交渉・1
ヨウは折れた剣を突き出したままの格好で、石畳を削るような勢いで15メートルばかり吹っ飛んでいた。
黒鎧氣の影響で必要以上に黒っぽいヨウの目が白っぽく見えるほど、その目は大きく見開かれ、白目が剥き出しになっていた。
「ぐっ・・・え」口も開いた。その端から血が流れ落ちる。
「ねっ、勝ったでしょう」フェイは残心を解いて振り返り、ニッコリと笑った。
「何やってんのよフェイ、あいつまだ立ってるわよ!最後まで気を抜いちゃ駄目!」パイは叫びながら、(この人、銀髪も似合うな)などと場違いなことを考えている自分に呆れた。
「・・・唾が飛んでますよパイさん。もう少し周りに注意してください。・・・色んな意味で」フェイの声に合わせるように、シュイイ・・・という音が降って来た。
えっ、と思ったパイが顔を上に向けるのと、フェイがパイの鼻先で、それを両掌で挟むように掴んだのが、ほぼ同時だった。
それは、折れて打ち上げられたヨウの剣先だった。パイの全身に鳥肌が立ち、その場にへたり込む。
「最後まで気を抜いちゃ、駄目ですよね。・・・さて、あと一人だ」
その最後の一人のムイは、いつの間にかヨウの背後まで来ていた。
ムイがヨウの肩を軽く叩くと、ヨウはその場に崩れ落ちた。既に意識を失っていた。
ひときわ高い歓声が上がる。
だが、ムイが刺すような視線をグルリと振り回すと、それもすぐ静かになった。
ムイは伸ばしっ放しの髭をかき回し、「ものすごい『無極之氣』だな。ヨウを一発で沈めるとは」と、感心したように頷いた。
「・・・じゃ、錬武祭はこれで終わりにしますか?」
「あいにくそんなつもりはない」ムイは袖無しの上着からはみ出さんばかりの、丸太のような両腕をダラリと下げて氣を練り始めた。
次第に黒い霧がムイの周囲を包んでいく。濃厚な・・・黒鎧氣だ。半径2メートルほどの半球形になったところで、黒い霧の膨張は止まった。
パイは座り込んだままで、その禍々しいプレッシャーに押し潰されそうになっていた。かなり距離があるのに、チクチクと痛みさえ感じる。(もう嫌。何でこんなに次から次へと化物が出てくるのよ)
ところがフェイは「・・・では、戦う前に質問があります」と、相変わらず涼しげだ。
「ん?また質問か。今度は何だ?」
「黒鎧氣が影響を与えるのは、身体だけですか?精神には影響しないのですか?・・・まあ、心と体は本来ひとつですから、厳密には『身体だけ』などということは考えづらいのですが」
「・・・どうでもいいことを気にする奴だな」ムイは呆れ顔だ。
「いやあ・・・どうもあなた方を見ていると、本来の人格の上に、何か統一性のある人格が被さっているように見えるんです」
「んっ・・・確かに黒鎧氣を纏うと、心にもかなりの影響があるな。何かにつけて怒りっぽくなる。ちょっとしたことが気に障って、誰彼なく憎たらしく感じる。他人と仲良くしようという気持ちが失せる。何もかもぶち壊したくなってくる。・・・そんなこんなで常に軽い興奮状態だな。だがこれは、強い力を得るには都合のいい精神状態だ。違うか?」
「そうかもしれませんが・・・危険だとは思わないんですか?」
「武の探求に危険は付き物だ」
「なるほど・・・じゃ、視点を変えましょう。あなた方はシバから黒鎧氣を受け取った。それは言い換えれば、シバの一部に憑依されたとは考えられませんか?怒りや憎しみや暴力衝動などは、誰にでもあるものですが、黒鎧氣によってそれらの感情が無闇に強くなるとしたら、それはある意味シバに心を操られているとはいえませんか?そんな状態で、一体あなた達は自分の意思で戦っているといえますか?」
「うむ、そういうこともあるかもしれんな・・・操られている、か・・・だが、それがどうしたというのだ?武を磨く者が、己の力を存分に振るえる場に立てるのだ。それで充分ではないか」
