契約・5
「・・・何のつもりだ」ヨウがフェイを睨む。
「『何のつもりだ』はこちらの台詞です。遊びは終わりじゃなかったんですか?反撃もせずに、避けるためだけに避けたりして」
「遊びというよりも、準備体操だな。この状態での自分の動きを確認しておきたかったのだよ」
「・・・で、具合はどうです?」
「上々だ」
「じゃ、本番といきましょうか」
「そういたそう」
ヨウは右に旋回しながら突進して、剣を薙ぎ払い気味に突き出す。
フェイは回転の先回りをするように踏み込み、鉄扇で剣を迎えて封じつつ、左拳をヨウの脇腹の章門穴に打ち込んだ。
(やった!)パイは軽くガッツポーズをしてはしゃいだ。
しかし、ヨウはニタリと笑うと「フン!」と息を吐いて身を震わせ、剣が鉄扇に触れた状態から一閃・・・鉄扇を斬り裂いた。
剣はなおも勢いを緩めず、フェイの首筋へ向かう。
フェイがポトリと落ちるように身を沈めて剣をかわすと、ヨウが体を開いて正面に立つ形になった。
フェイはすかさずポンッと浮くように伸び上がり、左拳でヨウの顎を打ち上げる。首が跳ね上がった。そのままヨウの足の間に歩を進め、「哈!」と鋭く息を吐きつつ肩で体当たりをする。
ダムッ、という鈍い音が響き、ヨウが3メートルほど吹っ飛んだ・・・が、平然とした顔で着地する。
フェイの額に汗が滲む。斬られて宙を舞っていた鉄扇の骨が、バラバラと地に落ちる。
「・・・嫌味な人ですね。拳の打ち上げと靠(体当たり)は、わざともらったでしょう」
「ふん。まあその前の左の突きで、お主の攻撃は効かんと分かってしまったからな・・・しかし恐ろしい奴だな。これだけ黒鎧氣を高めたというのに、動きだけはキッチリと付いてくる・・・いや、それ以上か。左の突きは本当にもらってしまったのだからな。・・・だが、これで分かったろう。お主には、今のそれがしを倒せるだけの攻撃力は無い。逆にそれがしが、お主を斬るのはずっと容易い。もう鉄扇はないのだからな。・・・それとも予備があるか?」
「残念ながら、ありません」フェイは半分以下の長さになった鉄扇を捨てた。
パイは動揺していた。
(駄目だ。どう見てもフェイが不利だわ。やっぱり逃げよう。次の攻防が始まったら、振り返らずに走ろう)
しかし、パイの思惑は外れた。
「うーんヨウさん、すみません。ちょっと待っていただけますか」
フェイがいきなり「待った」をかけたのだ。
「それは構わんぞ。それがしも先刻、待ってもらったしな」
「では、お言葉に甘えて」フェイは振り返ると、こともあろうにパイに向かって歩き始めた。
パイはあからさまに迷惑そうな顔をする。
心なしか、フェイも多少は困惑したような面持ちで、パイの正面に立ち・・・いきなり両手を合わせた。
「お願いします、パイさん。僕に力を貸してください」
パイは、フェイの言葉の意味を理解できずにうろたえた。
「・・・えっ?私?・・・いや、私なんかよりもホラ、その辺にずっと強い人とか、氣弾が上手い人とか、たくさんいるから、大体フェイのほうが私よりずっと強いのに、私に貸せる力なんてあるわけ無いし、いやそれでも腕を繋げて治してもらったのは、感謝してるしそれなのに、あなたを放って逃げるとか、いやだから力になれないのは心苦しいんだけど・・・」とにかく関わりたくない一心で、まくしたてつつジリジリと後ずさりをする。
「いえ、それでいいんです。この中で、あなたは誰よりも恐怖を感じ、逃げ腰になり、助けを求めています。その上、僕と氣の波長がとても似ています」
「えっ?・・・あの、それがあなたに力を貸すことと、どういう関係があるの?」
「あなたの、その『助けを求める心』が、僕の力になるんです。・・・お願いします。パイさんを『衛る』という『契約』を、僕と交わしてください」
フェイの顔には、申し訳なさそうな表情が浮かんでいた。
しかし、それ以上に(『契約』さえすれば、この状況を何とかできる)という自信が漲っていた。
「あの・・・それで、『契約』とかをすれば、勝てるの?」
「勝てます」フェイは大きく頷き、真っ直ぐにパイを見る。
パイは考えた。(この際、逃げるのは後でもいいか。逃げちゃったら警備隊の仕事には戻りづらいしね。そうなると食べてくのに困っちゃうし。フェイが勝ってくれれば、それが一番なんだから、協力できることはしておいて・・・それでもフェイが負けたら、その時こそ迷わず逃げればいいじゃない)結論が出た。
「・・・分かった。ごめんね。考えてみたら、民間人のあなたにばかり戦わせてるんだよね・・・『契約』とかで、あなたの力になれるんなら、やってみるわ」社交辞令と本音が半々だった。
「ありがとうございます。・・・パイさんの厚意は、決して無駄にはしません」
「おーい、まだか?」ヨウは退屈そうだ。
「言っておくが、それがしを待たせておいて時間を稼ぎ、高め過ぎた黒鎧氣でそれがしが自滅するのを狙っているのなら、無駄だぞ。いかに今の状態が消耗が激しいとはいえ、このままでも1時間はもつからな」
「いえ、そんなつもりはありません」フェイは横目でチラリとヨウを見てから、右手の示指でパイの眉間の印堂穴を点穴し、左手の示指で自分の印堂穴を点穴した。パイは、自分がフェイに吸い込まれるような、逆にフェイが自分に入り込んでくるような、妙な錯覚を覚えた。・・・そして。
パイの眉間に銀色の光が浮かび・・・フェイの髪と目もまた、銀色に輝き始めた。その銀色は、光り輝いているようでもあり、闇に沈むようでもあった。
いつの間にか、ヨウがすぐ近くまで来ていた。周りの警備隊員や武術家は、黒鎧氣に圧倒されて身動きできない。
「何だ、面白い手品だな・・・特殊な『無極之氣』を練っているようだが、どんな効果があるのだ?」
「やってみれば分かりますよ」フェイが振り返りもせずに答える。
「よろしい。ならば、早くこちらを向け」ヨウが剣先をフェイの背中に向ける。
「いや・・・もう、始めてもらって結構ですよ」フェイがお互いの額から指を離す。だが、ヨウには背中を向けたままだ。
「・・・今度こそ、遊びはせんぞ」
「ご自由に」
フェイの返答を合図に、ヨウが剣を突き出す。
パイは仰天していた。(フェイの馬鹿!背中を刺されるわよちょっと、早くよけて!あ、よけたら私に刺さるわ。やっぱり避けるな!)
だが、フェイは刺されもよけもしなかった。
ブルンッと身を震わせて右回りに振り返りつつ、左拳で剣を下から突き上げる。キシャッと悲鳴を上げて、剣が真っ二つに折れた。
フェイは勢いを緩めずに踏み込み、右拳をヨウの胸に叩き込む。今度は点穴を意識していない。する必要がないから・・・フェイの銀色の目は、現在の自分の拳への信頼を、そんな風に映し出していた。
パイの耳の中で、フェイの拳の唸りとヨウの胸骨の砕ける音がこだましていた。
契約・了