参戦・5
レンは、少し離れた部屋のリャンジエとヒムの騒ぎ声を聞きながら、この絵本を・・・錬武祭への旅の荷物に加えるかどうかを考えていた。
そして・・・レンは絵本を閉じて、静かに机の上に置いた。
「さようなら・・・シバ」絵本の上に、レンの涙がこぼれた。
数日後、レンはヘイユァン達と共に山荘を出て、チュアン国へ旅立った。
シバは、レンの氣配が遠ざかるのを感じながら、「さらばだ・・・レン」と、呟いていた。
その手には、レンの絵本があった。
レン達は朝早くに山荘を出たが、午後になると、シバから離れたことからくる解放感のせいか、ヘイユァン達の態度が緩み始めた。
「なあ、このままダラダラと、チュアン国まで徒歩で行くのか?」リャンジエがこぼす。
すると、「そうだよなあ。折角だから、ウーミィ国にでも寄って、車を調達しねえか?」と、ヒムも乗ってきた。
レンの肩が、ぴくりと揺れる。
そのレンの動きに気付いたヘイユァンは、わざと大きな声を張り上げた。
「なるべくなら、乗り心地のいい、でかい車の方がいいな。いっそ、一人に一台とか」
「おおっ」
「豪勢だね」
「それと、携帯食料だけじゃつまらんから、もっと美味いもんが欲しいな。酒と、肉と・・・ついでに錬武祭の肩慣らしに、2〜3人殺っとくか?最近、ご無沙汰だし・・・」
「駄目だよ」レンが振り返って、ヘイユァンの言葉をさえぎった。
「僕達の目的は、錬武祭に勝つことでしょ?それ以前の略奪なんか、シバは望んでないよ」レンは、ヘイユァンを真っ直ぐに見つめながら、淡々と語った。
そう。怒っているわけでも、さとしているわけでもない。
ただ事実を、棒読みするように述べているだけだ。
その邪氣の無さに、ヘイユァンは毒氣を抜かれたようになって、言い返す気にもなれなかった。
「それに車なんかに乗ったら、車が走れるような道しか通れないよ。僕達の足なら、山の中でもどこでも歩けるし、直線で行けるから、車よりもずっと早くチュアン国に着くよ」
そんなことは、ヘイユァンにも分かっていた。分かってはいたが、シバという重石がいない今、ちょっと羽を伸ばしたいと思ったのだ。
だが、レンに「駄目」と言われると、もう車も酒も肉も、どうでもよくなってしまった。
(変なガキだ・・・そして、恐ろしいガキだ)ヘイユァンは、しみじみとそう思った。
ヘイユァンは、レンを恐れていた。
実際、レンは強かったし、一対一で戦ったなら、ヘイユァンはとてもレンには勝てる気がしなかった。
だが、だからレンは恐い、とは感じなかった。
これがシバなら、話は単純だ。シバの恐さは、分かり易い恐さだ。
シバは強い。それも、計り知れないほどに強い。強さの上限値が分かれば、対策の立てようもある。だがシバの強さは、底も天井も見えない。そしてシバは気分次第で、その力を誰にでも向けるような人間だ。
ヘイユァンはシバに近付く度に、震えるほどの恐怖を感じていた。
そしてレンもシバ同様、底も天井も見えないほどの強い力を持っていた。
しかしヘイユァンは、レンに対しては「震えるような」恐怖は感じなかった。
力が全ての世界で生きてきたヘイユァンにとって、これは解せない恐怖だった。
(さっきだって、レンが反対すると分かってて、挑発したんだ・・・それで、レンが怒り出したなら。その『怒り』に対して恐怖を感じるのなら、まだ分かるんだが)ヘイユァンは、苛立ちを感じ始めていた。
(レンの怒りに対して、恐怖を感じるのなら。・・・つまりそれは、レンが怒りに任せて、持てる力をぶつけてきたら、どうしようかと・・・そういう恐怖だ。これはこれで腹は立つが、まだ分かり易い。だが・・・レンは怒らない。俺達を力で抑えつけようともしない。なのに、俺はレンが恐い・・・)
結局ヘイユァンは、自分の感じている恐怖の正体が分からずに、苛立ちを募らせていた。
だが実は、この恐怖の正体は、単純なものだった。要は人として、ヘイユァンの器は小さく、レンの器は大きいという、それだけのことなのだ。
或いはヘイユァンは、そのことを無意識に自覚していたのかもしれない。それがレンに対する恐怖と共に、苛立ちを生んでいた。
その苛立ちはいつしか、自身の正当化と、レンへの疑惑にすり替わっていった。
ただ、ヘイユァンは器こそ小さいが、馬鹿ではなかった。彼がレンに感じていた疑惑は、あながち的外れではなかったのだ。
その日の夜。
野営地にて、先に眠ってしまったレンから少し離れて、ヘイユァン達は焚き火を囲みながら、ダラダラとくだらない話をしていた。
だが、ヘイユァンは殆んど口を開かなかった。彼自身は無表情のつもりでいたが、かなりふて腐れた顔をして、レンの寝顔をチラチラと横目で盗み見していた。
「おい、ヘイユァン」リャンジエが、ヘイユァンの視線の動きに気付いた。
「あん?何だ」
「レンは、シバのお気に入りだからな。下手に手ぇ出すと、後が恐いぞ」
ヘイユァンは、どきりとした。
「リャンジエ、お前・・・」
「ん?おい、何マジな顔になってんだ?」
「よせよせ。ヘイユァンにゃ、そっちの趣味はなかった筈だ。まァレンの奴ぁ、ガキのくせに綺麗な顔をしてやがるから、魔が差したのかもしれねえがな」やはり、ヘイユァンの変化に気付いていたヒムが横槍を入れる。
それでヘイユァンは、リャンジエの言った「手を出す」の意味を理解して、ホッとすると同時に驚きもしていた。
ヘイユァンは、事と次第によっては、レンを倒そうと思っていた。
リャンジエに「下手に手ェ出すと・・・」と言われた時は、その気持ちを見抜かれたかと思って驚いたのだ。
ところがリャンジエは「レンを慰みものにするな」という意味で冗談を言ったのだと気付いて、その部分ではホッとしていた。
だが同時に、「レンを倒したい」という自分の思いに気付いたのも、実はこの時が初めてだった。そんな・・・大それた思いを無意識の内に抱えていた自分に、驚いたのだ。
だがヘイユァンは、自分の直感には自信があった。
(やはり、レンはどこかおかしい。なぜかは分からねえが、俺達は、レンと戦わにゃならんような気がする・・・だとしたら、俺一人で考え込んでいるのは、かえって危険だ。こいつらにも、そのつもりでいてもらわないと・・・俺一人じゃあ、とてもレンには勝てねえ)
考えがまとまるに従って、ヘイユァンの目が据わってきた。
「おい、ヘイユァン・・・?」リャンジエが、露骨に嫌そうな顔をした。
彼の嫌いな、真面目で固い話が始まりそうな予感がしたからだ。
「ふん。安心しろ、リャンジエ。これから言うのは、真面目な話だが、固くはない。・・・結論から言うか。俺は、レンが裏切るんじゃねえかと思ってる」ヘイユァンは、レンが眠っていることを確認しながら、小声で・・・しかし、はっきりと告げた。
「嘘だろ?・・・あんな、いつもいつもシバにくっついてるような奴が?」リャンジエが、更に小さな声で異を唱えた。
ヒムもジュンファも、同じ思いだった。