第四の塔(裏) 夢現(ゆめうつつ)
昼休みはいつもみたくマサとタッツンの三人でバカ騒ぎして過ごし、午後の睡魔と戦っている内に放課後になった。
明晰夢にしては時間の流れ方が妙にリアルだ。
霊能力や神の権能もすっかり使えなくなっていた。
まるで長い夢から覚めたような感覚。
ある日突然霊能力に覚醒し、様々な戦いや経験を経て神へ至ったあの日々こそが夢で、今俺がいるこの場所こそが現実なのでは。
時間が経つほどにそんな思いが強くなっていく。漫画の読み過ぎで変な夢でも見ていたのかもしれない。
麗羅も陰陽術の大家の娘じゃなくて空手道場の娘だし、宗助も相変わらずヘラヘラ生きてる。
優芽と芽衣も座敷童じゃなくて最初から俺の妹だし、父ちゃんが異世界で勇者だったなんてトンチキな事実も多分ない。
どこまでも現実的な日常風景がそこにはあった。
「どうしたヒロ。部活行こうぜ」
「ああ、わりぃ」
「今日こそアレを完成させます。二人にも手伝ってもらいますからね」
「「うぃ~っす」」
俺はタッツンが部長を務める科学部に在籍している。
科学部とはいうものの実際に科学部らしい活動をしているのはタッツンだけで、俺とマサはなんとなくいるだけの数合わせ。
部活とは関係ないところで友人たちの問題を解決してやっていたら、いつしか噂が広まり部室にまで悩み相談の人が来るようになって、今の科学部は半ば学校の何でも屋みたいになっているが、それはさておき。
今日はタッツンが一年ほどかけてコツコツ制作していた燃料推進式ロケットをいよいよ完成させるらしい。
部室の第二理科室へ行くと三年生のベルダ先輩がいた。
「あれ、先輩がいるなんて珍しい」
「ああ、今日ロケットが完成すると聞いてな。私も少なからず手伝ったし完成を見届けようと思って」
ベルダ先輩はドイツ生まれのクォーターで親の都合で日本に来たが新しい環境に馴染めず喧嘩に明け暮れる荒れた日々を過ごしていた。
他校の不良に囲まれていたところを俺たちで助けて以来知り合いになり、今ではこうしてたまに部室に遊びにきてくれるようになった。
「先輩、今日は一段とヒラメ筋のハリがいいっすね!」
「だろう? マサヤも全体的に仕上がってきたな」
「あざっす!」
マサはベルダ先輩(の筋肉)に片思いの真っ最中で、彼女の隣に立っても恥ずかしくないマッチョになったら告白するのだと日々筋トレに励んでいる。
「こんにちわ~。遊びに来ました~」
「あ、涼葉さん。来てくれたんですね」
「私もいるわよ」
マサとベルダ先輩が筋肉談議に花を咲かせていると涼葉と麗羅がひょっこり部室に顔を出した。
涼葉は生徒会の副会長で、麗羅は生徒会長だ。
「なんだお前も来たのか。生徒会って意外と暇なんだな」
「なんだとはなによ、年中暇してるアンタたちと一緒にしないで! 今日はたまたま仕事がなかっただけなんだから」
「はいはい」
「そろそろロケットが完成すると聞いたので~、様子を見に来ました~」
涼葉は今年の春に転校してきた転校生で、家庭に大きな問題を抱えていた。
生徒会に入ったのも家にできるだけ帰りたくないという想いがあってのことで、日に日にやつれていく彼女を麗羅が見かねて俺たちに相談に来て、大人たちや行政も巻き込んで解決してやった。
以来折を見てはこうして部室に遊びに来てくれるようになり、野郎ばかりでむさくるしい我が部に花を添えてくれている。
タッツンに片思いしているようで何度もアプローチしているのだが、童貞のくせに頭だけはキレるタッツンにのらりくらりと躱されてしまいヤキモキしているようだ。
夢の中じゃあんなにスリムになってたのに、こっちじゃ胡散臭い微笑みぽっちゃりだ。あんな機械オタクのどこがいいんだか。
「じゃあ人手もあることですし、みんなに手伝ってもらいましょうかね」
集まった全員の手を借りてロケットの組み立てが始まった。
人手がある分作業も早く終わり、一時間ほどで全長三メートルほどのロケットが組み上がる。
「完成です!」
「おお、とうとう完成したんか」
様子を見に来た科学部顧問の九十九先生が完成したロケットを見て感嘆の声を上げる。
「一年がかりの大作やな。ホンマ大したもんや」
