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怖い短編

しなやかな糸

作者: 井川林檎

七夕に雨が降るのは、もしかしたら、わたしのせいかもしれない。

 ちょっと話を聞いてやってくれと頼まれて、旧友Aの部屋を訪れた。

 鬱ぎみなのか、体調不良なのか、ここ最近ずっと様子がおかしいという。

 近しいものが色々と話を聞こうと試みるのだが、わけのわからないことを言うので理解ができないのだとか。

 

 「あんたなら分かるんじゃないの。もの書いてたりするんでしょう」

 Aの飲み友達であるBが言う事にはこうだ。

 「もの書きなんて妄想族みたいなもんなんでしょう。それなら、多分Aの気持ちが、少なくともうちらよりは分かるんじゃないの」


 なんたる言われようだろう。

 内心憤慨しつつ、それでも、普段は滅多に人に構われないので、理由はなんであれ人に頼られ、連絡を取ってもらえたことが嬉しくて、わたしはAを訪ねることにしたのだった。


 途中、コンビニでワンカップを二つと乾きものを三種類くらい買い込み、きこきこぎこぎこ古いママチャリを漕いで、Aの閉じこもるアパートに向かった。

 どんどん人が減ってゆく田舎の町から出られないまま、わたしたちは成長し、大人になり、中年となる。

 たぶんこのまま、この狭くて陰気な町に閉じ込められたまま、うだつのあがらない一生を終えるのだろう。


 恐らく、この町に居残らされた者すべてが同じ思いを抱いているのに違いない。

 栄光も豊かさも、人並みの楽しみからも遠ざけられて生きているような、重苦しい感覚が常に付きまとう。

 こんな古ぼけてさびれた町に住んでいるんだから、少なからず誰しも鬱だろう。なにもAだけじゃない。わたしだって多少は鬱である。


 土の湿ったにおいが足下からにおいたつような田んぼのあぜ道を通り抜け、目指す安アパートが見えてくる。

 友人の原チャリが、黄ばんだコンクリの建物に沿うように置かれている。間違いなく在宅である。

 今、日は沈もうとしている。空は夕焼けの赤と、夜の紫、群青色が見事なグラデーションを作っており、気の早い一番星がぴかぴかと輝き始めているのだった。


 自転車を原チャリの横に起き、さびた階段を上って二階の部屋を訪れた。

 夜になると灯る蛍光灯には蜘蛛の巣がはりついていた。歩く度に陰気な音を立てるコンクリの床には、ダンゴムシとナメクジが這いまわっている……。


 ピンポンとチャイムを押すと、Aが出てきて、さあ入ってくれと言った。

 わたしが来ることを知っていたらしい。それにしても、なんら変わった様子はない。久々に見たAは、特に目立って病的な感じではなかった。


 明るい部屋である。

 大きな窓からは、西日が赤く差し込んでいる。カーテンと、窓のさんが長い影を引き、居間の真ん中にでんと置かれている、茶色のちゃぶ台に縞模様を作っていた。

 わたしは勧められるままちゃぶ台の側に座り、ついでにコンビニの袋をちゃぶ台に乗せて、どうぞと言った。

 Aは遠慮する素振りもなく、嬉しそうにワンカップとナッツ、チーカマの袋を取った。

 わたしもワンカップを取ると封を開けた。

 たちまち部屋の中はアルコールと乾きものの匂いに満ちたのである。


 Aが語りだしたのは、少し酔いが回りかけた時だ。

 その時には夕暮れは終わりを迎えており、部屋は暗くなりはじめていた。

 薄いカーテンの隙間からは星がまたたく空が見えている。


 


 「4丁目の宮路さんが転倒して足の骨を折ったのは、わたしのせいだ」

 と、Aは言った。

 宮路さんの骨折は、この小さな町の中ではちょっとした事件である。数年前脳梗塞を起こして以来、歩行が不安定だった宮路さんが道で転んで骨折しても、誰も不思議には思わない。なにより、当の本人、宮路さんさえも、誰かのせいで転倒させられた等、一言も言ってはいない……。


 (聞くだけ聞くか)

 と、わたしは思い、ワンカップをちびちびと飲んだ。

 Aの目がすわっている。酔いのためだけではないようだ。


 「その日、わたしは肉屋のオカモトまでコロッケを買いに行った。出来合いのものではなく揚げたてのコロッケが欲しくて、しばらく店頭で待った。そしてコロッケが揚がり、一人分だけ購入し、歩きながら食べた」

