契約・1
フェイはどんどん歩いて、とうとう実行委員達の前まで来てしまった。
「お、なんだお前さんか」ホイが気安く声をかけながら、自分もフェイに歩み寄る。
「さっきの、あの姉ちゃんを担いで走ったのは見事だったな。・・・俺にゃ、あんな真似はできねえ」フェイと2メートルほどの距離で止まる。
「随分あっさりと実力差を認めるんですね」フェイは何気なく左足を半歩進める。両腕は下げたままだ。
「なーに、逃げ足の実力と武術の実力は、比例するわけじゃねえしな」刀を振り回しながら、ギャハハと笑う。フェイも一緒になってハハハッと笑った。
ホイの肩頬がピクリと引きつった。
「・・・おい、何が可笑しい?」刀をダラリと垂らして凄む。
「いや、僕は逃げ足も武術も同じぐらいできますから」
「・・・小僧、図に乗るんじゃあ」ねえ、と喚きながら、ホイは刀を振り上げようとした。恐らく、ホイ自身はそうしようとしたのだろう。
しかし、ホイの言葉が終わるより先に、フェイが跳び出していた。フェイが跳んだというよりは、地面がフェイを弾き出したかのような動きだった。
フェイがホイの右肩の外に貼り付くのと、左手でホイの右肘を擦り上げるようにして封じるのと、右拳で腹のの鳩尾穴を突くのとが同時に行われた。それだけでホイは意識を失った。
穏やかな川の流れのような、緩急やメリハリのない動きだ。
ホイの小太りな体が弾むように崩れ落ち、どよめきが起こる。
パイも驚いていた。(あいつ、白仙じゃなかったの?武術もできるの?いや、『できる』ってレベルの動きじゃないでしょ、あれは)
サクが、槍を肩に担いでノソッと近付いてくる。
「いかんなあ、ホイは・・・どうも敵を舐めてかかる癖が抜けない」
「相棒でしょう?いいんですか、そんなこと言っても」
「相棒だからこそ、厳しく言うべきことは言わねばな」フェイの3メートル手前で、左足を前にして止まる。肩の上を滑らせるように槍を擦り上げて、柄の端を右手で掴む。
そのまま無造作に槍をフェイに向けて倒し、穂先をカツンと地に落とした。
「じゃ、あなたは敵を舐めたりはしないんですか?」左足をサクに向けて半歩出す。
「当然だ」サクは言うが早いか槍を跳ね上げ、左手でしごきながら、真っ直ぐに突き出した。
フェイは斜め右に体捌きをして、右手を槍に貼り付かせる。そのまま右手で槍を封じつつ、左手で更に槍の手元に近い部分を制するつもりだった。
しかしサクは槍を引きながら、槍に錐のような捻り回転を加えた。サクほどの遣い手が捻りを加えた槍は、削岩機以上の破壊力を持つ。もし、フェイが槍から手を離さなければ、手が砕け散ってしまうほどの勁力だ。
フェイは迫り来る力を聴き取り、槍から手を離す。しかし、ゆったりしたフェイの袖の端が、槍の捻りに巻き込まれてしまった。
バンッ、という音がして、フェイの左袖が肘までボロボロに弾ける。
(勘のいい奴だ)サクは感心していたが、驚いてはいなかった。フェイの次の動きも読んでいた。
(こいつはこのまま踏み込んで、間合いを詰めにくる)距離が開いたままだと、結局は槍が有利だからだ。だが懐に入ってしまえば、槍は長い柄が邪魔になって扱いにくい。それが定石だ。
サクは、それを逆手に取ろうとしていた。槍を引く動きを止めずに、手の内で槍の柄を滑らせて、穂先のすぐ近くを握る。こうすれば、短刀に近い使い方ができる。
柄の長さが変わるわけではないから、短刀術そのままの用法は使えないが、それでも近い間合いの敵を攻撃できるのは、そこが安全圏だと思って踏み込んできた者にとっては脅威だ。
予想通り、フェイは踏み込みの勢いを緩めない。サクは右手で穂先の際を掴む。(さあ、仕切り直しだ・・・)
