契約・2
「あれ、あなた特級だったんですか?そうは見えませんでしたけどね。手加減してくれてたんですか?それとも、修行不足で腕が落ちたとか?」フェイが挑発する。
「ぬかせ」カウは乗ってこない。
「で、武器はそのままでいいんですか?」喋りながら、そろそろと後退して距離をとる。
「構わんさ。戦っている最中に武器が壊れたからといって、予備と取り替えるなんてのは無しだろう」柄だけになって、薙刀というよりは棍だ。
「僕は別に構いませんよ」カウから5メートルちょっとの所で止まる。
「まあ、そうツッパるな」カウにはまだ余裕がある。刃がなくなったので確かに攻撃力は落ちたが、武器が軽くなった分、スピードが上がっている。フェイがカウに接近するのが困難なことに変わりはない。
カウは体の左右で棍を数回ずつクルクルと回してから、今度は始めから両手で持ち、先端をフェイの鼻先に向け、左足前で構えた。
「じゃ、遠慮なく行きます」フェイが跳び出す。スタートダッシュに迷いがない。カウに向かって真っ直ぐに、滑るように突っ込む。グングン加速していく。
(間合いの不利を加速力で補うつもりか。発想が真っ当過ぎるわ)カウは右手を引いて左手の中で棍を滑らせ、体を僅かに浮かして左右の足を入れ替え、そのスイッチの途中で右手から棍を繰り出しつつ跳ね上げ、着地と同時に斜めに振り下ろした。
棍はカウンターでフェイの左の首筋にめり込む筈だった。フェイの頚椎が砕ける手ごたえまでがイメージできた。
だから棍が空を切ったとき、カウにはまるで棍がフェイをすり抜けたように思えた。
・・・フェイは、カウのイメージよりも半歩手前で静止していた。
しかも、棍の端を掴んでいる。流石にカウも少々驚いていた。
(何なんだ、こいつの制動力は。あの加速でこんなにいきなり止まれるか?慣性を無視してないか?)
しかし、正確にはフェイは止まったわけではなかった。
加速で得た直進のエネルギーを、体幹の回旋運動に変化させたのだ。前進していないから止まったように見えるが、実際には勁力を蓄えつつある状態だ。
その間に目の前を通過した棍の端を右手で捕まえ、カウが驚いている隙に右足をトン、と踏み鳴らして勁力を解放する。
フェイの体がブルン、と震えて、棍に錐揉み回転の力が伝わる。サクが槍でフェイの手を弾こうとしたのと同じ手だ。ただサクの勁力が鋭く、触れたものを砕く力なのに対し、フェイのそれは相手を崩すための勁力だった。
あっと思う間にカウはフワリと浮き上がり、天地が逆になる。
フェイが「フン!」と短く息を吐いて腰を落とすと、カウは頭から石畳に落とされてしまった。
そのままカウの肩に踏み降ろすように蹴りを入れて棍を奪い取り、後方に投げ捨てる。
しかし、カウは突然両足を跳ね上げ、空中で旋回させてフェイを蹴ろうと・・・多分に牽制程度だが・・・その勢いで起き上がった。
フェイは右足を引いてカウの蹴りをやり過ごすと、すぐに右拳を繰り出す。
カウはその攻撃を右手で外側から制し、巻き込むように封じつつ懐に飛び込み、右足をフェイの足の間に進めて、肩で体当たりをしようとした。
フェイは右肩を捻ってカウの腕を外し、その腕に沿って転がるように旋回しながらカウの右肩の外に貼り付き、勢いそのままに背中の京門穴へ肘打ちを入れる。
遂にカウも意識を失った。
崩れ落ちるカウの陰から、ヨウがいきなり斬りかかってくる。
フェイは相変わらず滑るような動きで、長剣をかわす。
どよめきと、ざわめきと、安堵の声が同時に響いた。
「よろしい」ヨウはフェイのほうに向き直りながら、満足そうに微笑んだ。
「今の攻撃がかわせないようなら、それがしの相手は務まらんからな」
「・・・あなた達は」フェイはヨウを見ながら、小首を傾げる。
「・・・一体、シバに何をされたのですか?」駆け引きではなく、単純に疑問が口から出たようだ。
「何だ。こんな時に妙なことを気にする奴だな。・・・シバ殿に何をされたかだと・・・」
ヨウは剣先を下げ、少し考えてからムイのほうに目をやった。ムイは頭を掻きながら、別に構わんよ、と頷いた。
「・・・まあいいだろう。教えてやる。大体想像が付くと思うが、我々五人は、武の技を磨き合う同士だ。それだけを目的に生きてきたのだ。当然、自分達の技にはそれなりの自負がある。・・・だが、ただ一心に武の技を磨くのみだった我らは、多分に人間性に問題があった。弟子をとって育てたり、道場を経営したりといったことには向かなかったし、腕の立つ者が近くにいれば手合わせをせずにはいられなかった。それはつまり、人里では暮らしていけないということだ。我らは山に篭り、山の中で縁あって知り合い、半ば共同生活をしながら稽古を積んでいたのだ・・・そんな我らの前に、シバ殿が現れたのは、二年ほど前のことだ」ヨウはそこで、軽く身震いをした。
「・・・シバ殿は強かった。我らが束になってかかっても、まるで敵わなかった。・・・シバ殿は、地に伏した我らに問いかけたのだ。『力が欲しいか』とな。一も二もなかった。もとより我らにとっては、力こそが全てだったからな」
ヨウはそこで改めてフェイの方を向き、ニヤリと笑った。
「そして我らは、シバ殿より『黒鎧氣』を賜ったのだ」
「・・・黒鎧氣?」
「そうだ。黒鎧氣は無極之氣の一種で、シバ殿が編み出したものだ。この氣を練れば身体機能が活性化され、スピード、パワー、耐久力、反射速度などが飛躍的に向上する。人間を越えた力が手に入るのだ・・・だが、その分リスクもある。黒鎧氣は、誰でも強くしてくれるわけではない。適正が合わなければ毒にもなる。むしろ強くなれる方が少数派なのだ。我らの仲間は、元々は16人いた。その全員が黒鎧氣を取り込み、2人が死に、5人が二度と武術のできない体になり、4人が精神に変調をきたした。・・・黒鎧氣を身に纏うというのは、それほど無理のあることなのだ。我らの、この不自然に黒い髪と目は、黒鎧氣に適合した証しとも、無理を押して生じた歪みの表れともいえるのだ・・・だが、それだけの危険を冒すだけの見返りは確かにある。黒鎧氣に適合した者は、氣を高めれば高めるほど、力を得られるからだ」
「なるほど、それで分かりました」フェイが頷く。
「要するに、あなた達の力は、外から無理矢理くっつけたものなんですね」
「・・・何だと?」
「確かにあなた達は強い。そして、速い。・・・例えばさっきカウとかいう人を、頭から石畳に落としたのに、すぐに立ち上がってきたのには、ちょっと驚きました。でも、それだけです」
「どういう意味だ?」
「・・・ただスピードとパワーがあればいいというものではありません。大事なのは、均衡を保つことです。そのための豊かな感受性がなければ・・・それによって、体がどう動き、どう止まっているのかを感じることができなければ、どんなにスピードとパワーがあっても、・・・いやむしろ、己の分を超えたスピードとパワーに振り回されて、無駄な動きが増えるばかりです。そこに隙が生じます。だから、あなた達よりスピードとパワーで劣る僕でも、ご覧の通りの戦いができるんです。そして感受性というものは、外から付け加えることはできません。自らの内面を見つめ、自らの力で育てるしかないからです」