「先生がいなかったら形にすらなってなかったですよ。申請の方はどうですか」
「もう校長センセと役所には話ついとるで」
「流石仕事が早い。じゃあ打ち上げは明日にしましょう。天気予報も晴れですしね」
「ほんならワイの軽トラで海まで運んでそこで打ち上げやな」
九十九先生はいつもヘラヘラしていて一見不真面目そうに見えるが、仕事は早いし何より授業も面白いので生徒からの人気も高い。
各方面に謎のパイプがあるこの先生のおかげで俺たちはこれまで随分と好き勝手やらせてもらってきた。
「これの打ち上げが終わればいよいよ三年生は卒業やな」
今は二月の終わり。これが終わればいよいよベルダ先輩は卒業するし、俺たちは三年生になる。
どの高校に進学するかはまだ決めてないが、進路次第では今までのように遊んでばかりはいられなくなる。
思ったよりも作業が早く終わり時間が余ったので、完全下校時刻までみんなでトランプをやり、下校のチャイムに合わせて帰路につく。
「じゃ、また明日」
「はい~、また明日~」
校門の前で涼葉とベルダ先輩の二人と別れる。
しばらく行った交差点でタッツンと別れ、T字路でマサと別れ、とうとう麗羅と二人きりになった。
「こうやって二人で帰るのなんだか久しぶりね」
「そうか?」
言われてみればそんな気もする。
「アンタ、進路どうするか決めたの?」
「いや、まだだけど」
「アンタねぇ……。自分のことなんだからもうちょっと真面目に考えなさいよね」
「そういうお前はどこにするか決めたのかよ」
「夜鳥羽女学」
「はぁ!? お前お嬢様ってガラでもねぇだろ!」
「うっさい! いいじゃないあそこ制服可愛いんだもの!」
「お前も大概不真面目じゃねーか」
地元でも有名なお嬢様学校の名前を出されて、俺は急に隣を歩く麗羅が遠くに行ってしまったような寂しさを覚えた。
みんな未来へ向けて歩き出しているのに、俺だけ何も決めていない。足踏みしたままだ。
「つーか制服が可愛いっていうなら夜鳥羽第一だってそうだろ。あそこなら家からだって近いじゃん。なんでわざわざあんな山奥の辺鄙なトコに」
「今の私の成績なら十分に夜鳥羽女学だって狙えるもの。どうせなら上を目指したいじゃない」
ああ、そうだった。コイツはこういう奴だった。
根本的に負けず嫌いなのだ。だから人並み以上に努力するし、結果が出るまで諦めない。
俺みたいにその場のノリで生きてきたちゃらんぽらんとは違う。
「まだ時間はあるけど、アンタもそろそろちゃんと考えた方がいいわよ。じゃあね」
「あ……」
いつものY字路。麗羅の背中が遠ざかる。
「麗羅!」
なんとなく、ここが人生の分かれ道のような気がした。
このまま別れたら俺たちの道は二度と交わらない気がして、俺はとっさに麗羅を呼び止めていた。
「なに?」
変えるなら今しかない。
夢の中で得た経験が俺の背中を押した。
「麗羅」
「だからなによ」
「好きだ」
「へ…………? え、はぁ!?」
「今まで黙ってたけど、俺、やっぱお前のこと好きだ! お前と離れたくねぇって今気づいた!」
「ちょ!? やめてよこんなところで恥ずかしい!」
「うるせぇ! お前が女子校行くって言うなら明日からお前ん家の道場毎日通ってやる! いいか! ホントに毎日行くからな! 覚悟しとけ!」
「はぁっ!? なによそれ、あ! ちょっと!?」
言うだけ言って俺は麗羅に背を向け走り出した。
やべぇ何してんだ俺。
だけど不思議とそれまであった心のモヤモヤはスッキリ晴れていて、何かが大きく変わった手応えがあった。
月日は放たれた矢のように過ぎてゆく。
翌日のロケット打ち上げは高度六〇〇〇メートルまで上がったものの空中爆発。一年がかりの計画は無情にも失敗に終わった。
それから燃え尽きたようにやる気をなくしげっそりと痩せこけてしまったタッツンを涼葉が献身的に支え、いつしか二人は自然とくっついていた。
ベルダ先輩が進学した夜鳥羽第一高校を進路に定めたマサは筋肉と足りない脳みそに追い込みをかけ、無事試験を突破。
高校入学の翌日に先輩へ猛アタックをしかけ見事彼女のハートを射止めた。
俺も宣言通りあの日の翌日から麗羅の実家の道場に通い始め、大学を卒業する頃には強敵(麗羅の親父さん)にもようやく認めてもらえて、俺達は晴れて結婚した。
