救出・2
もっともウォンは、相手の得意技を誘いはするが、決めさせはしない。
ギリギリで見切ってカウンターを合わせるのだ。その見切り加減が、また絶妙だった。
あと少しで拳脚が届きそうなのだ。
いや、感覚的には届いている。だが手ごたえがない。当たっていない。
それほどウォンの見切りは繊細だった。
これで、見切られるほうは発奮する。あと一息の・・・いや、一息にも満たない間を、どうやって詰めるか。
それを考えて工夫をする。工夫する度に、ますます得意技が磨かれる。
ウォンにしてみれば、「得意技というのは、その人にとって一番キレがいいとか、威力があるとか、とにかく質の高い技なのだから、なるべくそういう技を出してもらったほうが、いい練習になる」し、「得意技を出させるということ自体が、駆け引きの練習になる」し、逆にいえば「得意技を封じたり、出させない練習にもなる」し、「ギリギリで見切れば見切るほど、攻めに転じる際のタイムロスが少なくて済む」し、「どうせなら、その得意技をますます質の高いものにしてもらえれば、こちらも更にいい練習ができる」から、積極的に相手の得意技を誘い、「届いた」と錯覚するほど際どい見切りでかわし、相手の発奮をも促していたのだ。
ただ普通は、得意技をきれいに見切られれば、それなりに落胆するのが自然な筈だ。だがウォンに限っては、得意技をどんなに鮮やかに見切られても、それほど深く落ち込むことはなかった。
勿論不愉快ではあるが、それよりも向上心を強く刺激された。
これは、ウォンが武術に取り組む姿勢に因るところが大きい。
ウォンは武術を、闘争の道具というよりは、コミュニケーションの一手段と捉えていた。
なるべく楽しくコミュニケーションを交わすためには、相手を傷付けないように注意する必要がある。
勿論、散手などをすれば、「勝ちたい」という欲求はあるし、そのために全力も尽くす。手加減などはしない。手加減などしたら、かえって失礼だからだ。
だが、ウォンの「全力」や「本気」は、あくまでもルールの枠内で勝つためのものであって、いたずらに相手を傷付けたり、痛めつけたりするためではなかった。
例えば、過剰な痛みを与えないとか。非情な追い打ちをしないとか。そしてウォンは何よりも、練習相手に対する敬意を忘れなかった。
だから皆、ウォンとは建設的な気持ちで打ち合いの練習ができたのだ。
・・・それと、同じように得意技が見切られるにしても、技量が自分と同程度の者に見切られれば、より悔しいし傷付きもするが、ウォンのように桁外れの才能を持つ者に見切られるのなら、ある意味当然のことだし諦めもつく。
そう、つまりウォンと散手や対打をしたことのある者は皆、ウォンのことを「おちゃらけた奴だ」と思いはしても、武術の才能と実力だけは、認めていたのだ。
だが、チェンフーはそれが不満だった。
彼は、自分と同い年でありながら、これほど深く武を追求し、なおかつ人を傷付けないような気配りのできるウォンを、高く評価していた。尊敬していたといってもいい。
そんなウォンが、「悪戯好きの、ふざけた子供」だと認識されるのが、チェンフーには我慢ならなかった。だから、ことあるごとにウォンの悪ふざけをいさめていたのだ。
ウォンにも、そんなチェンフーの気持ちが伝わっていたので、チェンフーの言葉には素直に従っていた。
ただ、ウォンはチェンフーから叱られるのを、むしろ楽しいと感じていたので、結果としてウォンの悪戯癖が直ることはなかった。
ウォンが10歳の頃の、夏のある日に。
ウォンの家にチェンフーが遊びに来ていて、そこにスーチャオもやって来た。スーチャオの母親が、ウォンの母親に用事があったので、一緒に連れられて来たのだ。
母親同士が世間話に興じている間、ウォンとチェンフーとスーチャオは、一緒に遊んでいた。
チェンフーとスーチャオは、これが初対面だった。
学校に通うようになってから、ウォンとスーチャオは少々疎遠になっていたが、ウォンは何となく、スーチャオとの親しい間柄をチェンフーに見せたくなって、必要以上にくせ毛のことや、着ていた服の柄などをからかった。
そして、スーチャオがそれに反応して怒り出すよりも先に、チェンフーがピシャリと「嫌がってるじゃないか。女の子をいじめるのは良くないよ」と、釘を刺した。
その言葉で、途端にしゅんとなって萎れるウォンを見て、スーチャオの目が輝いた。
ウォンは急に、自分がひどくつまらない人間のように思えてきた。
その日から、3人はよく一緒に遊ぶようになった。
だがウォンには、スーチャオはチェンフーしか見ていないように思えた。
そのうち、スーチャオとチェンフーの二人だけで遊ぶことも、多くなった。
基礎教育の学校を卒業する・・・15歳の頃には、もはや誰の目にもはっきりと、スーチャオとチェンフーが、お互いに好き合っていることが分かった。
その時になって初めてウォンは、自分がずっと以前からスーチャオのことが好きだったのだと気が付いた。
だが、もう遅かった。「馬鹿だねえ、お前は」ウォンの母親は、しみじみと息子に言い放った。その通りだと、ウォンも思った。
この頃からウォンは、よくナンパをするようになった。寂しさを紛らわすためでもあり、スーチャオとチェンフーに見せつけるためでもあった。
我ながら馬鹿馬鹿しいと思ったが、その背徳感がちょっぴり快感でもあった。
ただ、ナンパを繰り返すほど、スーチャオへの思いが募った。だから、ちょっとお茶を飲んだり、散歩をしたり、雑談をしたりといった、浅いナンパに専念した。
深い関係を求めない女を捜す嗅覚は、こうして磨かれていった。
基礎教育の学校を卒業してから、チェンフーは警備隊の訓練校に進学した。絵に描いたような適正な進路だった。
スーチャオは、会計の学校に進学した。彼女は氣の操作はあまり得意ではなかったこともあって、事務系の職に就くつもりだった。
そしてウォンは、進学しなかった。その代わりに、通っていた道場の師範代となった。
ウォンの腕なら、既に師範として充分にやっていける実力があったのだが、そこはそれ、先輩を立てるという意味で、まずは師範代からという順序を踏んだのだ。
ただ、師範でなければ、かかる責任も拘束時間も少ないから、その分武術の修行ができるので、むしろウォンは師範代というポジションを気に入っていた。
この頃に、ウォンの武術は完成度を一気に高めていた。各地での武術大会にも参加し、優勝をしまくって、自身と道場の名を高めた。
ウォンは、紛れもない天才武術家だった。そしてそれ以上に、努力家だった。
そして更にそれ以上に、努力を人に見せるのが嫌いだった。要は「ええカッコしい」なのだ。
だから大勢のギャラリーの前で試合をする時は、派手な蹴りを決め技に使うことが多かった。蹴りをより派手に、華やかに見せるために、より高く、より速く、よりアクロバティックでトリッキーな動きをした。
ウォンの試合を観戦した者は、そのスピードや変幻自在のテクニックに目を奪われた。
そんなウォンの動きは、毎日の圧腿や劈叉といった地道な練功の裏付けがあってこそなのだが、当のウォンは、そういった地味な部分は決して人前では見せなかった。
次第に、ウォンの「派手好きな天才」というイメージが、固まりつつあった。