再会・10
「うおっ、ウォンさん?いつからそこに?」パイは跳ね上がって硬直した。
「えーと・・・いつからだっけ?」ウォンが女に訊ねる。
「んっと、『鋼皮功は、普通の硬氣功じゃない』って辺りからね」
「・・・殆んど、最初っからじゃないですか。立ち聞きしてたんですか?」
「んっ?まあな。シュウの演武が終わったトコで、この姉ちゃんが、そろそろ帰るっていうから・・・」
「明日も仕事があるもの。そろそろ帰って寝なきゃ」
「おう。何なら、添い寝してやろうか?」
「結構です。美味しいもの食べたし、ラウさんの舞も観れたし。もう充分」
「あ、そ・・・」
「いや、だからそれが、立ち聞きと何の関係があるんですか?」パイが噛み付く。
「んっ?あ〜だから、この姉ちゃんをだな、そこまで送ろうと思ったら、フェイが血相変えて出てって、その後をパイさんが追ってるだろ。何か面白そうだったんで、つい」
「『つい』じゃないでしょう、『つい』じゃ・・・ま、聞かれちゃったものは、仕方ないけど」パイは、こういうことは達観している。
「そうそう。その通り」ウォンはひたすら調子がいい。
「図に乗らないでください。・・・あ、そうだ。立ち聞きなんてセコイ真似をしたんですから、ウォンさんもひとつ、秘密を教えてくださいよ」急にパイの目が輝きだす。
「ああ、構わんぞ。どんなことだ?俺の魅力についてか?そりゃ何と言っても、この甘いマスクだな。それと、風になびく長髪。あと、隠し味になってるのが、この白く輝く歯・・・」
「違います。んな事どうでもいいです」
「あ、そう?残念」
「残念じゃありません。あのですね、ウォンさんって、元々は手技も足技も、バランスよく使うタイプだったじゃないですか」
「えーと、そうだっけ」
「そうですっ!それが、9年前からいきなり、足技しか使わなくなったでしょ?両手はもう、腰の後ろで組んだままにしちゃって」
「ああ、そういやそうか」
「全く、とぼけちゃって・・・それで、何で手技を使わなくなったのかって、色んな人から質問されたでしょ?投影玉の番組製作者とか、新聞や雑誌の記者とか」
「おう。今でも時々聞かれるぞ」
「でも、ウォンさんたらいーっつも『企業秘密だ』とか、適当なこと言って誤魔化してるじゃないですか」
「あの、『企業秘密』なら、それほど適当でもないと思いますけど・・・」フェイが口を挟む。
「ええい、やかましいわね。・・・とにかく、どうしてウォンさんは、手技を使わなくなったのか、興味があるのよ。立ち聞きした罰として、正直に答えてちょうだい」
「あ、それ、私も知りたーい」ウォンがナンパしてきた女も、手を叩いてはしゃぐ。
「それでなくってもさ、錬武祭で一緒に戦う仲間でしょ?隠し事はやめましょうよ。ね?」パイは歯を見せて笑いながら、ウォンを肘で小突く。
「フッ・・・そこまで言われちゃあ、仕方ありませんね」ウォンは、数秒ほど目を伏せて間を取った。
と、いきなり身を翻すと、両手で、ナンパしてきた女と、パイの肩を抱き寄せる。
「今こそ、真実を語りましょう。・・・俺はね。ある日突然、気付いてしまったんですよ。俺のこの両の手は、戦うためにあるのではない・・・女性に触れるためにあるのだ、ってね」ウォンは重々しく語った。
「それで、足技しか使わなくなったと・・・?」パイが静かに訊ねる。
「そうです」白く輝く歯を見せて微笑みながら、ウォンは仰々しく頷いた。
「ふざけるのも、大概に・・・」パイは呟きながら、ウォンにぶつけるために、小さな雷を練った。
だが、それをウォンに当てれば、ウォンが抱きかかえている女まで一緒に痺れさせてしまうことに気付いた。
「んっ?どうしたのかな、パイさん?」ウォンがとぼけて、更に空々しい笑顔を作る。
勿論ウォンは、パイが雷を放てないことを承知しているのだ。
すっかり頭に来たパイは、黙って雷を消しながら右足を上げ、間髪いれずにウォンの左足の甲めがけて踵を踏み下ろした。
「あふっ?」裏返った叫び声を上げて、ウォンはバネ仕掛けの人形のように跳ねながら、二人の女性から離れた。