 ごくん、と、すわった目をしたAはワンカップを飲んだ。

 さも当然のことのように、Aは言ったのである。

 「……だから、宮路さんは転んで骨折してしまった。わたしのせいなんだ」


 揚げたてのコロッケを歩きながら食ったから、宮路さんが転んで骨折した。

 ……。

 わたしは無言のまま、ワンカップを舐め続ける。


 Aの告白は続いた。


 「それだけではない。このあいだ、K国がミサイルを日本に向けて撃ったのも、このわたしのせいなのだ」

 「……」

 「聞いてくれ」


 ぐっと身を乗り出すと、すわった目でAは言った。


 「ミサイルが発射された日の早朝、わたしはウォーキングをしていた。途中、空き缶があったので何の気なしに蹴ってみたら、凶悪なことで有名な某宅の犬の頭に当たった。犬は猛然と怒り狂い、鎖を引きちぎる勢いで吠えたてた」


 蹴りーん。かんからからから……。蹴りーん。ぽーん。

 秋田犬の頭にカーン。

 ぐるるるる、うわんわんわんわんっ!

 ……。


 「K国がミサイルを発射したのは、その僅か1分後のことだ」

 Aの拳が細かく震えているのを、ワンカップを舐め乍ら、わたしは見ていた。

 「分かったろう、わたしのせいなんだ。あのミサイルが海に落ちてくれて、日本の陸地の、どこか民家にでも落っこちたりしないでくれて、胸を撫でおろしたものだ。本当にとんでもないミスをしてしまったと反省してもしきれない」


 ぐるぐると頭の中が渦巻いてくる。

 Bは、Aを鬱だと言っていたが、これは鬱なんて可愛いモノじゃない。

 なんという症状だろう。誇大妄想か。

 どういう理屈でそういうことになるのか、訳がわからない。

 (コロッケを食ったら人が骨折して、空き缶蹴ったらミサイルが放たれた……)


 

 「わかるか、ちょっとしたミスで、取り返しのつかないことが起きるんだよ」

 血走った目でAは続けた。

 ほんの少し前までわたしは、Aが以前と変わっていない、なんらおかしな様子はないと思っていたが、改めなくてはならない。目の前にいるAは、どう見てもおかしかった。

 息を荒げ、目を血走らせ、視線は定まらず、語ることは全部変だった。そのくせ、恐ろしい程澄んだ瞳をしていた。


 「気をつけたまえよ。ちょっとしたミス、ちょっとした何かで、大きなことが起きる。遠い外国で暴動が起きたり、飛行機が落下するのも、実はわたしや、君や、何でもなく生きている人々のせいなのだ。よく考えたら、細くしなやかな糸が見えてくるはずなのだ」


 細くしなやかな糸。

 Aはそう言った。


 「こう、走っている。宙を。空を。こう……」


 ワンカップを持った手の人差し指を突き立てて、Aは虚空を見る。

 暗くなった部屋の中で、Aの目がぎとぎとと光って見える。

 

 「こうして息をする。その事実がまた別の事実につながってゆく。物事は全て見えないしなやかな糸でつながっていて、どうかすると、絡まり、ねじくれ、切れたり繋がったりする」

 だから、思いがけない出来事が起きるのだ――ほんの僅かな、例えば、こう、手をちょっと動かしたり、溜息をちょっと着く程度の出来事で!


 (狂っている)

 わたしは無言で話を聞いている。

 ワンカップは残り僅かだ。これを飲み終えたら早々に退散しよう。

 

 Aはしかし、その危険なほどぎとぎとする目を、ふっと寂し気に湿らせたのだった。

 暗がりの中で窓をふりあおぎ、そこから見える空を見たのである。

 既に夜空となっており、さっきまで、ひとつふたつしか見えなかった星が、いつしか満天の星空となっていた。

 

 

 「この間、わたしは原チャリで、道に転がっていたペットボトルを踏んだ。ペットボトルは潰れずに破裂し、ぱあんと飛び散った」

 いたましい思い出を語るようにAは言った。

 

 「……明日の七夕が雨天で、彦星と織姫の年に一度の逢瀬が叶わなかったとしたら、それはわたしのせいなのだ。わたしが犯した、多大なミスのせいなのだ……」


 

