飛翔・2
そんなフェイ達の迷いを吹き飛ばすかのように、ヘイユァンが叫んだ。
「さあって!・・・挨拶はもういいだろ。別に話し合いに来たわけじゃねえんだからな。じゃ、まずは手始めに・・・ククッ、そうだな。それこそ挨拶代わりに、まずは『錬武祭』に勝たせてもらうぜ。・・・レン、行け!」
「うん」
レンが数歩踏み出しながら氣を練ると、瞬時に周囲の空気が・・・澄んでいくようだった。
フェイ達は目が覚めたような思いで、それぞれに身構える。
レンは目を閉じて天を仰ぎ、大きく息を吸った。
そして・・・その背中から、翼が現れた。
鷹や鷲を思わせるような、猛禽の翼だ。そしてその翼は・・・彼の髪や目と同じく、優しい闇色だった。
ばさっ、と羽ばたきをひとつして、レンが正面を向く。そのまま、ごく自然に・・・まるで階段でも昇るかのように、レンの両足が、体が、宙に浮いた。
「嘘っ・・・」パイは思わず声を洩らしていた。
いや、仰天したのはパイだけではない。
フェイもシュウも、ウォンもラウも、後方の警備隊員達も・・・全員が、目の前の光景を信じられずにいた。
「人が空を飛ぶ」ということは、それほど・・・この世界では、非常識なことなのだ。
レンは既に、10メートルほどの高さまで昇っていた。
「すごい・・・」ラウが嘆息を漏らす。自らが天才で、他人の能力に心から感心することなど殆んど無かったラウが、今は本当に感嘆していた。
「氣の・・・爆発力で、ただ空中を吹っ飛んでいくというだけなら、できる者は大勢います。しかし・・・あの少年の力は、そんな雑で荒っぽいものじゃない。まるで、地面の上を歩くかのように、自然に・・・空を飛んでいる・・・」ラウは、誰に語るともなく語っていた。思いを言葉にして、口に出さずにはいられなかった。
深い感動は、時には人を寡黙にし、時には饒舌にする。今のラウは後者だった。
レンはそのまま、警備隊本部本館を目指して飛び始めた。
慌てたのは、本館で待機している面々だ。ドンヅォが屋上に向かって叫ぶ。
「氣弾の用意だ!いつでも撃てるようにしろ!あいつが、本館に降りたら・・・錬武祭は、こっちの負けだ!」
そう。錬武祭の勝敗は、ルール上は戦闘の勝敗とは別物なのだ。
「実行委員の一人でも、本館に辿り着いたなら、実行委員側の勝ち」
それが錬武祭のルールだ。だから警備隊は実行委員を止めるために、実行委員は本館へ進むために、戦闘が繰り広げられることになる。
・・・ただし、それは地上での話だ。レンは今、空中にいるのだ。勝ち負け以前に、レンと戦うこと自体、・・・少なくとも拳脚を交えるような戦いは、できない相談だ。
最強の布陣と思われた、フェイ、シュウ、ラウ、ウォンの四人も、ただ空を見上げるより他は無かった。
だがここで、ドンヅォを始めとする本館待機組は、(用意はしておくものだ)とも思っていた。
何しろ本館の屋上には、特級の黒仙の氣弾遣いが50人いるのだ。
「用意はできたか?」
「はい、いつでも撃てます」
「よし。目標・・・飛来してくる少年だ。斉射!」
氣弾組のリーダーの掛け声と共に、50人の氣弾遣い達が、レンに向かって一斉に得意の技を撃ち出した。
炎。雷。重力塊。そして、ランの槍光穿。色とりどりの氣の弾や波が、雨のように、もしくはささくれた虹のように、レンに降り注ぐ。
だが・・・レンは慌てずに、空中で直立姿勢をとると、迫り来る氣の嵐に向かって、さっ・・・ばさっ、と黒い翼を羽ばたかせた。
それだけで氣弾の大群は、レンの手前5メートルほどの所で、風に吹かれた煙のように消え去ってしまった。
「ちょっ・・・と、あれ、何?」パイが上を向いたままで、誰に問うともなしに問う。
「あれは・・・氣の『風』です」フェイも、上を向いたままで答える。
「あの・・・レンとかいう少年の、翼は・・・空気をあおいでいるわけではありません。空間に満ちた『氣』をあおぎ、氣の『風』を起こすことによって、飛んでいるんです。その『風』が黒鎧氣の攻撃性を取り込むと、ああいう・・・氣弾や氣功波を消し去る効果が加わるんです。ただ、『風』が強いとか、そういう問題じゃありません。人間が、地上を移動するかのように空を飛ぶという・・・そんな出鱈目を可能にするほど、あの少年の氣の制御能力は優れているんです。それに比べれば、こう言っては何ですが、今、屋上にいる人達の氣弾など、まさに煙のように不安定な存在でしかありません」
レンは、なおも執拗に繰り出される氣弾を、まるで・・・線香の煙を掌であおいで散らすかのように、涼しい顔で消し続けた。消し続けながら少しずつ前進して、本館に接近してもいた。
やがて屋上まで、あと10メートルほどの所まで来て・・・そこでレンは、ひときわ大きく翼をはばたかせた。
そのひと風で、50の氣弾全てが消え去り、更に屋上の氣弾遣い達が、バタバタと倒れ始めた。
完全に床に伏す者。膝立ちになる者。座り込む者。
かろうじて立っている者も、フラフラとして足元が定まらないようだ。
「ねえフェイ。あの子の翼の風って、ひょっとして・・・」またパイが、上を向いたままで問うた。
「・・・はい。どうやらあの『風』は、氣弾を消すだけでなく、人間の生理活動を支える氣さえも、乱すことができるようです」
「これって・・・何気に絶体絶命なんじゃないの?」
「何気に、じゃない。本格的に絶体絶命だ。生理機能のレベルで氣を狂わされたんじゃ、戦いも技も、何もあったもんじゃねえ」ウォンの声が震えていた。
だがそれは、恐怖や危機感というよりは、・・・ラウと同様に、人智を超えた技を見たという感動が、ウォンの声を震わせていたのだ。
「でもさっ、ラウさんの華炎とか、フェイの銀衛氣を込めた拳なら・・・あの『風』を、跳ね返せるんじゃないの?」
「無理ですね。あの『風』の前では私の華炎など、蝋燭の炎に等しい」
「僕も同じです。単純な破壊力だけなら、それはもう銀衛氣を込めた拳のほうが上です。でもその破壊力は、あくまでも銀衛氣が安定して機能すればの話です。あの『風』の前で、それは無理な相談です」
「じゃ・・・打つ手は、無いの?」
「無いね」
「ありません」
「残念ながら」
ウォンとラウとフェイが、声を揃えて答えた。
だが不思議なことに三人共、危機感を感じてはいなかった。それはパイもシュウも同じだった。
(ああ・・・せっかくパワーアップした私の雷も、あの『風』には通じないんだろうなあ。世の中には、すごい力を持ってる人がいるんだなあ)パイは、ぼんやりとそんなことを考えながら、恐いというよりは、やはり感動していた。
シュウはポカンと口を開けたままで、黙ってレンの動きを見ていた。
彼の鋼皮功も、レンの風を浴びれば、「鋼」どころか「薄紙」と変わらない。だがシュウは、レンに恐怖するよりも、ただうっとりとその動きに魅了されていた。
とにかくこれで、もはやレンを止める者はいない。
彼は悠々と、翼の羽ばたく音を高らかに響かせながら・・・本館の屋上に舞い降りた。