第三の塔 の前にちょっと一息
ハチャメチャなレースを制したシャオロンは最初の宣言どおりきっちり俺をぶん殴ってから街の復元を願った。
釈然としない思いを腹の底に押し込め、俺は馬っ娘に塔を地面の下へ埋めさせてから壊れた街を元よりも綺麗かつ頑丈に復元してやった。
「家も元より綺麗にしてもらいましたし、晃弘くんの汚ぇ花火も見れたので僕は帰りますね」
出口のワープゲートに飛び込んでいったシャオロンを見送り俺はがっくりと肩を落とした。なんかどっと疲れちゃったよ……。
「あ、今度香港に来たときは是非ウチの店にも顔出してくださいね!」
と、急に引き返してきたシャオロンが爽やか営業スマイルで劉龍飯店の永久割引券を投げ渡して今度こそ本当に帰っていった。
こういうことするから憎めないんだよなアイツ。
『ヒヒン、レース楽しかったです! またやりましょうね!』
「やるなら普通のレースな」
元の馬の姿に戻った馬っ娘が目を細めて俺に頭を摺り寄せてくる。
あんなレース二度とやらんぞ。
「じゃあ俺そろそろ行くわ。またいつか遊びに来るぜハチャメチャインパクト」
『ややっ!? それはもしや……!』
「お前の名前だ。次はおふざけなしでレースしような」
ハチャメチャインパクト。有名な馬を少しもじったけど我ながらコイツにぴったりな名前だと思う。
ハチャの首をそっと撫でてやると彼女の身体が白く輝きを放ち、俺との間に魂の経路が開いたのを感じた。
【レベルが 十五 あがった】
【称号『地獄の馬主』獲得】
『地獄の馬主』
地獄の馬に名前をつけて従えさせた者に贈られる称号
名付けた馬をいつでも呼び出せるようになる。
『わぁ、すごいです! 力が溢れてきます! ありがとうございます!』
「ふはは、かわいい奴め」
存分にハチャの艶々の毛並みを堪能した俺は惜しむハチャに見送られ第二の塔を後にしたのだった。
☆
「……自分で言っておいてなんですけど、こんなすぐに来るとは思ってなかったですよ」
「いやー、ははは。折角だしみんなで香港観光していこうかなって」
俺は第三の塔へ向かう前にシャオロンの実家『劉龍飯店』で学生組みんなで一緒に飯を食っていた。
「いざ九龍まで来てみれば全部終わってんだもん。ふざけんなって話だよな。ワンタン麺おかわり」
「まったくです。飯でも奢ってもらわなきゃ腹の虫も収まりませんよ。あ、僕もおかわり貰っていいですか」
マサとタッツンが文句を垂れつつも遠慮なく追加の料理を注文する。
こいつら遠慮って言葉を顔面に彫り込んでやろうか。これで五杯目だぞ。
ちなみにシャオロンもマサたちもそれぞれ自分の国の言葉で喋っているがお互い問題なく通じている。
俺が人類の霊性を進化させたことでまるで堰が外れたように人々は新たな能力を獲得しつつあった。言語の壁の消失もその一つだ。
世界は今、物理的にも霊的にも急速に変わりつつある。
せっかく世界中に塔が出現したのだし、この際だから観光がてら変わりゆく世界をこの目で直に見るのも悪くないだろう。
「シャオロンくん久しぶり。元気してた?」
「ええ、麗羅さんもお元気そうで何よりです。朝の一件で学校も休校になっちゃいましたし後で香港を案内しますよ」
レイラと挨拶を交わし厨房へ引き返していくシャオロンのうなじに小春が熱っぽい視線を送る。
「やっぱ間近で見るとすっごいイケメン……」
「小春? おーい」
俺が呼びかけても返事なし。
その視線は厨房で鉄鍋を振るうシャオロンに釘付けだ。
ぐぬぬ……!
