救出・1
風刃脚のウォンは、サントン国の出身だ。
彼は5歳の頃から、近所の道場で武術を習い始めた。
サントン国は特に武術が盛んな国で、高名な武術家を多数輩出していたが、それでも武術で身を立てることができるのは、ほんの一握りの者だけだった。
ウォンの両親も、息子を職業武術家にするつもりはなく、芸事の一つとして、大して深く考えもせずに習わせていた。
だがウォンは瞬く間に、その才能を発揮した。
入門してから3年もすると・・・まだ8歳だというのに、大人と対等に打ち合うことができていた。15〜16歳までの子供が相手なら、苦もなく勝ってしまった。
ウォンはスピードやパワーも勿論だが、それ以上に天性のリズム感に恵まれていた。まだ子供のウォンと向き合った者は、子供も大人も、知らぬ間にウォンのペースに巻き込まれて、気付いた時には打たれていた。
ウォンのこの力は、彼の性格に因るところが大きかった。
ウォンはとても明るく、マイペースで、同時に無作法で無節操だった。子供というのは大抵、無邪気で落ち着きがないものだが、ウォンの場合は度を越していた。
道場でも学校でも、じっとしているのが苦手で、静かにものを教わることができなかった。
だが少なくとも武術に関しては、師の教えを聞くまでもなく、その動きを見るだけで技を記憶し、再現することができた。
とにかくウォンは、武術が好きだったのだ。
そしてその奔放な性格は、習い覚えた多彩な技を、変幻自在に繰り出した。
ただバリエーションが豊かだとか、連繋が巧みだとか、そういうことではない。
ウォンは相手が想定していない技を選ぶセンスに長けていた。
元々意外性の塊りのようなウォンは、確かに技の引き出しも多かったのだが、「ここでこんな動きをすれば、相手が戸惑う」という勘所を押さえるのが、とにかく上手かったのだ。
そして、その狙いが的中すると、手放しで喜んだ。これは、武術に限らず、学校や日常の生活の中でも同様だった。
つまりウォンは、単に無邪気で無節操で無作法だったのではなく、何をすれば相手が驚くか、ということを読み取った上で、確信犯的にふざけていたのだ。
ただ、それはつまり、人の気持ちや心を読み取ることに長けているということでもある。
そしてウォンは、ただ人を驚かせるだけでなく、ギリギリの所で人を思いやる心を持っていた。ふざけて悪戯をしても、武術の練習でも、「ここを攻めるのだけは良くない」という部分を敏感に察知し、人を無用に傷付けるような真似はしなかった。
だから周囲の人間は・・・子供も、大人も、ウォンのことを「困った奴だ」「ふざけた子供だ」とは思いつつも、何となく憎めずにいた。
いや、底抜けに明るいウォンは、むしろ皆から好かれていたといっていい。
ウォンの家の近所に、スーチャオという、ウォンと同い年の女の子が住んでいた。
ウォンとスーチャオは両親も顔見知りで、よく一緒に遊んでいた。お互いの家を行き来することも多かったので、二人はいわゆる幼馴染だ。
スーチャオは、目鼻立ちのはっきりした可愛い子だった。彼女の緑がかった黒髪は、軽いくせ毛で、スーチャオはそれを少しばかり気にしていた。
ウォンは、よくそのくせ毛をからかっては、スーチャオを怒らせていた。人が常日頃から気にしていることを容赦なく突くというのは、ウォンにしては珍しいことだった。ウォン自身、髪のことでスーチャオをからかうのは、まずいと分かっていたのだが、なぜかスーチャオを目の前にすると、必要以上に品の無い言葉が出た。
だから、スーチャオのウォンに対する評価は、周囲の他の人間が下すものより一段低かった。
ウォンは、ふざけても悪戯をしても、相手を本気で怒らせたり傷付けたりはしなかったから、被害者も笑うか、呆れて肩をすくめて済ませることが殆んどだった。
だがスーチャオは違った。ウォンがくせ毛のことなどを、あまりしつこくからかうような時は、本気で怒鳴り返していた。
それがまたウォンには、新鮮で刺激的だった。かくしてウォンは、いよいよスーチャオをからかうことを止められなくなっていた。
ウォンが通っていた武術の道場に、チェンフーという、ウォンと同い年の男の子がいた。
彼は四角くてカッチリとした顔立ちで、性格も四角四面というか、真面目な性質だった。
チェンフーはウォンより一年早い、4歳から道場に通っていて、才能もそこそこにあったのだが、さすがにウォンほどではなかった。6歳の頃には、チェンフーはもうウォンには手も足も出なくなっていた。
だが、ウォンとチェンフーは不思議とウマが合った。
ウォンがふざけたり、悪戯をしても、ニヤニヤしながら見ている者が殆んどの中で、チェンフーだけははっきりとウォンをいさめた。
ウォンも、チェンフーの言うことなら素直に従った。両親の言うことよりも、よく聞いたかもしれない。
・・・いや、これは逆だ。そもそもウォンは、他人から本気で注意をされない程度に、ふざけ方や悪戯を手加減したり、工夫したりしていた。だが、チェンフーはそれでも、ウォンの悪ふざけを可能な限り止めさせようとした。
チェンフー以外の人間が、ウォンに注意したり、叱ったりすることが少なかったのは、ただウォンを許していたというだけではない。
人は誰でも、ちょっとふざけてみたいとか、羽目を外したいという気持ちを持っている。ウォンの悪戯は、見る者のそういった欲求を満たすような、他愛の無い物が殆んどだった。つまり、ウォンを放任することは、「ふざけたい」「羽目を外したい」といった欲求を、ウォンに肩代わりさせることでもあった。
これが、ウォンがあまり叱られない理由の内の、かなり大きな部分を占めていた。
だからウォンは、皆から好かれてはいたが、根本的には「困った子供」だという評価を受けていた。
チェンフーが、それが気に入らなかったのだ。
チェンフーは、ウォンと散手などの打ち合いをすると、何もできずにウォンにやられていた。それは勿論悔しいことだったが、少なくとも惨めではなかった。
何度やっても、ウォンには勝てない。なのに、何度でも挑戦したくなる。ウォンとの練習には、そんな不思議な魅力があった。
ウォンの武術の本質は、相手の虚を突くことだった。
当然といえば当然だ。だが、「虚を突く」という概念は、案外広い意味を持っている。
フェイのように相手の死角に貼り付き、隙を狙って打ち込むという戦法は、武術における「虚を突く」ことの基本だ。ウォンの戦術も、突き詰めればそういう動きになる。
だがその表現方法が、フェイとはまるで違っていた。
ウォンは物理的によりも、むしろ心理的な虚を突くことに長けていた。相手が思いもよらない角度やタイミングから、攻撃を加えるのだ。
それが対戦相手にとっては、「心地よく、期待を裏切られる」感覚を起こさせていた。
またウォンは、ただ相手の虚を攻めるだけでなく、長所を伸ばすようにもしていた。
例えばチェンフーはフェイントの蹴りから中段への突きという連繋が得意だったが、ウォンはチェンフーと散手をする時は、必ず2〜3回は、その連繋を出し易いように、構えを変化させていた。