大学卒業後、俺は警察官になった。
どうせなら空手で鍛えた腕を活かせる職に就きたいというのもあったし、爺ちゃんみたいに皆から頼られる人になりたいというガキの頃からの夢もあってその道を選んだ。
子供は二人できた。
男の子と女の子が一人ずつ。
どちらも麗羅に似て美形で、あの麗羅から生まれてきたとは思えないほど素直ないい子たちに育ってくれた。
美人の嫁さんと可愛い子どもたちに囲まれた幸せな日々。
辛いことももちろんあるが、間違いなく今が幸せだと胸を張って言える。
『随分と幸せそうじゃん』
ある朝のこと。
洗面台で顔を洗っていると鏡の中から影が俺に声をかけてきた。
「……幻覚?」
『忘れちまったか? おれのこと』
鏡の中で黒い輪郭が墨汁のように溶け、形を変える。
黒いワームみたいなその姿に俺は見覚えがあった。
「かげ、とも……さん?」
『思い出したか』
中学時代に見ていた長い夢。
その中で俺は影の中に住む人造妖怪と仲良くなり魂の深い部分で繋がりあった。
『お前の現実はここじゃない。とっくに気づいてるんだろ』
「やめろ」
あの白昼夢から覚めてからというもの、時折自分の居場所がここではないどこか遠い場所にあるような、そんな違和感を感じることはあった。
けど、特別な力なんてない俺には移りゆく周囲の流れに置いていかれないよう走るだけで精一杯で。
『お前の戦いはまだ終わってない』
「嘘言うな。俺が守るべき現実はここにある」
市民の平和を守る犬のおまわりさん。それが今の俺で、かつての俺が選んだ未来だ。
麗羅と子供たちを捨ててどこかへなんて行けるはずがない。
『お前が逃げたら何もかも全部終わっちまうんだぞ! ヤツが目覚めたらこの世界だって唐突に全部消えて無くなっちまう! それでもいいのか!?』
「いつまでも中学生のガキじゃねぇんだ! 妄想も大概にしろ!」
思わず大きな声が出て、すぐにハッとした。
まだ子供たちが寝ているのになにをやってるんだ俺は。こんな幻覚相手に声を荒げて。疲れてるのか。
「どうしたのよ。朝から大声出して」
パジャマ姿の麗羅が欠伸を噛み殺し、鏡越しに心配そうな視線を俺に向ける。
「悪い、起こしたか」
「疲れてるんじゃないの。最近夜遅いし」
「かもな。さっきから幻聴がひどい」
『だから幻聴じゃねぇって! 無視すんなよおい!』
「今日は休んだら? 顔色悪いわよ」
「そういうわけにもいかねぇよ。大丈夫、明日は非番だし寝れば治る」
「そう? 無理そうなら医者行きなさいよね」
だが寝ても幻聴は治らず、むしろその日を境にどんどん酷くなっていった。
家でも、職場でも、街中でも。顔の映りこむ場所ならどこにでも影友さんは現れて俺にこう言うのだ。『お前の戦いはまだ終わってない。いい加減目を覚ませ』と。
『よぉブラザー、ひでぇ面だな』
「もううんざりだ」
その日も派出所のトイレの鏡に現れた影友さんは相も変わらず俺に呼びかけてくる。
今日で影友さんが現れて丁度一ヵ月。いよいよノイローゼになりそうだ。
「仮にだ。仮にお前の言うことが本当だったとして、俺にどうしろってんだ」
『簡単さ。おれに手を伸ばせ。そうすりゃいつでも戻れる』
「なら一生鏡の掃除はしねぇ。窓の拭き掃除もだ」
『なぁ、いい加減認めようぜ。もうおれも飽きてきちゃったよ』
「じゃあそのまま消えてくれ」
『ヤツの目覚めは近いぞ。あと半年もしない内に完全に覚醒しちまう。そうなったら何もかもおしまいだ』
「なんでそんなことがわかる」
『第四の塔のフクロウを食ったからな。ブラザーはフクロウの闇に囚われてこの夢の世界に落ちた。だからブラザー自身の意思で夢の世界と決別する必要がある。それでようやくフクロウの攻略は完了だ』
「……俺がこの世界から出たら、この世界はどうなる」
『そこはブラザーの気持ち次第だ。残したいと思うならそうすりゃいいし、夢だと割り切って消しちまうのもアリだ』
「なんでもありかよ」
『忘れたか? お前は限りなく全知全能に近い創造神だろ』
望めばなんでもできた、怖いもの知らずの子供だったあの頃。
ノリと勢いと青くさい正義感で突っ走って、周囲の人々の人生さえも変えてきた。
