相抜・4
或いは、フェイに平常心を失わせるほどの氣圧をかけられるという時点で、やはりウォンの方が格上ともいえる。
ともあれ、フェイはウォンの蹴りの外側に踏み込んでいた。すかさず左掌を伸ばし、ウォンの右膝に粘り付く。
この状態でウォンの動きを制御できれば、フェイの必勝パターンだ。
だが、ウォンの蹴りはあまりにも速く、フェイの反応も僅かに遅れていた。
(そんな?両足で立っている僕が、片足のウォンさんを制御できない?)
ウォンはニヤリと笑うと、右膝を曲げながら体幹をブルッ、と震わせた。それだけで、フェイの体が右回りに回転を始める。
(まずい。このままじゃ、僕のほうが死角を取られてしまう)
このままウォンに回され続けて背中を見せれば、どんな蹴りが来たのかも分からずに眠らされてしまうだろう。
(ならば、いっそ・・・)フェイはウォンの勁力に逆らわず、自分から回転の速度を早めた。
そのため、ウォンの予想よりも早く、大きくフェイは回転した。
それだけではない。フェイは僅かだが、ウォンに向かって歩を進めつつ、右の拳背を振り回していた。
見事な攻防一体の動きだ。フェイの脳裏に、自分の右拳がウォンの後頭部にクリーンヒットするイメージが浮かんだ。
だが、そのイメージは実現しなかった。
ウォンは右脚を高く蹴り上げていた。その足はウォン自身の右肩を越え、彼の後頭部を狙って打ち出されたフェイの拳を弾いた。これほど高い蹴りを出したというのに、ウォンの上体は真っ直ぐなままでブレない。
その蹴りの衝撃は、フェイの右腕だけではなく、全身に広がっていた。
だが、深刻なダメージは無い。これはウォンがまだ手加減をしているということもあるが、フェイがウォンの蹴りに反応し、振り回した右腕の勁力の運用を「打ち抜く」のではなく、「衝撃を吸収し、跳ね返す」ように変化させたからだ。
もしフェイが勝負を焦るあまりに、右拳を「打ち抜く」意念で振り切っていたら、その腕はウォンの蹴りで折れていただろう。
だが、フェイは上手くウォンの蹴りの衝撃を跳ね返していた。
ウォンは自分自身の蹴りの反動で、2メートルほど吹っ飛んでいた。とはいえ、その間もウォンの上体は真っ直ぐなままで、着地してからも右足は上げたままだった。
むしろ、バランスを崩したのはフェイのほうだ。
(何て蹴りだ。あんな無理な体勢で出したのに、僕が捌ききれないほどの威力があるなんて)
だが、とにかく仕切り直しだ。
ウォンがまた、白い歯を見せてニヤリと笑った。
「いいねえ。いい動きだよ、フェイ。しかも、相抜けになったぞ」
「あ・・・そういえば」フェイは、ウォンに指摘されて初めて、今の攻防が相抜けになっていたと気付いた。
「えっ?ちょっと、相抜けって、何?」パイの口から咄嗟に疑問が飛び出す。
だがこの雰囲気では、口にした疑問をウォンやフェイには向け辛い。パイは成り行きで、岩の上に腰掛けたままの女に視線をやった。
「私が知るわけないでしょ」女は、肩をすくめて苦笑した。
「・・・そうみたいね」パイも苦笑しながら、振り返って背後のラウを見た。
「相抜けというのは・・・拮抗した実力を持った武術家同士が対峙して、同時に技を繰り出した時に、両者共に技が決まって共倒れになれば、これは相打ちですね。そうではなくて、お互いがお互いの技を捌くことで、両者の技が決まらずに、お互いにすり抜けるように攻防が終了してしまうことを、相抜けといいます」ラウが淡々と解説をする。
「おお」パイが頷く。
「この相抜けというのは、ただ攻撃一辺倒の強い者同士がぶつかり合ったのでは起こりません。そういう場合は相打ちになることのほうが多いですね。・・・つまり、攻守のバランスの取れた達人級の技術を持ち、しかも常日頃から、ただ人を傷付けるためではなく、自分も他人も活かそうという心構えで功を練っている・・・そんな武術家同士が手を合わせた場合にのみ、相抜けが起こります」
「あ、それじゃあ今ので、フェイが悪い人じゃないって・・・」パイが、ポンと手を叩いて浮かれる。
「いや、今のはまあ相抜けといえば相抜けですが、ちょっとギリギリな感じですね。ウォンさんが手加減をしていて、それでもなおフェイさんは押され気味で。相手の攻めをキレイに捌いたというより、ちょっと押し合いみたいにもなってましたし」
「そう。それに、たまたま相抜けの形になっただけかもしれんしな」だが、ウォンは少し嬉しそうだ。
「もう少し遊んでみないと、本当のフェイがどんな奴かは分からんな」
いきなりラウが、アハハと声を立てて笑う。
「おいおい、何がおかしい?」
「ウォンさん、あなたは嘘つきですね。・・・そして、正直者でもある」ラウはそう言って、首を振った。
「訳の分からんことを言ってくれるな」
「ああ、失礼・・・フェイさんがどんな人か分からない、というのは嘘です。あなたは今の攻防で、フェイさんが悪人ではないと、理解している。・・・でも、久し振りに歯ごたえのある相手との手合わせを、これで終わらせたくない。だからあなたは、まだフェイさんのことが分からない振りをしている」
「ぐっ」
「そしてあなたは、『遊んでみないと』と言いました。もうこの手合わせの目的が、フェイさんのことを知るためではなく、手合わせそのものを楽しむということに摩り替わっている証拠です。だから、あなたは正直者でもあるんです」
「・・・ちっ。芸術家のクセに、不粋な分析をする野郎だな」
「そりゃ、私だってフェイさんとウォンさんに、無用の怪我などして欲しくはありませんからね」
「んー?これは聞き捨てならんな。フェイはともかく、この俺が怪我をすると?」
「ええ。勝負というのは、何があるか分かりませんからね」
「ふふん。結構だね。そうでなくちゃ、面白くない。・・・おい、フェイ。確かに今のでお前が悪人でないことは分かった」
「あ・・・恐れ入ります」
「だが、いい奴かどうかまでは、まだ分からん」
「えー?ちょっと、そんなのアリ?」パイがむくれる。
「いいんです。アリなんですよ、お嬢さん。・・・それとだ、ある意味一番肝心なことだが、錬武祭で、お前が俺やラウの旦那の足を引っ張らないかどうか、それもはっきりさせときたいしな」
「あのー、ウォンさん。それこそティエン国での錬武祭の映像を見れば、一発で分かるのでは・・・」パイは段々付き合いきれなくなってきた。
「んっ?あ、そうか・・・あーいや、そういう細かい突っ込みは無し!とにかくフェイ、もう少し俺を楽しませろ!でなきゃ、俺はお前を仲間とは認めん!」そしてまた、ウォンの氣勢が上がった。
「うん。今のは本音のようですね・・・フェイさん、やるしかなさそうですよ」ラウのペースは変わらない。
「面倒な人達ねえ・・・ウォンさんは、フェイの何を認められないっての?」パイが唸った。
「あなたを契約者に選んだからですよ」ラウがボソリと呟く。
「・・・え?」
「フェイさんが、あなたと契約を交わしたのは、やむを得ない状況下でだった・・・ウォンさんにも、それは分かっています。でも、それでもなお、女性を危険なことに巻き込むような者は許せない・・・風刃脚のウォンとは、そういう男なんです」
「・・・はあ」パイは改めて、ウォンを見た。そして、「・・・変な奴」と小声で呟き、少しだけ笑った。