契約・4
フェイの鉄扇から、水蒸気と共に凍氣が立ち昇っていた。フェイは鉄扇に込めた氣を、水氣に変化させていたのだ。
水生木。水氣は木氣を生む。ヨウの剣に込められた木氣が、フェイの鉄扇の水氣を吸収して暴発し、発生した衝撃でヨウは吹っ飛ばされたのだ。
だがヨウは5〜6メートルほど飛ばされたものの、空中で体勢を立て直して難なく着地した。
「体術の攻防に夢中になり過ぎて、氣の制御がお留守になりましたね。まあ、お留守になり過ぎて木氣の出力が落ちたのが、あなたにとっては幸いでしたけど」
「見くびってもらっては困るな。木氣の出力は『落ちた』のではない。『落とした』のだ。身を沈めての足払いが本命なら、剣の水平斬りなどは無視してやり過ごせばいい。それをわざわざ封じにいくからには、何か仕掛けがあると見るのが自然であろう」
「あ、なるほど・・・残念だなあ。今ので腕の一本ぐらいは潰せると思ったんですけど」両手を腰に当てて首を捻り、本当に残念そうだ。
「白仙のくせに、随分惨い手を思いつくな。それとも、後で治してくれるつもりだったのか?」
「いやあ、あまり損傷がひどければ、僕にも治せませんよ。大体これも『兵法の内』でしょう」
「ふん。・・・騙し合いばかりというのもつまらんな・・・」ヨウは深く息を吐き、剣に込めた氣を消すと、改めてフェイに切っ先を向けた。
「どうだ。今度は単純に体術を比べてみるか」
「僕はどちらでも構いません」フェイも鉄扇に込めた氣を消す。
驚いたのはパイだ。
「駄目よフェイ!体術比べなんて言って、何を仕掛けてくるか分かんないわよ!」この期に及んで逃げるか留まるか迷っているパイだったが、フェイが勝つに越したことはない。
ヨウはパイの横槍が面白くない。
「黙っていろ、女。もう一度腕を斬られ・・・」斬られたいのか、という言葉が終わる前に、フェイが跳び出していた。
閉じたままの鉄扇を、ヨウの喉元目掛けて突き出す。
ヨウは剣で鉄扇の側面に柔らかく触れると、蛇が枝に巻きつくように剣を捻り、鉄扇を封じつつ、フェイの手首の動脈を狙う。
ここでフェイがパッ!と鉄扇を開いて剣の動きをそらし、更に擦り上げるように剣先を上方に誘導し、がら空きになったヨウの腹に斬り付けた。
だが、ヨウは慌てずに剣先をポトリと落とすようにして、再び鉄扇に貼り付き、手首を返しながら斬撃の方向をそらす。
フェイはそれには構わず一気に振り抜き、勢いそのままに横っ跳びで間合いを離した。
「うーん、丁寧な戦い方をしますね。あの至近距離で、斬撃の力をきれいに受け流すなんて・・・」
「剣の遣い手として、当然であろう」
剣は槍や刀と比べると、繊細な技巧が使える代わりに耐久力に劣る。だから相手の攻撃を正面からガッチリと受け止めたりはせずに、あくまでも柔らかく、いなしたりそらしたりするのだ。
「いや・・・でも、僕の得物は鉄扇じゃないですか。この場合、剣のほうが重量も耐久力も上でしょう?だから今回に限り、ガチッと正面から受け止めて、蹴りで反撃するとか、そういう手でこないかなと思ったんですよ。・・・そしたら、その厄介な剣を真っ二つにできたんです」
「・・・何だと?」
ヨウの驚きに合わせるように、ヒュウウ・・・と風を切って上空から細長い金属片が落下し、地面に突き刺ささって、ヴ・・・ンと震えた。
ヨウがハッとして剣を見ると、剣の片側が縦に1センチほど削ぎ落とされていた。たった今落ちてきた金属片は、その削がれた剣の欠片だったのだ。
ヨウがワハハッと笑い出す。