大人になった今となっては恥ずかしい限りだが、それでもあの頃の俺は世界を、誰かの人生を変えられるだけの勢いがあったのは間違いない。
日々の忙しさに忘れていたかつての記憶が走馬灯のように蘇る。
俺が失ったものの正体に気付きかけたそのとき、ふとスマホの通知音が鳴った。麗羅からのラインだ。
《仕事お疲れ様。今日は早めに帰ってきて。待ってるから》
なんだろうと思い日付を見て納得した。今日は俺の三〇歳の誕生日だ。
正直、あの頃なりたかった自分になれたかと聞かれたら答えはNOだ。
警察官は正義のヒーローじゃない。できることには限りがあるし、そのせいで諦めなければならなかったことも沢山ある。
それでも愛する家族のため俺なりに必死で頑張ってきた。
「……半年後には全部消えるのか」
『間違いなく』
「俺なら止められるんだな」
『おれはそう信じてる』
胸の内に微かに熱が灯る。
何が夢で何が現実かなんて今の俺には分からない。
だけど、麗羅と子供たちが消えてしまうのだけは絶対に認められないから。
《必ず帰る。子供たちと待っててくれ》
決意を込めて麗羅に返事を返し、俺は鏡に手を伸ばした。
「行こう。影友さん」
『ったく、世話の焼ける兄弟だぜ』
鏡の中から飛び出してきた黒いワームに飲み込まれ、俺の意識はブラックアウトした。
【個体名『影友さん』とのリンク再接続】
【個体名『監督』の吸収開始────完了】
【称号『神仙』の効果により■n■/y■@との接続が遮断されます】
【残留因子解析開始】
【解析率六〇% 解析データを元にスキル『夢現』を構築】
立ちくらみのような感覚の後、周囲を見渡せば色の反転した無人の荒野がどこまでも広がっていた。
俺が展開した隔離空間へと戻ってきたのだ。
「すまん影友さん。手間かけさせたな」
『甘い玉子焼き一〇皿でいいぜ』
「わかった。魔獣たちの件が片付いたら作ってやるよ」
『やった!』
先程まで見ていた夢を新たに得たスキルで現実に変え、並行世界の一部として固定化する。
こめかみに人指し指を当て、夢の世界で体験した人生の記憶をすべて頭から抜き出した俺は、指先に灯った光の珠に息を吹きかけ跡形もなく消し去った。
『いいのか? 記憶消しちまって』
「いいんだ。俺なりのケジメだからな」
俺はこの宇宙の創造神でありながら人としてこの世に生まれてきた。
宇宙誕生から無数に枝分かれしていたあらゆる並行世界は俺が創造神の称号を得たあの瞬間一本に収束して、そこから再び無数に枝分かれを始めている。
なのであの夢を並行世界の一つとして現実化させただけでは、警察官の犬飼晃弘も人ではなく神ということになってしまい、歴史の辻褄が合わなくなってしまう。
だから俺は『人として生きる道を選んだ犬飼晃弘という可能性』を自分から切り離す必要があった。
今は僅かに残っている記憶の残滓も時間と共に消え去るだろう。
そのときこそ彼は完全な人間に、俺自身も現人神から完全なる神へと性質が変化するはずだ。
どっちつかずの中途半端じゃ■n■/y■@には抗えない。
彼は人として生きる道を選び、大人になった。
なら俺は神として生きる道を選ぶ。
「────さて、次はお前かプリンちゃん」
白い霧の向こうに現れた巨大な影が酷い悪臭を伴いこちらへ近づいてくる。
成層圏を突き抜けるほどの巨体を構成しているのは、すべて人が捨てたゴミの山。
蠢き淀めくゴミの塊が大きく仰け反り高く高く遠吠えを響かせる。
すると霧が大地を満たし、魔獣たちの魂の波動に焼き尽くされた地上が逆再生のようにみるみる元の形を取り戻していく。
しかし再生はそこで終わらなかった。
人の手が加わったあらゆる加工物は加工される前の姿へ戻っていく。
気が付けば周囲には原始の森が広がり、俺の身体は猿になっていた。
うきゃーっ!?
原始犬
ゴミを喰らい成長し、あらゆるものを原始の状態へ戻す霧を吐き出す犬。
例:プラスチック→石油 人間→猿→さらに原始的な哺乳類
どれだけ巻き戻るかは食ったゴミの総量に比例し、地球上にあるゴミをすべて食った場合数千万年~数億年規模であらゆるものが進化の系譜を逆行して古代の状態へ戻る。