しかし、サクにとって予想外の要素がひとつだけあった。
フェイのスピードだ。彼はサクの予想より早く間合いを詰め、左手でサクの右手首を封じて槍を無力化し、そのまま右肩の外に貼り付いて、右拳で脇腹の期門穴を突いた。
左右の切り返しがあっても、スルスルと滑るように移動して、しかも上体がブレない。
そしてサクも意識を失った。細い体が折れるように沈む。
またどよめきが起った。ただ先刻の、驚きの声しかなかったどよめきと違い、今回は希望の色があった。
「フェイ〜、左手は?大丈夫?」パイが怒鳴った。
「ちょっと痺れましたけど、大丈夫です」フェイは左手をヒラヒラさせて見せたが、今度はパイの方を振り向きはしなかった。
カウが間合いを詰め始めていた。
薙刀の柄の刃に近いところを、右手で引っ掛けるように持ち、左手は自然に下げている。刃を膝の高さにぶら下げて、柄のほとんどは背中側に回し、普通に歩いて間合いを詰めてくる。
間合いを詰めながら呼吸を整え、氣を練っている。次第に薙刀の刃の部分が赤くなってきた。火氣を込めたのだ。
「若造、今度は気楽には武器に触れられんぞ。触れればそこが黒焦げだ」
「そのようですね」
いきなり、カウが跳ぶように踏み込んだ。左足がそのまま前蹴りになりそうな勢いだ。重量兵器を右手だけで豪快に振りかぶって、フェイの肩口に斬り下ろす。
フェイはサッと左に体捌きをしてかわす。
カウも一撃目がかわされるのは予測していた。フェイの反射速度は尋常ではない。
だが、カウの連続攻撃も速い。薙刀を振り下ろした勢いで前に出た右足を軸にすると、今度は左手も柄に添えて、右へ水平に薙ぎ払う。
フェイはこの水平斬りも見切って後退する。
だが刃に込められた火氣の熱が届いたのか、フェイの服の胸がジリジリと煙を上げて焦げた。しかも後退してかわしたのでは、間合いは薙刀に有利なままだ。それが分かっていながら後退せざるを得ないほど、カウの攻撃は鋭く、刃の熱は凄まじい。
しかし、ここでフェイが握手でもするかのように自然に右手を差し出した。その右手から何かが飛び出して、カウの薙刀の刃に向かって真っ直ぐに飛ぶ。
銅貨だった。
その銅貨が火氣の込められた薙刀の刃に触れた途端、何故か弾かれもせずに吸い付いた上に、メギメギと音を立てて刃が潰れはじめた。
火生土。火氣は土氣を生む。
フェイの投げた銅貨には、土氣が込められていた。その土氣が刃に込められた火氣を吸収して急激に膨張したのだ。土氣は物理的には「引力」として作用する。銅貨に込められた土氣は、更に火氣を取り入れるべく、その引力で刃自体をも取り込もうとした。
そして刃は銅貨に巻き付くようにひしゃげ、圧縮され、薙刀の柄から離れ、遂には銅貨と共に一個の金属球となって地に落ちた。
カウは刃のなくなった薙刀の先を見つめ、不思議そうな顔をしている。
「・・・お前、本当は黒仙じゃないのか?」カウはフェイをジロジロと眺め回した。
「いいえ、僕は白仙です。だから攻撃的な氣を練るのは苦手です。でも白仙でも、相生や相剋の理を利用すれば、黒仙の氣を暴発させたり、無力化したりはできますよ」
「そんなことは知っている。だがな、俺は特級の黒仙なんだ」
氣の扱いに優れているというのは、単に大きな氣を扱えればよいというものではない。肝心なのは、いかに氣を安定した状態で保てるかどうかだ。
だから、中級か上級までの黒仙ならいざ知らず、特級の黒仙が練った氣を、元々が攻撃的な氣を扱うのを苦手とする白仙が(いかに相生の理をもってしても)暴発させるのは難しいのだ。(但し、相剋の理をもって無力化するのは比較的容易い)