救出・7
「・・・ウォン?」スーチャオが、驚いてウォンを睨む。
その目は(こんな時に笑うなんて、何が可笑しいの)と、ウォンを責めていた。
(ああ・・・責める時は、俺を見てくれるんだな)ウォンは、そんなことがちょっぴり嬉しかった。
「ああ・・・すまない。すまないついでに、ちょっとだけ待ってくれ」と言うなり、ウォンは地面に座り込んで、結跏趺坐を組んだ。
すぐに瞑想状態に入り、魂を呼び出す。
「久し振りだな・・・何か用か」相変わらずの重々しい声で、魂が問うた。
「ああ。ちょいと、急用でな。二年前に中止した交渉を、進めたいんだ」
「ほう。いいのか?交渉条件は、手技の封印だったろう」
「ああ。気が変わらねえうちに、やっちまってくれ。・・・あ、そうだ。おい、ついでだから」ウォンの脳裏に、ヤケクソ気味の妙案が閃く。「交換条件の追加を一丁、頼むわ」
「・・・飯のおかわりでも追加するみたいなノリだな」
「ま、似たようなもんだろ。・・・追加条件はだな。・・・スーチャオのことは金輪際、諦める・・・ってので、どうだ」
「うむ?それは・・・無理があるな」
「なぜだ?俺のスーチャオに対する思いは、そんなに軽いってのか?」
「いや、そんなことはない。・・・だが、お前が今、交渉によって得ようとしている力で、真っ先にやろうとしているのは・・・恋敵を救うことだろう」
「・・・ああ」
「つまり、交渉を進めることは、イコールでスーチャオを諦めるということだ。それなのに、それをわざわざ交換条件にするというのは、虫が良くないか?」
「あ〜、んー・・・いや、例えチェンフーが助かっても、俺のことだから、ひょっとしたらスーチャオに手を出すかもしれねえだろ?そしたら、チェンフーもスーチャオも、きっと困るだろうが。そうならないように、保険をかけとくんだよ」
「ふん・・・そうだな。確かにお前ほどの女たらしなら、普段のナンパと同じノリで、スーチャオを口説きかねんからな」
「お、おいおいおい。そりゃねえだろ?スーチャオを、そんじょそこらの女と一緒にしねえでくれ」
「ふん。白状したな」
「へっ?」
「つまり、お前のスーチャオに対する思いは、それほど特別だということだ。そういう女を・・・困らせると分かっていて、ノリと勢いだけで口説くなぞ、お前にはできんよ」
「あー・・・うー、そこはホラ、おまけってことで」
「ハハハッ・・・まあいい。意地の悪いひっかけをした侘びの意味と、お前の正直さに免じて、交換条件の追加を認めよう」
「おおっ!さすがは、俺の魂!太っ腹!で、結局俺の蹴りの速さは、どれぐらいになるんだ?」
「うむ。そうだな・・・ふむ・・・ほう・・・これは、驚いたな・・・」
「おいおい、もったいぶってんじゃねえよ。急用だって言ってるだろ?のんびりとはしてられねえんだ」
「安心しろ。ここでは、時間の流れ方が外とは違う。ここで丸一日ほどの体感時間を過ごしても、外では瞬きするほどの時間しか経っとらん」
「へえ。そりゃすげえな」
「いや。すごいのは、お前の蹴りだ・・・いいか。悪いことは言わんから、滅多なことでは全力の蹴りなぞ出すでないぞ。敵だけではなく、お前自身をも傷付けることになるからな」
「ほお・・・上等だね」
「うむ・・・しかし、それだけでは・・・少々、交渉の内容に含みを持たせねば、不公平だな・・・うむ。ウォン、お前に・・・ヒントだけ言っておこう」
「えっ?いや、俺って、謎かけは苦手なほうなんだけど」
「まあ、聞くだけ聞いておけ。・・・お前は、手技を失うことと引き換えに、比類なき速さの蹴りを手に入れることになる。・・・追加条件のスーチャオのことは、ちょっと別だ。・・・とにかくお前は、手技を使えなくなる。ただしそれは、言い換えれば、比類なき速さの蹴りを出せるから、手技を使えないということだ」
「ん???よく分からんぞ。言い換えるも何も、同じことを言ってるだけじゃねえのか?」
「さあな。このヒントから何を汲み取るかは、お前次第だ。・・・さあ、交渉成立だ」
ウォンの周りで、竜巻が起こった・・・ような気がした。
「今のお前は、手技なぞ無くとも、そうそう負けはせん。存分に暴れてこい」
「ああ。そのつもりだ」
そしてウォンは、瞑想から覚めた。
「・・・ウォン?」
目の前に、スーチャオがしゃがみ込んでいた。
「ん・・・ああ」曖昧な返事をしながら、ウォンは結跏趺坐のままで、両手を握ったり開いたりしてみた。
自分の腕とは思えなかった。
まるで、武術の練習などしたこともない、子供の腕と取り替えたような・・・そんな感覚だ。
ともあれウォンは、自分が今まで懸命に積み上げてきた両の手の功夫が、失われたことを・・・そして、二度と積み上げることはできないことを、理解した。
分かっていたこととはいえ、さすがのウォンも、ショックを受けていた。
「はあ〜っ・・・」両手を地についてうなだれ、溜め息を吐く。石畳の、冷たくてザラザラした感触も・・・(交渉前は、もっと繊細に感じ取れたんだけどなっ・・・)と思うと、切なくなった。
だが。
5秒後には顔を上げ、体幹のバネで、結跏趺坐のままポーンと跳ね上がり、空中で足を伸ばしてすっくと立った。
「ま、いっか」ウォンは、理解したことを受け入れるのも早い男だった。
(さて・・・と)ウォンはすぐには銀行に行かずに、周囲を見渡した。
50メートルほど先に、かなり大きな邸宅があり、そこは3メートル近い高さの立派な白壁で囲まれていた。
「・・・ダンフウ。ちょっと頼みがあるんだが」ウォンが真顔で問う。
「ん?何だ。何でも言ってくれ」ダンフウも真剣だ。
仲間の命がかかっているのだから、無理もない。
「あの、白壁だが・・・警備隊の予算で、修理費が出せるか?」
「壁の修理?ああ。そのぐらい、いくらでも出す・・・けど・・・どこも、壊れてるようには見えんぞ」
「これから壊れるのさ」
ウォンはいきなり駆け出すと、白壁の手前10メートルほどの位置で止まった。
「ふっ・・・思い出すな。まだ、学校にも行ってないような、子供の頃だった。この壁に落書きをして、ここの親父に殴られたっけ・・・あの時の怨み、今こそ晴らしてくれん」
ウォンは意外と根に持つタイプだった。
とはいえ、この家の住人を直接傷付けるつもりは、勿論無い。
壁の向こう側の氣を慎重に探り、誰もいないことを確認してから、ウォンは両手を腰の後ろで組み、氣勢を上げた。
ダンフウとスーチャオは、駆け出したウォンを慌てて追いかけていた。
ウォンの立っている場所まで、あと15メートルほどの所で・・・ウォンの右足が、一瞬ぼやけたように、ダンフウとスーチャオは感じた。
同時に、ザッ。・・・クッ。・・・という音が聞こえた。
ウォンが「ヒュゥ」と口笛を吹く音が続く。
「いやー、試し撃ちってのは、してみるもんだね。全力どころか、3割の力でこれかよ・・・危ない危ない。いくら強力な技ったって、虐殺技じゃあ洒落にならんもんな」