舞台・3
「あの・・・よろしければ、夕食をご一緒しませんか?これから支度しますので・・・」そう言って、ヤンが立ち上がった。
「えっ?いや、でも、邪魔しちゃ悪いかなっと・・・」
「そうしてよ。おじさんの話、もっと聞きたいし」
「ええ・・・そうしませんか?私もヤンも、ここしばらくは家に閉じこもりっきりなので、他所の方と話をするのは、久し振りで・・・」
「あ・・・ねえフェイ、どうしよう?」
「どうしようって、決定権は上司のパイさんにあるんじゃないんですか?」
「えっ?あ、そうだ。忘れてた。うーん・・・じゃ、お言葉に甘えて、お食事もいただこうかしら」基本的にはミーハー根性から導き出された決断だった。
だが、これはこれで正しい判断だと、フェイは白仙の立場で考えていた。
(僕はともかく、パイさんのような明るい人との食事は、ラウさんとヤンさんにとっては、いい気分転換になる)
しかし同時に、(ラウさんに、錬武祭に参加してもらうのは・・・難しい・・・)とも考えていた。
ヤンが食事の支度のために席を立ち、チャンが先に宿題を済ませると言って、自分の部屋へ行った。
応接間に残されたフェイとパイ、ラウの3人は、しばらく無言でお茶を飲んでいた。
ややあって、ラウが口を開く。「フェイさんには・・・チャンの状態が、分かりましたか」
「・・・はい」
「私は・・・錬武祭には、参加できません」
「・・・そうですか」
「そうですかって、納得しちゃうの?」パイは慌てたが、特に妙案も浮かばない。
ラウは、絞り出すように言葉を続けた。「映像を見る限りでは・・・確かに、実行委員は強いのでしょう。私が錬武祭に参加するほうが、それは・・・よいとは思います。しかし・・・それでは、チャンと過ごす時間が無くなってしまう・・・戦えるだけの力を持ちながら、戦わないというのは・・・これは、世の中に対する裏切りなのかもしれません。でも、今の私にとっては、チャンとの時間が・・・何よりも、大切なんです。それに・・・あなた達が求めている、私の『力』は・・・そもそもチャンからもらったものなんです」
「え?そうなんですか?いやでも、確かラウさんの『華炎』が、暗殺者を倒したのって、5年ぐらい前ですよね?その頃って、チャン君はまだ3歳・・・」
「そうです。あの日は、チャンの初舞台でした・・・」
ラウは、いわゆる天才肌の人間だった。両親とも舞踊家で、幼少から厳しい訓練を受けてきたのだが、教えたことはすぐにできるようになってしまうので、当のラウ自身は特に稽古が辛いと思ったことはなかった。
ラウの両親は我が子の才能に磨きをかけるべく、舞踊以外にも様々な稽古をさせていた。
詩歌。書画。そして、武術。
そのどれもが、10歳前後で大人と変わらないレベルまで上達していた。
特に、武術の上達振りは目ざましかった。
いくらラウが体格に恵まれているとはいえ、10歳ぐらいでは、まだまだ大人と比べれば歴然とした体格差があった。にも関わらず、ラウは涼しい顔をして大人達の猛攻を捌き、死角を占領し、必倒の一打を繰り出した。
そう。フェイが必死の思いで体得した境地に、ラウはごく自然に、当たり前のように辿り着いていたのだ。
基礎教育が終了してから、ラウは舞踊家としての道を本格的に歩み始めた。
彼は徒手で舞い、扇を掲げて舞い、剣を、槍を、薙刀を振り回して舞った。
15歳にして、そのどれもが一級品だった。
特に、両手で2本の九節鞭を操作しながらの舞は、難易度の高い動作が多いにも関わらず、観る者に不安を感じさせないほどに安定し、なおかつ豪快で、美しい線を描き出した。
17歳の頃、ラウは自身の舞踊の演出効果として、無極之氣「華炎」を編み出した。
これは観賞用に特化した氣で、小さな花びらを模した炎の氣が大群を成して、吹雪のように、ラウの動きに合わせて宙を舞うというものだった。
この「華炎」と、風を切り裂きながら旋回する九節鞭と、ラウのしなやかで力強い動きのコラボレーションは、既に一流の芸術品だった。
舞踊学校の教師にも、ラウの両親にも、もはやラウに教えることなど何もなかった。
また、ラウは時々「動きの確認」と称して、武術大会に出場していた。舞踊学校に通い始めてからは、少なくとも打ち合いの練習などは全くしていなかったのだが、それでも大会に出る度に、あっさりと優勝を勝ち取っていた。
だが、周囲の賞賛や期待をよそに、ラウはどこか冷めたような気持ちを拭えずにいた。
(私は、このままでいいのだろうか。・・・何かが足りないような気がする。何かが・・・教わったことは、何でもできる。私にしかできない、オリジナルの技もたくさんある。それなのに・・・技術的なものが高まれば高まるほど、足りない物が大きくなっていくような気がする)
ラウはそんな思いを、半ば惰性的に胸中に抱えていた。それは気分のよいものではなかったから、取り除くために色々な工夫をした。
そういった努力自体は、辛くはなかった。生まれてから、ずっとしてきたことだったからだ。
だが楽しいとも思わなかった。そもそもラウには、努力しているという自覚がない。それほど飛び抜けた天才だったのだ。そしてその分、達成感を感じたこともなかった。
どんなに難しい技でも、ラウがこなすのは当然だと周囲は思うようになっていた。ラウ自身も、(ただ形をなぞるだけなら、私にできない動きは無い)と思うようになっていた。
舞踊学校を卒業したラウは、すぐに舞台で高い評価を受けるようになり、世界中を飛びまわるスターになった。
ラウは20歳の時に、舞台で共演したヤンに言われた。「あなたは、私なんかよりずっと優れた舞踊家なのに、何故だか足りない物があるのよね」ヤンはラウより3歳年上で、ラウにとっては姉のような存在だった。
「ふうん・・・それが・・・足りない物が何なのか、分かりますか?」ラウはまだ、自分に足りない物が何なのかを突き止めていなかった。
「分からないわよ。ただ、そう感じるだけ。・・・でも、ずっとあなたの近くにいれば、それが何なのか、分かるかもしれないわね」
そして、ラウとヤンは結婚してしまった。
2年後には、息子のチャンが生まれた。
ヤンは妊娠すると、あっさりと舞踊家を引退してしまった。
「いい機会だから、当分は家のことと、それから・・・あなたを観察することに、専念するわ」ヤンは呑気そうに言った。
「私を?観察?」
「そうよ。覚えてる?『あなたの近くにいれば、あなたに足りない物が何か、分かるかもしれない』って、以前に私が言ったの」
「うん。覚えてるよ」
「結婚して2年経つけど、まだ分からないのよ。悔しいじゃない?今の私にとっては、舞踊よりも興味深いテーマなのよ」
だが、チャンが生まれると、ヤンの興味はむしろ愛息に移ったようだった。
そしてチャンが立ち上がり始めると、(ラウの両親がそうしたように)ラウもまた、チャンに舞踊を教え始めた。
とはいえ、最初から高度なことができる筈もない。
ラウの舞を見せたり、ちょっとした身振りや手振りを真似させたりといった程度だ。