救出・3
だが実はウォンの本音としては、足技よりもむしろ、手技のほうが好きだった。
勿論、上下相随という、手足の協調があってこそ技の質が高まる、ということを理解した上でだ。
ウォンは本当に武術が好きで、武術に対して誠実だった。だから偏ることなく五体をバランスよく鍛えた。
そうすると結局、足というのはいくら鍛えても、手ほど繊細には動かないということが身に沁みて分かった。いや、この頃のウォンの足は、既に一般人の手よりも余程器用に動くようになっていたのだが、同時に手もしっかり鍛えているから、やはり足よりも手のほうが緻密に動くのだ。
縦横無尽に風を切る蹴り技は、勿論好きだ。
だが、動いたのかどうかすら分からないような、小さな動きで相手を翻弄する手技は、いかにも玄人向けというか・・・通好みだと、ウォンは考えていた。
白髪の似合う老人になったら、蹴りは蹴りで上手いが、その上でいぶし銀のような手技を駆使する渋い武術家になろうと、気の早いことまで考えていた。
そのためには・・・(やっぱり、ハゲよりも白髪のほうがサマになるだろう)と考え、まだ二十歳前だというのに、髪や頭皮のケアにも余念がなかった。
18歳になり、スーチャオやチェンフーが、そろそろ卒業後のことを考えるようになった頃。ウォンもまた将来に向けて、ひとつの試みをした。
「魂との交渉」に挑戦したのだ。
ウォンは、フェイやシュウと違って、嫌な部分も含めて自分をまるごと受け入れるタイプだったので(単なる自分大好き人間ともいえるが)、さほど苦労することなく魂と会い、交渉もトントン拍子で進んだ。
「・・・して、お主はどのような力を望むのか?」重々しい声で、魂が問うた。
「速い蹴りだ」ウォンは即答した。
「お主の蹴りは、もう充分に速いと思うが・・・更なる速さを、望むのか」
「おう」
この頃、ウォンは珍しく煮詰まっていた。無極之氣の発現に成功し、身体能力を高め、常人には真似できないほどの速い蹴りを放つことができていたのに、だ。
彼は格闘戦に優れた武術家だ。だから氣弾は撃てない。
とはいえ、氣弾の遣い手と戦っても、そうそう負ける気はしなかった。大抵の氣弾は、避けるなり打ち消すなりして、自分の間合いに持ち込む自信があったからだ。
ただ、自分に「遠い間合いからの攻撃手段が無い」という一点の事実が、気に食わなかったのだ。
そこでウォンは、蹴りのスピードに注目した。
この頃既にウォンの蹴りは、風刃脚の発動の一歩手前まで達していた。
ウォンは蹴りの練習を繰り返すうちに、蹴りが一定以上の速度に達すると、空気を切り裂いて真空地帯を作り、そこに流れ込む風が刃のように作用することに、感覚的に気付いていた。
だが、最後の壁が中々越えられない。そこで交渉を試みたのだ。
「突きの速さよりも、蹴りの速さを望むのか?」
「ああ。飛び道具への転用が目的なんでね。繊細な動きとか、予備動作の無い早さってことなら、手技に分がある。けど、単に『速い』ってだけなら、やっぱり蹴りの先端のスピードが一番だからな。で・・・風の刃を発生させるには、こういう単純な速さが必要なんだ。速けりゃ速いほど、威力も期待できるしな。やっぱり蹴りだな」
「ふむ・・・で、一体何と交換するつもりだ?」
「・・・手技の封印だ」ウォンは事務的に答えた。
「・・・ほう・・・お主ほどの武術家が、手技をな・・・」
「そう。手技と引き換えに、俺の蹴りは・・・どれほど速くなるんだ?」
「ふむ・・・む。大したものだ。お主の蹴りは、風の刃を発して余りあるほどの速さを、備えることができるぞ」
「そうか。そりゃよかった」ウォンの声が、ホッと緩んだ。
「それで、どうする?交渉を進めるか?」魂が問う。だがその口ぶりは、ウォンの答えが分かっているかのようだった。
「いや。止めておく」ウォンは明るく否定した。
「やはりな」
「ああ・・・ちょっとここんとこ、珍しく進歩がなかったんでね。柄にもなく焦っちまったんだ。けど、これで充分だ。俺の蹴りに、それだけの力が潜在しているということが、確認できればね。あとは、これからゆっくりと・・・手技の封印に匹敵するような手間暇をかけて、蹴りを磨くさ。功夫ってのは、そういうもんだろ?」
「その通りだ。その気持ちを忘れずに、精進するがいい」
・・・そしてウォンは、瞑想から覚めた。
チェンフーは卒業後、地元の警備隊支部に配属された。
卒業直前に、彼はウォンを、警備隊に入らないかと誘った。
「お前ほどの腕があれば、格闘術の顧問でも何でも、潜りこむ手はある筈だよ。そのほうが、お前の技を直接世の中の役に立てられるし、生活も安定するぞ」チェンフーの言葉には、一理あった。
サントン国は確かに武術が盛んな国だが、それでも武術家一本で食べていけるのは、ごく一部の者だけだ。ウォンはその「ごく一部」の中に余裕で入れるだけの実力があったが、それでも警備隊員と比べれば、不安定な職業だった。
「お前の気持ちは嬉しいけど、遠慮するよ」ウォンは笑って首を振った。「お役所とか、警備隊とか、お上関係の職場ってのは堅苦しくってね。俺の性に合わない」
「そうか。・・・ちょっと残念だな。お前と一緒に、社会のために働けたらいいと思ったんだが・・・」
「安心しな。それなら、半分近くは実現するぜ」
ウォンは、チェンフーの警備隊への入隊とほぼ同時に、職業武術家として個人で事務局を起ち上げた。
起ち上げたといっても、従業員はウォン一人だ。
一般的に、職業武術家の主な仕事は、隊商などの旅に同行して、盗賊などから商人や荷を守るというものだ。ウォンもそういう仕事を、それなりに引き受けた。隊商に付いて、色々な土地や国を見て回るのは、変化を好むウォンにピッタリの仕事だった。
だがウォンが引き受けたのは、それだけではない。
警備隊が苦戦するような大人数、もしくは遣い手の犯罪者が現れた時に、捜査や逮捕に協力するのだ。
ウォンは隊商の護衛と、警備隊への協力、それに道場の師範代も掛け持ちした。
老師からは、もう師範になってもいい頃合だと言われたが、丁寧に断った。
「引き受けてくれんのか?ウォン。ワシは、場合によっては、お前に道場を譲ろうかと思っとるんだが」道場主のルーバイ老師は、残念そうだった。
「そりゃまずいですよ、老師。俺には師範代ぐらいが丁度いいんです。俺みたいないい加減な奴に、流派の看板なんか背負わせたら、一門の存亡の危機ですよ」
ウォンがそう言って笑うと、ルーバイも「そうかもしれんな」と、一緒になって笑った。
ちなみにスーチャオは、会計の学校を卒業後、銀行に勤めていた。
ウォンとチェンフーとスーチャオの、三者三様の生活が、2年ほど続いた。
ウォンが20歳になった頃の、ある日に。
その日のウォンは、仕事がポッカリと開いたために、自宅兼事務局でボーッとくつろいでいた。
いや、ウォン本人はくつろいでいたのだが、他人が見ればとてもくつろいでいるようには見えなかっただろう。
ウォンは椅子の上に、腕組みをして左足一本で立っていた。右足はピンと伸ばして、顔の高さに上げている。
しかも、この椅子は4本足なのだが、その内の3本が床に着いていなかった。