 ぱあん、割れたペットボトルの欠片が宙を飛び、犬を散歩している老婦人の足下につく。

 気づかないまま婦人は帰宅し、サンダルを脱ごうとして、小さな欠片で指を傷つける。

 痛いわ、と婦人はバンソウコウを指に巻き――そして、生業であるまじない業に臨む。

 怪しげなオカルトで身を立てる婦人は、頼まれればなんでもする。呪いだろうが、恋の願いだろうが、雨乞いだろうが、それこそ何でも。

 その日婦人が依頼されていたのは、このところ雨天続きで用水の氾濫に頭を抱えていた区長からの、雨晴しのまじないだった。

 もちろん区長が本気で雨晴しが叶うと期待したわけではない。実は区長と婦人は道ならぬ関係であり、表立って生活を助けてやることができない代わりに、こうして仕事をくれるのだった。


 婦人は雨晴しのまじないを始めるが、バンソウコウをはめた指のせいで、自分でも気づかなかったが、少々手元が狂っていた。

 

 「豪雨は確かに止んだ。婦人のまじないが効いたのだが、実はまじないは半端であり、大きな穴が開いていた」

 暗い目でAは言うのだった。

 「七夕の夜のみ、再び雨が降るだろう。もちろん、それは大した雨ではないが、天候が悪いから天の川は現れない。つまり、彦星と織姫は、逢瀬できないのだ」


 わたしのせいで、とAは言うと、はらはらと涙をこぼしたのだった。

 「去年も二人は逢えなかった。ああ、もちろん去年のことはわたしのせいじゃない。だけど、ここ数年、ずっと七夕が不運にも雨天だった。彦星と織姫はそろそろ絶望し始めていて……」


 Aは真っ暗な目で、救いを求めるようにわたしを見つめた。


 「今年、逢瀬が叶わないなら、いっそのこと、手首を切って死のうと決意している」

 ……。


 は、誰が、と問い返すと、Aはしんなりした口ぶりで「織姫が」と答えた。

 「織姫のほうは、バスルームで手首を切って死のうと考えている。彦星はもっとアグレッシブで、全身にガソリンを浴びて、ライターで着火して死のうと心に決めているのだ……」


 わたしは頭が痛くなってきた。

 ワンカップをぐっと飲み干すと、そろそろ帰ることにした。

 だめだ、お手上げだ。理解不能だ。


 (見えない糸の妄想は文学的だけど、自殺する織姫と彦星は分からんなあ)


 「話はわかったが、そろそろ用事があるので帰る」

 と、言いおいて、わたしは部屋を後にした。

 玄関を出てゆこうとする時、鋭く、怖い声でAがわたしの背中に向かい、叫んだ。


 「気をつけてっ。足元の、その、ナメクジを踏んだら……どうなるか、どうなるか……どうなるかっ」


 なるほど、足元にナメクジが這っている。

 わたしはそれを避けて歩いた。バタンと玄関が閉まる音が聞こえた。

 陰気な蛍光灯が灯っている。すっかり夜だった。


 

 ごんごんごん、階段を降りて自転車にたどり着く。

 空を見上げると、天の川が綺麗に出ていた。チラチラと音を立てそうなまばゆさだ。

 そうだ、明日は七夕だ。天気予報は見ていないが、果たして雨が降るだろうか。


 (物事は全て見えないしなやかな糸で……)

 

 ワンカップであったかくなった頭で、あの異様な言葉を繰り返す。

 しなやかな糸が、この宙を飛び交っている。

 こうして自転車のサドルをこぎ、発進する瞬間に小石が飛び散る――そんな出来事すら、「ミス」となりうるのか。


 

 ぱちんと自転車のタイヤが小石をはじき、ころころころと走っていった石がアスファルトの隙間に咲いていた花の群れに突進した。すると、しゅっしゅっと素早い音が聞こえた。石に驚いた蛇が動き始めたようだ。

 蛇は雑草の中からアスファルトの上に姿を現し、蛍光灯の光でてらてらうろこを光らせていた。

 

 どこかで夜烏が鳴いた。

 一連の出来事がどう繋がり、どう関わっているのかなど、わたしに知る由はない。

 「見えないしなやかな糸」は、見えないままがいいのだと思う。


 このさびれた狭い町で、埋もれるようにして、何も見ないままで。

ジャンルを決めるのが、たいそう、悩ましい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 根本は自責だろうか。 自意識過剰な状態ってきつい。 外が見えないから、息ができにくいから。 ポストが赤いのも空が青いのもみんな私のせいなんだ。 糸、とイメージがぐるぐる回る。
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