父と息子
犬飼大輝。
夜鳥羽市内の消防署に勤務する消防隊長で、どんな大火災にも果敢に立ち向かい人々の命を救ってきた俺の自慢の父親だ。
性格はよく言えば大らか。悪く言えば大雑把。
細かいことは気にせずいつも笑顔を絶やさない人だから、部下や町の人たちの人望も厚い。
夫婦そろって思ったことをそのまま口にしてしまうのでよく母ちゃんと喧嘩になるが、自分の非はきちんと認める人なので夫婦仲はまあ悪くないと思う。
だが、そんな嘘のつけない父ちゃんにも大きな隠しごとがあった。
龍宮城から家の近所の稲荷神社へ転移してきた俺は、本殿の屋根の下で雨宿りしつつ、隣に座る父ちゃんが口を開くのを待っていた。
レイラには悪いが少し席を外してもらっている。
「……さて、どこから話そうか」
「最初から全部話せよ。そしたら俺も全部話すから」
ブラックの缶コーヒーを一口飲み一息ついて、父ちゃんは真面目くさった顔で静かに語り出す。
「父ちゃんな、勇者だったんだ」
「……はい?」
「ほら、最近スマホの広告でもよく見るだろ。異世界召喚とか転生とかってやつ。アレだ」
「いやまあそれは知ってるけど。……マジで言ってる?」
「あ、証拠は見せられないぞ。こっちに帰ってきた時に勇者の力は全部神様に返したからな。元々そう言う約束だったし」
見ようと思えばいつでも見れるし、そこは大して重要じゃない。
「……俺が高二の時だった。車に轢かれそうだった子供を突き飛ばしたと思ったら、そこはもう真っ白な世界でさ。目の前にキラッキラな女の子がいたんだ」
所謂、テンプレ。
女神を名乗る少女に呼び出された父ちゃんは、世界に迫る危機とその元凶についての話を聞かされた。
敵の名は暗黒意思ヌル。
宇宙の外側、不可知領域から漏れ出した邪悪の塊。
ヌルに飲み込まれた世界は完全な闇に閉ざされ、その世界に存在するあらゆる魂は輪廻の輪から外れ永遠に苦しみ続けるらしい。
「光の力に適合できるのが俺だけで、しかもこのまま放っておけば地球も危ないなんて聞いたら流石に断れなくてな」
そして父ちゃんは光の力と聖剣を賜り、闇に飲まれかけた異世界へと送り込まれた。
「まあ俺の大冒険は割愛するとして、闇との戦いの中で聖剣が折れちまった時があってな。その修理のために登った龍の塔の最上階で出会ったのが乙姫だった」
最初、乙姫は父ちゃんに無理難題をふっかけて追い返そうとしたそうだ。
だがそれらの難題を知恵と勇気ですべて突破してみせたら、今度はいたく気に入られてしまったらしい。
「で、聖剣を直してやる代わりに、将来自分たちに男と女の子供が生まれたら結婚させようって迫られてな……」
「それで断れなかったと」
でもそれなら龍姫の結婚相手は宗介だったかもしれないのか。
「宗介が死んじまって、この話は無かったことになったと思ってたんだよ。そしたら今日になって急に龍宮城から使いが来てさ」
「契約内容くらいちゃんと憶えてろよ……。つーか俺が分裂してなかったらどうするつもりだったんだ?」
「…………」
なんだその間は。
おい父ちゃんコラ。こっち見ろよ!
「ま、まさか異世界に腹違いの兄とかいないよな!?」
「……いる、かも」
「おい! ……ちなみに何人くらい」
「…………最低でも五人」
悲報、ウチの父ちゃんがチーレム勇者だった件。
息子としてどう受け止めればいいのか分かんねぇよこんな話!