「いい加減アンタも妹離れしなさいよ。シャオロン君なら安心できるでしょ」
レイラが大皿からきのこの炒めものを俺の皿によそいつつ苦笑する。
「あんなやつ、イケメンで料理もできて強くて気が利いて親孝行者な好青年ってだけじゃねーか!」
「これ以上ないくらい完璧じゃないの」
「んがぎぎががっ!」
おのれシャオロンめ! 小春に相応しいか後できっちり見定めてやる!
★
ロシア首都モスクワ。
千年近い歴史を誇るヨーロッパ最大級の都市は今、異様な空気に包まれていた。
巨塔がそびえ立つ赤の広場は聖十字教会の息のかかったロシア軍の部隊により閉鎖され、突如生えてきた尋常ならざる異物に市民たちが封鎖線の外から不安げな視線とスマホのカメラを向けている。
「ロシア正教の聖地もこうなっては形無しね。いい気味だわ」
封鎖線の内側、グム百貨店の屋根の上に立ち、すっかり景観の変わってしまった赤の広場を見渡してエカテリーナはどこか満足げに笑みを零す。
本来であれば聖ワシリイ大聖堂とクレムリンを一望できるはずの広場のほぼ中央に無遠慮にそびえ立つ巨塔は、人類文化、ひいては神に対する冒涜とも取れなくもない。
かつて神の敵対者の烙印を押され教会に追われていたエカテリーナにとっては実に愉快な光景だった。
「こういうもんと思えば案外馴染んどるように思うけどなぁ」
「あら、十年前は『この美しい広場をお前の墓標にしたるわ』とか言ってなかったかしら」
隣に立つ一二三がヘラヘラと笑い返すとエカテリーナは当時を思い返してニヤリと口の端を歪めた。
────赤の広場。
かつて一二三と相まみえた、二人にとっての因縁の地。
「ここでお前に負けとらんかったら今のワイはあらへんかった。これでも感謝しとるんやで?」
「やめてよ気色悪い。……それで、教会の動きは?」
「早速一部のアホどもがこれ幸いと動き出しよったわ。まあいつものこっちゃ」
聖十字教会は世界最大の退魔組織だ。
しかし教会も決して一枚岩ではなく、カトリック派やプロテスタント派、ロシア正教派など宗派ごとの対立や派閥争いは存在する。
実際、今回の事態を受け晃弘の存在を改めて危険視する声も大きくなり始めていた。
「形あるものは形を変えいつか必ず滅び去る。新しい世界の形についていけんくなったらそれこそ終わりやで」
「不死身の私への嫌味かしら」
「こんだけ現代に馴染んどいて何言うとんねん。あの夜の女王が今や学校の先生やろ? ちょっと前なら考えられへんわ」
「なりたくてなったわけじゃないわよ」
とは言いつつも今の仕事にやりがいを感じているのは間違いない。
が、それをわざわざ口に出してやるのはなんとなく癪だから、エカテリーナはそれ以上言葉を発することはなかった。
「お、扉開きよったで」
固く閉ざされていた巨塔の鉄扉が開いていく。
続いて二人のスマホに九龍に出現した塔が突如地中に姿を消し街が元通りになった緊急速報が飛び込んでくる。
予想以上に攻略のペースが早い。
第二の塔の攻略は仕事の都合で見送ったが、これはうかうかしていられないぞと二人はスマホの画面に目を落とし僅かに苦笑した。
「またえらい早かったなぁ。今度は誰が願い叶えてもらったんやろ」
「さあね。大事なのは自分がどうしたいかよ」
「せやな。ほんならワイもちゃちゃっと仕事片付けてくるわ」
スカジャンのポケットから手を出した一二三が十字を切ると彼の目の前の空間が『ガオンッ!』と裂け、先の見通せない真っ暗な穴に身を滑り込ませた。
空間の裂け目が閉じその場に一人残されたエカテリーナはようやく静かになったと息を吐き、屋根の上から飛び降りて音もなくふわりと広場へ着地する。
「……そう、重要なのは自分がどうしたいか。それだけよ」
胸の内に秘めた願いを握りしめ、エカテリーナは第三の塔へ挑む。
今度こそ譲れない願いを叶えるために────。
大人たちだけシリアス