え、ちょっと!? なんで僕も行くみたいな流れになってるんです!?」
「油断してると神格ごと食われて二度と復活できないから気をつけてね。じゃ、行ってらっしゃーい」
白髪ショタが蛇の手をユラユラ振ると、俺とタッツンの足元に大穴が開き、俺たちは謎の引力に引かれてどこまでも落ちていった。