「・・・残念ですね。できれば戦わずに済ませたかったのですが・・・」
「ハハッ、そんなにワシが恐いのか?」
「いいえ。・・・戦い始めたら、僕はあなたを殺したくなります。今までの四人と戦っている時も、そう思っていましたが・・・その殺氣を抑えるのは結構面倒なんですよ」フェイの表情に影が差した。
(えー、そうなの?)フェイの口から殺意の存在を聞いて、パイは少し意外な気がした。
フェイは確かに強いが、必要なことだけを淡々とこなすような動きからは、荒々しさや残忍さは感じられず・・・むしろ柔らかさや、優しい雰囲気さえ漂っていたからだ。
「おいおい、そんなことを気にしてるのか?こっちは元々命の取り合いのつもりで来てるんだぞ・・・まったく白仙てのは、とことん優しいんだな」
「・・・そういう問題じゃないんですがね」結局フェイは、ムイとの距離を詰めるべく歩き出した。
実行委員の大将格が相手とあって、さすがに迂闊には跳び出さないようだ。だが、歩みそのものに迷いはない。
だから体の軸が天地を真っ直ぐに貫き、上下にも左右にもブレない。ただ接近するために歩いているのだから、そのためだけの動きをすればいい。そういう動きだ。
だが、パイはそんな境地には程遠い。
(じっとしてるべきか・・・いや、やっぱりここにいたら危ないかも・・・うん、もうちょっと離れよう。その方がきっとフェイも戦い易いわ・・・あ、でも足腰が立たない・・・)
仕方なくパイは座ったままで、手足を総動員してカサコソと(意外に速いスピードで)後退した。
するとフェイがムイの手前5メートルほどの所で、突然立ち止まった。
「あー、パイさん。あまり離れないでください・・・」顔半分ほど振り返ったフェイの髪と目は、元の栗色に戻っていた。
「それならお前があの女の所へ戻ればいいだろうが」ムイがズンズンと地響きを立てるように間合いを詰め、彼の周囲に漂う黒鎧氣がフェイの体に触れる。と、いきなりその黒鎧氣が膜のように変化して、フェイを弾き飛ばした。
フェイは何とか空中で姿勢を立て直して着地したが、一気にムイとパイの中間辺りまで戻されていた。
・・・そして、また髪と目が銀色になった。
「・・・何ですか、これは」フェイが体を軽く揺すってダメージの有無をを確認する。「これだけ飛ばされたのに、どこにも異常がない・・・弾かれたというより、放り投げられたような感じですね・・・」
「そうだろうな。この『護霧』は、相手を痛めつけるのが目的じゃない。お前みたいにチョロチョロと寄って来る奴を追い払うための技だ。ま、この勢いで壁にでもぶつけてやれば、ダメージのほうも期待できるがな。・・・とにかく当てるのが最優先てんで、黒鎧氣に触れた奴には自動的に発動する。便利な技だろう?」
「便利というより、横着な技ですね・・・しかし、それじゃ殺氣も出ませんね。どうりで反応しづらいわけだ」
「そうだ。だが、お前は多少は反応したろうが。飛ばされる前に自分から飛んで、受ける力を半減させたろう?本当ならお前みたいなチビは、その倍は吹っ飛ぶ筈なんだぞ」
パイはいよいよ混乱していた。(ううっ、もうついていけない。一体どうすればここから逃げられるのよ。考えろ、考えるんだ私!)だが何も思いつかない。
突然フェイが胸の前で、左掌に右拳をパンッと打ち付けた。
それだけで周囲の空気がビリビリと震え、パイはハッと目が覚めたような気がした。
「パイさん、あまり僕から離れないでくださいね」
「・・・はあ」パイは改めてフェイの背中を見た。
その立ち姿は、実際の小柄な体格からは考えられないほど大きく見える。
しかし現実問題として、その向こうにあるムイの体は更に大きいわけで、パイの不安はいっこうに消えない。