相抜・1
フェイとパイ、それにラウを乗せた車は、ルオヤン国を発ってから、真っ直ぐにチュアン国に向かっていた。
今日の昼頃には(錬武祭の開催より5日前)、到着できる筈だ。
チュアン国は、大きくも小さくもない、中堅の国家だ。
安定した経済に落ち着いた文化が根付いているが、その反面、ペイジ国のように国力があるとか、ルオヤン国のように芸術家が大勢いるとかいったような、派手な部分は無い。そういう意味では、錬武祭の初の開催地になったティエン国と、似ているといえなくもない。
もっとも、世界に占める割合でいえば、「地味な中堅国家」が一番多いのだから、やはりシバの選び方は、単なる無作為の可能性が高かった。
フェイ達は、ほどほどに旅の疲れを感じ、少しばかりの緊張感を抱えつつ、とにかくチュアン国の目前まで辿り着いたことに、そこそこホッとしていた。
車は、森の中の一本道を走っていた。
この森は、どこの国家の所有でもない。かなり深い森だ。日光の殆んどは、高く生い茂った木々に遮られているのだが、天気がいいので、時々枝の隙間をぬってこぼれた光が、刺すように車内に滲みこんでくる。
その度に、助手席でウトウトと眠りかけているパイが、ハッとして目を覚ますのを、フェイは運転しながら横目で見ていた。
(本来のパイさんなら、日が射したぐらいでいちいち目を覚ましたりはしないんでしょうが・・・やはり、多少は緊張しているのでしょうね。もっとも、その原因は錬武祭なのか、ラウさんなのか・・・まあ、両方でしょうか)などと、大して意味のない分析をしている時点で、フェイの緊張感も多少は緩んでいるといえる。
後部座席のラウは、腕組みをして目を閉じたまま動かない。こちらは完全に休息をとっていた。
とにかく三者三様に、それなりのコンディションを維持しているわけだ。
もう何度目か、パイが射し込んできた光に当てられて、姿勢を直した。その寝惚け眼を照らす光が、中々薄くならない。
森の端まで来たので、木の枝の厚みが減ってきたのだ。
「もうすぐ、森を抜けますよ。そしたら草原地帯に出て、すぐにチュアン国の関所に着きます・・・」フェイはパイが起きたものと思い、現在地を報告したのだが、パイはポカンとしたままだった。
(どうやら生理的には起きているようですが、心はまだ眠っているようですね。面白い状態です)フェイは、パイの神経の・・・太いのか、単に雑なだけなのか、微妙なところに感心していた。
むしろ、後部座席のラウの方が、フェイの言葉に反応して、しっかりと目を覚ましていた。
ゆっくりと腕組みを解いて、目を開ける。
「いよいよですね・・・とにかく錬武祭までは、おかしな事が無ければいいんですが・・・」そんなラウの呟きに、「ふう。へえ」と、パイが寝惚けて答えた。
フェイとラウが、同時にクスッと笑う。その笑いに合わせるように、車は森を抜け、草原に入った。
急に車内が明るくなり、パイもしっかりと目を覚ます。
「あ・・・え〜と、ああ、あの丘を越えたら」パイは舌をもつれさせながら、草原の先にある、なだらかな丘を指差した。
「ええ。チュアン国の関所が見える筈です。・・・おや?」
車の遥か前方の(といっても、走行中なので、どんどん近付いているが)道の真ん中に、高さ2メートル弱ほどの岩が、デンと居座っていた。
岩の側面には、湿り気を帯びた土が付着している。つまり、この岩は元々、この道のすぐ脇にあって、それをついさっき、わざわざ移動させて、道を塞いだということになる。
その岩の上には、どうやらこの岩を運んだらしい男が、腰の後ろで両手を組み、頭の後ろで括った黒光りする長髪を風になびかせて立っていた。
男は、白地に黒い縞の入った面を被っている。服も同じように、白地に派手な黒の縞が入っていて、どうやらこれは、虎・・・白虎を模しているようだ。
男の横には、これまた派手な花柄の服を着た、若い女が(こちらは、面は被っていない)ちょこんと、岩に腰掛けていた。
男は面を被っているので、表情は分からない。だが、女の方はとても楽しそうだ。どうも・・・真剣なのか、ふざけているのか、よく分からない二人組だが・・・その男の立ち姿は、只者ではなかった。その全身からは、見るものを圧倒するような氣が発散されている。だが、その氣はどこまでも明るく、決して威圧的ではなかった。
フェイは、岩の手前の15メートルほどで車を停め、一息つきながら岩の上の男を見上げた。
男は右手をサッと差し出すと、「我こそは、白虎の化身なり!その方が、フェイか?」と、妙に芝居がかった台詞を吐いた。
するとパイが、呆れ顔で助手席から降りながら、「何言ってるんです?あなた、ウォンさんでしょ?」と叫んだ。
「なっ、何を言うか。私は、白虎の化身だ」ウォンと呼ばれた男は、差し出した右手を振り回し、その親指で自分を指しながら怒鳴った。
「ほらあ。やっぱりすぐにバレちゃったでしょ?」男の隣に座っている女が、可笑しそうにはしゃぐ。
「お初にお目にかかります、ウォンさん。・・・確かに、僕がフェイです。何か御用でしょうか?」フェイも車から降りる。
「歓迎の挨拶にしては、あまりいい趣味とは思えませんが・・・」ラウも続いた。
「う、うむっ・・・完璧な変装だと思ったのだが、何故分かったのだ・・・まあ、バレたとあっては仕方あるまい」男は呟きながら、面を取った。
褐色の肌。彫りの深い顔立ち。鋭いが、どこか無邪気な目。
長髪を後ろで括っているのはフェイと同じだが、前髪を適当におろしているフェイとは違い、額はほぼ全開にしている。ただ、いかにも計算ずくといった感じで、数条の前髪が垂らしてあった。そして、やたらと白く輝く歯。
「お察しの通りだ・・・俺こそが、ウォン。風刃脚のウォンだ」
そう。この、どこまでが本気なのか分からない、案外軽い男こそが、世界最強ともいわれる武術家、風刃脚のウォンなのだった。
「お察しの通りも何も、あなた、有名人なんですよ?投影玉の映像とか、雑誌なんかで、世界中の人があなたを見てるんですから。いくらお面で顔を隠したって、体型と、その服で分かりますよ」また、パイが叫んだ。
そう。この、派手な虎柄の服は、ウォンのトレードマークだった。
そして、その服はかなりゆったりしたものなのだが、その上からでも、彼が贅肉ひとつ無い、鍛え上げられた体なのが分かった。
「んっ・・・そうか、この服か・・・おい、やっぱり無地の服にした方が良かったかな?」
「だから、私がそう言ったじゃない。そしたらあなた、『無地の服じゃ、虎に見えない』って」
「ああ、そうだったな・・・くそっ。できれば、正体不明のままでやりたかったんだが」ウォンは残念そうに頭をかいた。
「あの・・・やるって、何をするんですか?」フェイが訊ねた。
「何を、だと?ふっ、知れたことよ。お前と、手合わせをするのだ!」また芝居がかった口調で、ウォンが叫んだ。
「手合わせ?僕と、ウォンさんが?」フェイは戸惑った。いきなり、味方の筈のウォンから手合わせを申し込まれたこともそうだが、そのウォン自身から、殺気どころか闘争心すら感じられないのが、不思議だった。