そのまま左足を掴みながら、ピョンピョンと廊下を跳ね回るウォンを、パイはニコニコしながら睨んだ。
勿論、ウォンならパイの踏みつけをかわすなど、造作も無いことだった。
だが、雰囲気と会話の流れから、ウォンはこの「足踏み」は「受けるのがお約束」だと判断してしまった。パイもそのつもりで、少々強めに踏んでいた。
これなら、雷のほうが苦痛は少なかったかもしれない。
「ひどいなあ、パイさん。さっきの『女性に触れるため』ってのは、かなり真面目な答えなんだぜ」
「やかましいわ。そういう問題じゃなくて、ごちゃごちゃと理由を付けて抱きついてくるってのが、気に入らないのよ」
「あ、なるほど」
「あの・・・ウォンさん、大丈夫ですか?」フェイが心配半分、呆れ半分で訊ねる。
「ハハッ・・・何てこたあない。ま、男ってなあ、往々にしてこんな風に、つまらん見当違いから余計な苦痛をしょい込むってえことが、間々あるもんだ」
「・・・ピョンピョン跳ねながらカッコつけても、決まりませんよ」パイが混ぜっ返す。
「うむ。・・・とにかく、シュウだって似たようなもんだと、そう言いたいのだよ」ウォンが、ようやく左足を下ろしながら呟く。
「・・・え?」
「そもそも武術ってのは、いかにして相手の攻撃を受けずに、自分の攻撃はしっかり当てるかっつう所を出発点にして、技を磨くもんだ。ところがシュウの奴は、相手の攻撃を受けるってことを前提にして、功を積みやがった。言っちゃなんだが、あれじゃあいくら凄くても、武術とは言えん」
「・・・はい」フェイがまた俯く。
「だがな。見当違いだろうと何だろうと、シュウは真剣に考え抜いた上で、あのやり方を選んだんだ。そのことについて、周りの人間がとやかく言うこたあない。それに現実に、奴の功夫は大したもんだ。だろ?」
「・・・はい」フェイが顔を上げた。
「だがな。シュウがもし錬武祭や、シバと向き合った時に、命を粗末にするような真似をしたなら、それはまた別の話だ。そん時には、ぶん殴ってでも止めてやれ。もし、お前の拳が届かないようなら、俺が蹴っ飛ばして止めてやる。いいな?」
「・・・はい」フェイの表情に、明るさが戻っていた。
「・・・あのー、フェイに殴られたり、ウォンさんに蹴られたりしたら、それだけで充分死ねると思いますけど・・・」何となく上手く利用された気分のパイは、口を尖らせて茶々を入れたが、悪い気分ではなかった。
「わははは・・・さ、じゃあ行こうか。人気の多い所まで送るよ」ウォンは囁きながら、ナンパしてきた女の肩を抱いて、歩き始めた。
その、ウォンの背中に向かって、フェイは深く頭を下げていた。
シュウは見事な跳躍で、窓から食堂に戻ると、ランに礼を言ってから、すぐにフェイを探した。鋼皮功の感想を聞こうと思ったのだ。
だが、そのシュウの前に、杯を二つ持ったラウが、スッと立ちふさがった。
「お疲れ様です。見事な技でしたね・・・ま、一杯どうぞ」ラウは片方の杯を、シュウに差し出した。
「あ・・・どうも」シュウは笑顔で杯を受け取る。「ラウさんに、見事だなんて言われると、恐縮しちゃいますよ」
「いえ・・・功夫というのは、心技体のバランスが取れてこそ、驚異的な芸となります・・・あなたはやはり、フェイさんの親友というだけあって、技も、心も、体も、真っ直ぐな人ですね」
「褒め過ぎですよ」シュウは照れ笑いをしながら、酒を口に含んだ。
シュウは、シバへの復讐で頭が一杯なので、鋼皮功が自滅に繋がる技だという自覚がない。だから、フェイが落胆しているとは思ってないし、気付いてもいない。
だがラウは、駆け出すフェイを見て、その苦渋を見抜いていた。
そのフェイを追って、パイとウォンが動くのを見たラウは、では自分はフェイの氣が明るくなるまで、シュウの足止めをしておこうと思ったのだ。
ほどなく、フェイの氣が元の明るさを取り戻すのを察知して、ラウはホッとした。(ウォンさんが、上手くやったようですね。さすがです・・・さて・・・この、真っ直ぐ過ぎるぐらい真っ直ぐな男を、死なせないために、どうしましょうかね・・・)シュウを見つめるラウの目は、優しさと、強い決意に溢れていた。
再会・了