「……元々全部終わったら帰る約束で、みんなもそれを承知してた。その上で『あなたがこの世界にいた証が欲しい』なんて最終決戦前に絶世の美女たちから言われてみろ。断れるわけねぇだろ男として!」
「知るかよ! 自分の父親がチーレム野郎だった息子の気持ちも考えろ!」
「それを言うなら息子が分裂した親の気持ち考えたことあるのかよ!」
父ちゃんはコーヒーを一気に呷って飲み干すと、内圧を下げるようにゆっくりと息を吐いた。
「……なんだよ分裂って。なにがどうしたらそうなるんだ」
今度はお前の番だと、父ちゃんが視線で俺を促す。
「長くなるぞ」
「いいから話せ」
俺は今までのことをすべて話した。
霊能力のこと。
臥龍院さんのこと。
レイラのこと。
宗介のこと。
優芽と芽衣の正体。
地獄での体験などなど。
「……全部、本当のことなんだな」
すべてを聞き終えた父ちゃんは酷く混乱しているように見えた。
こんなに弱々しい父ちゃんの姿、見たくなかった。
「……父ちゃんはさ。宗介のこと、どこまで知ってたんだ」
それでも聞かずにはいられなかった。
「手のかからない子だとは思ってた。夜泣きも一度もしなかったしな。けどまさか霊能力者だなんて普通思わねぇよ」
少し影のある笑み。
父ちゃんも宗介が普通じゃないことは薄々気付いていたのだろう。
けど宗介がそこへ踏み込ませなかった。
あいつはそういうところがあったし、多分父ちゃんと母ちゃんに怖がられるのが恐ろしかったんだと思う。
「……何が勇者だよ。父親らしいこと、何もしてやれなかったくせに」
足元に視線を落とし父ちゃんがぽつりと呟く。
「仕方ねぇよ。アイツ俺にも一度しか本音漏らしたことないし」
「それでもだよ。何かしてやれることはなかったって思っちまうのが親ってもんさ」
「異世界で無責任に種だけばら撒いてきたくせに?」
「それを今言うなよ! お前こそ彼女いるくせに分裂して他の子と結婚とか意味わかんねぇ力技使いやがって!」
お互い痛いところを突かれ、ガシガシ後ろ頭を掻いて同時に溜息。
「……とりあえず俺が勇者だったことは母ちゃんには内緒な」
「言えるかこんなこと」
結婚する前のこととはいえ、家庭崩壊レベルの厄ネタだぞこんな話。
「兎に角頼んだぞ。母ちゃんに知られたら俺の命は無いからな!」
「わーってるよ!」
いちいち念を押すなよ情けねぇ。
「とりあえずお前は麗羅ちゃんにちゃんと説明しろ。いくら分裂したとしてもそこは有耶無耶にするんじゃねーぞ!」
わーってるっつの。
「優芽と芽衣には今まで通りに接してやってくれよな」
「安心しろ。俺にとっちゃ二人とも可愛い娘たちだ。座敷童がどうとか関係ねぇさ」
父ちゃんとの会話を終え、俺は本殿の裏で待っていたレイラの下へ向かう。
「話は終わった?」
「ああ、待たせて悪いな」
しばしの沈黙。
先に口を開いたのはレイラだった。
「……龍姫と結婚するのよね」
「もう一人の俺が、だけどな」
やはり分かっていても複雑なのだろう。
そりゃ俺だってレイラが突然分裂してシャオロンと結婚するなんて言い出したら混乱するし戸惑うだろう。
「……今ここにいるアンタは私だけ見てくれるのよね?」
「そうなるように分裂したんだ。これ以上はねぇよ」
後にも先にもな。
今ここにいる俺はレイラだけが好きだし、そうなるように分裂したんだからそうでなくては困る。
「……ならいいわ。ただし、浮気したら絶対許さないから」
反論を許さない強い口調だった。
するもんか。
「こんなこと二度とあってたまるかよ」
「……そう。なら、私が言うことは何もないわ」
色々と言いたいことはあるだろうに、レイラはこれ以上何も言わなかった。
「……ゴメン」
「謝るな。私が惨めになるでしょうが」
この子だけは何があっても世界一大事にしよう。
過去、現在、未来、すべての俺にたった今そう誓った。
この誓いは未来永劫どれだけ宇宙が繰り返そうと変わらないし、変えない。
「宇宙一大事にする」
「そうしなさい。こんないい女、全宇宙探してもいないんだから」
少し拗ねたようにぷいと顔を逸らすレイラ。
そんな彼女がたまらなく愛おしくなって、俺はレイラの冷えた身体をそっと抱きしめる。
レイラは驚いて少し身体を強張らせ、それから強く俺を抱き返してきて静かに泣いた。
「ばか。もうどこにも行くな」
「行かねぇよ」
「心配したんだから」
「ごめん」
「……アイツとどこまでいったのよ」
「まだなにも」
不意に。
唇に触れる柔らかな感触。緊張しているのか、小刻みな吐息がくすぐったかった。
そのまましばらくそうしていて、やがて名残惜しそうにレイラがゆっくりと顔を離す。
「雨、上がったな」
「そ、そうね」
お互い気恥ずかしくなってしまい、すぐに身体を離して顔を逸らす。
気が付けばしとしと降り続いていた雨は止み、雲の切れ間から差し込んだ夕日が俺たちを照らした。
レイラの顔が赤く見えるのはきっと夕日のせいだけじゃないと、唇に残った感触がそう告げていた。
雨降って地固まった