再会・6
「はははっ、とんでもない。そんな余裕はありませんでしたよ」
「『ありませんでした』か。過去形だな。じゃ、今はどうなんだ?・・・今の舞を見る限りじゃ、お前さんは3年前とは、別人と言っていいほど強くなってる」
「・・・それは、あなたも同じでしょう」
「ちっ・・・本当に、嫌な野郎だな」
「あああ、あの、お二人とも、妙な氣を起こさないでくださいよ」パイが慌てて二人の間に入る。(ラウさんはともかく、ウォンさんは遊び半分で手を出しかねない)と思ったのだ。
だが、この推測は50点だ。実は遊び半分で手を出しかねないのは、ラウも同じだった。
それほどウォンは魅力的な武術家なのだ。
「大丈夫ですよ、パイさん。・・・言ったでしょう。俺は今は、ラウの旦那とやるつもりはありません」
「あ、そう・・・よかった」パイは、ほっと胸を撫で下ろした。
「しかしね。あんな素晴らしい舞を観せられて、何もしないってのも、男が廃ります」
「・・・え?いや、別に廃らないと思いますけど・・・」
「自分が目立たないのは嫌なのよね。そうでしょ?」ウォンの傍らの女が、笑顔ではしゃいだ。
「その通り・・・あーいや、だから余計な突っ込みを入れるなって」
「あはは、ごめん」
「まあいい。・・・とにかく、ここは俺もひとつ、余興を魅せるとしよう」
ウォンは「魅せるとしよう」のフレーズをワザとらしく叫ぶと、卓から新しい杯を取った。杯には、勿論酒が並々とつがれている。
ウォンはその杯を頭の上に乗せると、両手を腰の後ろで組み、食堂の中央へ歩を進めた。
その歩みは滑るようで、杯は少しも揺れず、酒の飛沫ひとつ上がらない。
ウォンは食堂の中央まで来ると、両手を広げてゆっくりと回転しながら、ニッコリと笑った。2回ほど回ってから、両手を腰の後ろで組み直し、スルリと左膝を上げる。
そのまま、ウォンの体が50センチほど宙に舞い上がる。
跳躍の頂点で、ウォンは左、右と続けて前蹴りを出した。
二起脚だ。
蹴り終えると、頭頂部から縄で吊られているかのように、真っ直ぐにストンと左足で着地。その左足で再び跳躍し、今度は左に回転しながら、飛び後ろ蹴りを放つ。
それから右足で着地し、その右足で更に速く、高く、回転・跳躍して、右足底での回し蹴りを振り抜く。旋風脚だ。
ウォンは左足で着地すると、右膝を上げたままで、両手をゆっくりと広げて見栄を切った。
頭上の杯の酒は、一滴もこぼれていない。
ウォンは右足を下ろしながら杯を取り、酒を一気に飲み干した。
また、拍手が鳴り響く。
「ちょっとフェイ、あの、どうなってんの?上下動はまあ、分かるわよ。でも、回転してるのよ、回転?何でお酒がこぼれないの?遠心力は、どこへ行ったの?」パイが拍手をしながら、早口でフェイに訊ねる。
「・・・回ってないんですよ」
「ほえ?」
「ウォンさんは空中での回転蹴りの際に、杯をほんの少しだけ、頭から離してたんです。だから杯は回ってないんです。当然、遠心力もはたらきません。それでお酒がこぼれなかったんです」
「はーっ・・・とても、頭から浮いてるようには見えなかったわよ」
「そりゃそうです。ギリギリで、杯の底と髪が擦れ合うぐらいでしたから」
「すごいわねえ」
「ええ・・・でもウォンさんがすごいのは、今やってみせたようなことは、本当に余興に過ぎないということです」
「うん?どういう意味?」
「今ウォンさんがやった動きは、確かにすごいんですが、動きを『魅せる』専門家のラウさんと比べると、完成度は低いし、洗練もされてません」
「え・・・そう?」
「はい。それに僕でも、3日も練習すれば、今ウォンさんがやった動きの真似ぐらいはできます」
「えっ・・・そうなの」
「はい。でもウォンさんは恐らく、本当に思いつきだけで、今の動きをやってます・・・これはすごいことです。あの動きを、練習せずに一発で成功させるなんて、僕にはとてもできません。ひょっとすると、ラウさんにもできないかもしれません」
「ひええ・・・すごいわね。相当なレベルで『均衡を保って』いるのねえ」パイは重々しく首を振った。
「ええ・・・ただ、非常に特殊な均衡の保ち方ですね」
「へえ?どの辺が?」
「そうですね・・・例えば、ウォンさんは足技しか使いません。明らかに、手技を用いたほうが合理的だと思われるような場合でも、です」
「あー、そうよね。えーと、確か10年ぐらい前からだっけ?」
「9年前です。その年にウォンさんは、『風刃脚』を編み出しました。それ以降、ウォンさんは一度たりとも、戦いに手技を用いてはいません」
「そうそう。でも、それ以前のウォンさんは、手技も使ってたんでしょ?」
「ええ。僕はその頃のウォンさんの動きも・・・投影玉の映像でですが・・・見たことがあります。素晴らしい動きでした」
「それが、いきなり蹴りしか使わなくなっちゃったんだもんね。銀衛氣を拳にしか込められないフェイと、ちょっと似てるんじゃないの?」
「うーん。僕の場合は、決め技となる銀衛氣の一撃は拳に限定されますけど、それ以前の崩しの段階では、足払いでも何でもやりますからね。・・・武術というのは本来、上下相随、内外相合、剛柔相済といったように、対立、もしくは矛盾する二つの要素が相互に補完し合うことで、より高い効果を上げられるものなんです。ですから、蹴りしか使わない今のウォンさんのスタイルは、ある意味では不安定ともいえます」
「ふーん。ま、私から見れば、充分に安定してると思うけど」
「ふふっ・・・でも、今のウォンさんの動きには・・・手技と足技のバランスが取れていた頃には見られなかった・・・何というか、不安定さの中に潜む美しさとか、艶っぽさとか、そういうものがあります。それが、ウォンさんの魅力のひとつなのは、間違いありません」
「おーっ、フェイもパイさんも、何を辛気臭い話をしてるんだ?」ウォンが、どかどかとした足取りで、フェイとパイの側に来た。
「あ、ウォンさん、すごい一発芸でしたね」パイは春巻きを食べながら、ウォンの余興を褒めた。
「ふふん。そうだろ?構想5年、苦練10年。血の滲むような研鑽の末に会得した、秘伝の宴会芸だ。俺以外の誰にも真似はできんよ」
「・・・構想5秒の間違いじゃないんですか。今の芸、ウォンさんは思いつきのぶっつけでやったって、フェイが言ってましたよ。あと、フェイなら3日も練習すれば、真似できるって」
「んっ?・・・おいフェイ。お前、種明かしは手品師最大のタブーだぞ。知らんのか?」
「えっ?・・・いや、でも、僕もウォンさんも、手品師じゃないし・・・」
「何を乗せられてるのよ、フェイ。そもそもさっきの芸、別に手品じゃないでしょ?」
「えっ?・・・俺は、手品のつもりだったんだが・・・いくら回っても、酒がこぼれないっていう」
「お?と、そうだったの?私はてっきり、曲芸かと・・・」
「私もそう思ったわよ。ていうか、あなた以外の全員が、そう思ってるんじゃないの?」ウォンの傍らに立っている、少し濃い目の化粧をした女が、ウォンの肩を叩きながらはしゃいだ。