治療・3
「そうそう、そうよね。そっちが大元なのよね。ちょっと待って、今すぐ何とか・・・」パイは慌てて恐怖心を呼び起こそうとしたが、一度冷めた恐怖を意志の力だけで再燃させようとしても、上手くはいかない。
何といっても、癌細胞が消える瞬間を見てしまったのが大きい。
パイの中に「これなら大丈夫でしょう」というイメージが湧いてしまったために、危機感が萎えてしまったのだ。
「いや・・・パイさん、無理をしなくてもいいですよ。今ので、要領は分かりました」
「えっ?でも、銀衛氣が発動しないと、治療できないんじゃ・・・」
「ええ、最初はそうです・・・自分の氣の方が、間違いなく微調整できますからね。でも要領さえ分かってしまえば、他人の氣を借りても、同じことができます。・・・すみません、鍼を貸していただけますか?」
すぐにグイゼンの助手が、寸法違いの鍼を10本ほど用意して、フェイの前に並べる。
フェイは鍼を点検しながら、「じゃあチャン君、今度は寝台に仰向けになって、左膝を立ててください」と指示をした。
またグイゼンの助手が、透視鏡のセッティングを変えて、膝の癌細胞の影が映るように調節する。
「じゃあパイさん、お願いします」フェイがニッコリと微笑んで、パイに声をかけた。
その笑顔を見て、パイは(あ、元のフェイに戻った)と思いつつ、(一体何をやれと?)戸惑っていた。
「あの、フェイ。今更恐がれって言われても、上手くいかないんだけど・・・」
「ああ、違いますよ。銀衛氣を発動したいんじゃありません。そうじゃなくて、パイさんの木氣の『雷』をお借りしたいんです」
「雷?まあ、それならすぐに出せるけど・・・」パイは呟きながらフェイに歩み寄りつつ、胸の前で右手の拇指と示指を擦り合わせて、小さな火花を飛ばした。
「そうです。そんな感じで、小さな雷を・・・」フェイはチャンのほうに向き直ると、左手でチャンの左膝をサラサラと触診し、右手に持った鍼を患部に軽く当てるようにして刺した。チャンは全く痛みを感じなかったらしく、表情は動かない。
「ここに・・・雷を落としてください」フェイは左手の拇指と示指で、鍼の刺さった根元辺りを挟むように持ち、右手で鍼柄を指差しながら説明した。
「そこに?雷を?いやでも、私は白仙じゃないから、出力の微調整は効かないんだけど・・・」
「大丈夫です。それは僕がやりますから。とにかくパイさんは、死なない程度に加減した雷を出してください」そう言いながらフェイが呼吸を整えると、鍼を持つ指先が鈍く光り始めた。
金剋木。フェイは、金氣の光で木氣の雷の威力を削ぎ落とし、必要な量だけを癌細胞にぶつけるつもりなのだ。
「よしっ。じゃ、行くわよ!」
「はい」
ラウも、ヤンも、固唾を飲んで見守っていた。
そして、この二人とは少し違う心境で・・・やや興奮した面持ちで、グイゼンとその助手や、他の白仙は、フェイとパイの動きを見ていた。
癌細胞を直接攻撃するということ。
黒仙の氣を、治療に使うということ。
そのどれもが、純粋な白仙からは浮かばない発想だった。
パイが右手の示指を鍼に向け、「ふっ」と軽く息を吐いた。
示指の先から放たれた雷が、吸い込まれるように鍼に命中する。だが、チャンにもフェイにも、表情の変化がない。
「ちょっと、弱過ぎました。・・・でも、そんな感じでいいです。もう一度、お願いします」
「うん。じゃ・・・」
もう一度パイは、「ふっ」と息を吐き、雷を放った。その衝撃が、鍼をピリピリと振動させる。
チャンが「いっ」と小さく叫び、顔をしかめた。
そしてまた、その叫びを飲み込むように、どよめきが起こった。投影玉によって映し出された癌細胞の影が、半分に減っていた。
「いい感じですよ、パイさん。その調子で、もう一度お願いします」
「んっ・・・行くわよ」
そしてその雷は、残った癌細胞の影を完全に消していた。
病室内に、歓声が湧き上がる。
ラウとヤンがチャンに駆け寄って、その細い体を抱きしめた。
グイゼンやその周囲の白仙達は、すっかり興奮していた。
「よし、とにかくもう一度チャン君の全身を調べ直そう。どこかに癌細胞が残っていないかどうか・・・まあ、これなら残っていたとしても、氣功と湯薬だけで充分に回復できる筈だ。すぐにホンジン先生に連絡を取って、処方の打ち合わせをしよう」
「それにしても、画期的な治療法だ。黒仙の氣を使うなんて・・・いや、これなら、治療の幅がぐっと広がるぞ。感染症に対して、病原体を直接叩くという方法も考えられるしな」
「どうなんだろう、フェイ君?その、鍼で黒仙の氣を調整して打ち込むという方法は、訓練すれば我々にもできるだろうか?」
「あ・・・はい。でも、木氣の『雷』は、どちらかというと跳ね回る性質があるので、制御が難しいですね。治療に使うのなら、金氣の『光』の方が、ピンポイントで患部を狙いやすいと思います」
だが、パイは・・・質問に答えるフェイを見て、(あれっ?)と思っていた。
フェイの視線の先には、ラウとヤンと、その腕の中のチャンがいた。
チャンは額に脂汗を滲ませ、ぐったりとしていた。
フェイはチャンの側に寄ると、「チャン君、気分はどうですか?ひどく疲れているようですが・・・」と訊ねた。
「うん・・・ちょっと、気分が悪い・・・」
チャンの言葉を聞きつけて、グイゼンが慌てて駆け寄ってきた。
「どれどれ、こっちを向いて・・・舌を出して・・・」チャンに指示をしながら、同時に脈を診る。
「大丈夫。神はしっかりしている。ただ、氣の流れのバランスが少し狂っているね。かなりの倦怠感を感じている筈だ・・・まあ無理もない。加減したとはいえ、黒仙の氣を直接体内に打ち込んだんだからな」
「あの・・・グイゼン先生、チャンは・・・」ラウが不安そうに訊ねる。
「心配ないよ。すぐに補氣をして、回復力を上げよう。それと、湯薬と食事で体力も充実させないとね」グイゼンの表情は、自信に満ち溢れていた。
それはある意味、強者に特有の・・・力を持つ者の、余裕からくる・・・一種の傲慢さにも似た自信だった。
グイゼンだけではない。治療の一部始終を見ていた白仙全員が、熱に浮かされたような状態だった。
フェイは沈んだ面持ちで、そんな白仙達を見ていた。・・・そして彼は、静かに病室を出た。
「ちょっとフェイ、どこに行くのよ?」パイの声は、周囲の喧騒にかき消されていた。
パイは慌ててフェイの後を追い、病室を出たが、既にフェイの姿はなかった。
「・・・一体、何だっていうのよ?」ブツブツと呟きながら、パイはフェイを探した。
しかしまあ、フェイはすぐに見つかった。彼は病院の中庭で、一人静かに長椅子に腰掛けていた。
その背中は丸くうなだれて、眼前の植え込みを見るともなく見ながら・・・ひどい自己嫌悪に襲われているようだった。
「フェイ!どうしてこんな所で、一人で暗くなってるのよ?」パイは仁王立ちで、少し苛々した風にフェイの肩を叩いた。
「僕は・・・とんでもないことをしたのかもしれません」フェイはパイを見もせずに、ボソボソと呟いた。