自問・4
「ああ・・・なるほどねえ」ク、ク、という笑いが洩れた。
「・・・駄目ですか?」
「いや、今の僕には、相応しい条件だね」
「今の君・・・つまり、僕に?」
「そう。・・・はっきり言って君はまだ、君自身を・・・自分自身を、完全に認めてはいない。つまり、『交渉』のための環境は、完全には整っていないんだ。それでも今、こうして交渉が進んでいるのは、専ら君の精神力に因るところが大きいね。でも、そんな風に力ずくで無理を通せば、交渉の内容や交換条件に、歪みが生じるのは避けられないんだ。それでもいい?」
「構いません。・・・それで、シバを倒せるのなら」
「よーしっ・・・じゃ、条件のひとつめは承知した。あ、言っとくけど、一度契約者を選んじゃったら、変更は受け付けないよ。それから、なるべく君と氣の波長が似てる人を選んで契約することだね。波長が似ていれば似ているほど、契約者との距離が開いても、力が発動した状態を維持できるから」
「あの、それはつまり、氣の波長が似ていない人と契約したら・・・」
「そうなったら、契約者と離れた途端に、力の発動は止まるよ。そしたら、本当に『契約者を守る』ことしかできなくなるなあ・・・ま、使用制限を目的とした交換条件なら、こうなっちゃうね。どう?色々と面倒でしょ。それでも交渉を続ける?」
「勿論です」
「うん・・・じゃ、次の条件は?」
「はい・・・力の使用方法を制限します。ただ、拳に込めて打つのみ、と。・・・飛び道具にしたり、武器に込めたりは、しません」
「うん・・・ま、逆に言えば『シバをぶん殴ってやりたい』っていう、その一点だけは譲れないってことだね」
「まあ・・・そうとも言えます」
「で、他には?」
「まだ条件が要るんですか?」
「うん。いや、今のままで交渉成立ってことにしてもいいんだけど、君が望むような圧倒的な攻撃力となると、もう一声欲しいね」
「・・・殺しません」
「ん?」
「僕は、得た力で・・・いや、力が発動している、いないに関わらず、人を殺すことは、禁じ手にします」
「ずるいなあ」
「え?」
「だって君は、シバさえ殺せれば満足なんだろう?それ以外の人間は、たとえそれがシバの仲間だろうと、そもそもが白仙の君にとっては、殺意の対象にはならないでしょう?」
「いや、僕は・・・」
「ま、心掛けは立派だよ。それにその条件、君が思ってるよりも、案外きついよ」
「・・・そう、ですか」
「人間てのはね、持っている力は使いたくなるんだよ。何しろ君が手に入れようとしているのは、あのシバでさえ倒せるほどの攻撃力だよ。もし、シバの仲間と戦う羽目になったら、甘い誘惑に勝てるかな?」
「そんな誘惑に・・・負けたりはしません。シバを倒すためなら」
「うん・・・そうだね」
突然、フェイの視界が銀色に輝き始めた。
「おめでとう。一応、交渉成立だよ。君にこの力をあげよう・・・使い方は、君自身の体に訊くといい」
「これは・・・銀色の・・・氣?」
「ま、正確には灰色なんだよね。純度の高い白仙の君が、無理に黒仙みたいに破壊的な力を身につけようとしたから、何だかこんな色の氣ができちゃってね。そうだねえ、この氣が発動している間は、君はもう白仙でも黒仙でもない。その魂は、灰色に染まっているんだからね」
「そんなことは、大した問題じゃありません」
「シバを、倒せるのなら?」
「そうです」
「そうかい・・・じゃ、健闘を祈るよ」
そして、魂は氣配を消した。
瞑想から覚めたフェイは、自分の中に、今までにはなかった「氣」が眠っているのを感じていた。
交渉が成立したのだ。・・・シバが警備隊本部を襲撃してから、2年と少しの月日が経っていた。
シュウはずっと山の中で、基礎体力から鍛え直していた。一年がかりでどうにか「無極之氣」を発動させることに成功し、それを全身に巡らせて、耐久力を大幅に上昇させることができるようになっていた。
(俺は、フェイのように器用な戦い方はできない。ならばいっそ、相打ち上等で競り勝つしかない)そう考えたシュウは、硬氣功をその鍛錬の中心に据えた。
硬氣功とは、練り込んだ氣を集中させることで、体を硬く丈夫にする技術のことだ。達人クラスの硬氣功の遣い手の耐久力なら、手足での攻撃は勿論、刀や槍などの刃物による攻撃さえも、跳ね返すことができる。
だがしかし、その鍛錬は尋常ではなかった。
日常生活の中で、とにかく隙があればランに攻撃してもらい、それを真っ向から受けて跳ね返すのだ。
実は硬氣功というのは、正確には武術の技とはいえない。
本来武術というものは、相手の攻撃は当てさせずに、自分の攻撃を一方的に当てることを目標としている。だから、相手の攻撃を正面から受け止めて跳ね返すという硬氣功は、どちらかというと自分の内功の力を計るための、試験的な技術なのだ。
そのために、実際の戦闘の中では実用が難しいと思われる部分がある。
それは、相手がいつ、どこを攻撃してくるかが分かっていなければならないということだ。なぜなら、硬氣功によって耐久力を高められるのは、原則として体のほんの一部でしかなく、しかもその持続時間は非常に短いからだ。
だが現実の戦いの中で、どこを打つかなどと教えてから打つ者などいない。いつ、どこを打つのか分からないように打ってこそ、急所に当てたり、倒したりできるからだ。
だから硬氣功は、実際の戦闘では、あまり役に立たないのだ。
ところがシュウは、そんな硬氣功の欠点を克服しようとしていた。
そのために、ランに予告なしでの攻撃をさせたのだ。いつ、どこで、どこから、どこを打たれるか分からない。そんな状況下で硬氣功を発動させ、攻撃を跳ね返すのだ。
どう考えても、理論的に無理があった。
(だが、その無理を通さなければ、シバを倒せない)シュウはそう考えていた。
シュウはいくら頑張っても、フェイのように鮮やかに死角に滑り込む技術は、修得できる気がしなかった。ならば、シバの攻撃を受けつつ、それでもなお前進して間合いを詰めなければ、シバを打つことはできない。
だが、シバの攻撃力が並ではないことも分かっている。普通に練り込んだ氣を、普通に全身に巡らせた程度の耐久力では、とてももたない。
(ならば・・・常に無極之氣を膨張させ、全身にパンパンに張り詰めた状態にすれば、全身の耐久力を、硬氣功の発動状態のレベルで保てる。そうすれば、シバの攻撃を幾つかもらいながらでも、何とか戦える筈だ)
・・・そう信じて、シュウは修行を続けた。
ランは、シュウの山小屋から100メートルほど離れた場所に、自分の山小屋を建てて住んでいた。
山小屋を建てる時に、シュウに手伝ってもらって以後は、シュウがランの山小屋を訪れることはなかった。シュウはユエのことを忘れられずにいたし、ランもそれがよく分かっていた。だからランも、シュウの山小屋を訪問しても、中に入ろうとはしなかった。・・・シュウの怪我の治療をする時を、除いては。
それでも、修行の相手という形で、シュウの力になれるのは嬉しかった・・・が、それは同時にシュウを傷付けることでもあり、やはり複雑な気分だった。
実際、修行を始めた頃は、何度もシュウにひどい怪我を負わせていた。