「上手いもんだな。真っ二つになってるじゃないか」
「横に真っ二つにならなけりゃ、意味がありませんよ。大体真っ二つというには、残ってる分が多過ぎますし」
「ふん、欲張りな奴だな。まあ、蹴りの一発を食らってでも、まずはそれがしの剣を壊しておきたいという気持ちは分かる」
「冗談でしょう?蹴りが来たら来たで、当然それも捌きますよ」フェイが首を左右に振りながら、鉄扇を畳む。
「そうか・・・これはどうやら、それがしも本気を出さねばならんようだな・・・」ヨウの長髪が、またざわついた。
「あれ、今までは本気じゃなかったんですか?」
「本気だったさ。ただ、安全圏内での本気だ。ここから先は、それがし自身にとっても危険な領域での本気だ。・・・面白いものを見せてやるから、しばし待っておれ」
ヨウは目を閉じると、静かに息を吐きつつ氣を練り始めた。次第に黒い霧のような氣がヨウの体を包み、剣も黒く染まっていく。
「何やってんのよ、フェイ!相手は目を閉じてんのよ!今の内にやっちゃいなさいよ!」パイがムキになって怒鳴る。
「まあ、いいじゃないですか。折角面白いものを見せてくれるというのだから、ちょっと待ちましょうよ」相変わらず淡々とした口調で返した後、小声で「それに・・・ヨウさん如きの『本気』を何とかできないようでは、シバは倒せませんしね」と囁いた。
「待たせたな・・・遊びは終わりだ」
ヨウが目を開いた。黒い霧が渦を巻き、ヨウの髪と目は闇そのもののような黒になっていた。
「これが、それがしの限界まで高めた黒鎧氣だ。スピード、パワー、耐久力、反射速度、全てが先刻までとは桁違いに上昇しておる」
(だから言わんこっちゃない)パイは心の中でフェイを呪った。
「ただその分、体にかかる負担も大きい。それに、この身体能力を使いこなすには、相応の内的感受性が必要だが、これだけは黒鎧氣でも伸ばせん。自前でやるしかない・・・そのためには高度な精神の集中をせねばならんのでな。これもまた消耗が激しい」
「つまり、『遊びは終わりだ』というより『遊んでいる暇はない』ということですね」フェイが納得顔で頷く。
「どちらでも構わんさ。じきにお主の最期だということに変わりはない」
「やってみなけりゃ分かりませんよ」
フェイが突進しながら、両手をダラリと下げたままのヨウの喉元に鉄扇を突き出す。
ヨウは風に吹かれた綿のように、フワリと退いて鉄扇を見切り、そのままフェイの次の動きを待った。ヨウらしくない動きだ。
攻撃をかわす時は、なるべく左右どちらかへの動きで、相手の死角へ潜り込むのが基本だ。
真っ直ぐ下がるのなら、なるべくギリギリで見切って、かわしたらすぐに反撃するものだ。そうでなければ相手の連続攻撃を許してしまう。
しかし、ヨウは反撃しようとしない。フェイはすかさず左の蹴りに繋ぐ。
ヨウは今度はフェイの左肩の外へ回り込んだ。だが、ここは死角には違いないが、回り込む動きが大き過ぎて間合いが離れているので、反撃には繋げない。
それを見抜いたフェイが、右回りに旋回して鉄扇を水平に振る。ヨウはそれを上体を無駄に大きく反らしてかわす。その上体が戻るのに合わせて、フェイは左拳を突き出す・・・つもりだったが、ヨウは体を反らした姿勢からパタリと倒れ、そのまま後方に転がって距離を取り、ユラリと立ち上がった。剣先は下げたままだ。
フェイは鉄扇を開き、ヨウの首筋に斬りかかる・・・が、フェイは途中でそれを止め、鉄扇を畳んで左手をポンポンと叩きながら、後方に歩いて間合いを取り直した。