自問・1
シバの放った魔吼砲の余波は、病院で勤務中のフェイのところまで届いていた。
間を置かずに救急隊から、多数の怪我人の収容準備の要請が来た。
その頃にはフェイは、手早く仕事に切りをつけると、この禍々しい氣の発生場所に向かって走り出していた。場所は恐らく警備隊の本部だろうと、見当がついていた。
(それにしても、何と攻撃的で、殺意に満ちた氣だろうか・・・現場がどれほどの惨状か、想像もつかない・・・)
フェイは途中で、シュウの乗った車を見つけた。
シュウは隊商と建設作業員の喧嘩を鎮圧した後、勤務時間の終わった五番・六番部隊には帰ってもらって、捜査班の現場検証に付き合っていたのだ。
フェイは車と並んで走りながら、シュウに訊ねた。「本部で何があったんですか?」
「分からん。とにかく、出鱈目に強い奴に襲撃されたらしい。・・・くそっ、渋滞か」
「僕は先に行きます」
「おいフェイ、待ってくれ。・・・ラン、車を頼む。俺も走っていく。そのほうが早い」
「じゃ、私も行くわ。ウーソン、車を頼んだわよ」
「えっ?俺も・・・」
「文句言わないの!」
ランにピシャリと言われて、ウーソンは渋々運転を代わった。
フェイが先頭を走り、シュウが続く。ランも懸命に走ったが、二人との距離は開くばかりだった。
ランが本部に到着する頃には、フェイとシュウはとっくに本館の中にいた。
そして、今度はフェイとシュウのほうが動けなくなっていた。
ユエの亡骸を見つけたからだ。
軽傷8名。重症17名。・・・死者36名。
戦ったというより、襲撃されて一方的にやられたとでもいうべき惨状だった。
生存者の一人のファンズンの証言で、犯人は元軍人で、白兵戦の専門家のシバという男だと分かった。早速捜査本部が置かれ、シバの足取りと共に、なぜ襲撃を許したのか、なぜここまで一方的にやられたのか・・・その原因の調査が始まった。
だが、広間に設置されていた撮影鏡に残されていた、シバの戦いぶりの映像を見れば、もはや原因の究明も何もなかった。
単純に、シバが強かったのだ。
特に、黒い氣を纏ってからのシバの戦闘力は、速さも、力も、技術も・・・全てにおいて、想定外だった。
シュウは勿論、フェイもその映像を見た。映像には、ユエが魔吼砲に飲まれて息絶える瞬間も写っていた。二人はそれを見て衝撃を受け、そして・・・仮に自分達がこの場にいたとしても、シバには勝てなかっただろうという・・・認めたくはないが、認めざるを得ない実力差に、更なる衝撃を受けた。
・・・ユエを弔った日の夜、フェイとシュウは、二人で酒を飲んでいた。
シュウとユエが暮らしていた部屋で、差し向かいに座り、卓に両肘をついて・・・俯きながら、酒を酌み交わした。
まだ、部屋のあちこちに、ユエの氣が残っていた。
「・・・なあ、フェイ」全く素面の声色で、シュウが呟いた。
「・・・はい」フェイも素面だ。二人ともただでさえ酒には強いほうだったし、その上こんな気分では、酔いたくても酔えないのだ。
「あの、シバとかいう爺さんは・・・強いな。くそっ・・・あんな奴が、『強い』なんて、言いたくもないが・・・」
「でも、実際に・・・強い」
「そうだ。・・・俺は、ファンズンさんの話を聞いて・・・犯人が、老人一人だって聞いて・・・それなら、つまらん喧嘩の現場検証なんぞに付き合わずに、さっさと本部に戻ってりゃ・・・本部に残ってた、九番部隊の・・・チンジャオも、カオレンも、スチェンも、ジンフンも、カオジェンも、ジャンイも、ガオジンも・・・」そこで声を詰まらせた。
「それに・・・ユエも、守れたんじゃないかと思った。だが、あの映像を見て・・・正直、恐かったんだ。あの場に居なくてよかった・・・そんな気持ちさえ、あった」
「そういうものです。後から客観的に映像を見ているんですから・・・」
「そうかもしれん。だが・・・悔しいだろうが。不甲斐ないだろうが。誰も守れなかった。仇も討てない。それも、これも、みんな俺が弱いからだ」
「シュウは弱くはありません」
「だが、シバから見れば、子供も同然だ」
「それは僕も同じです。・・・僕が、あの場にいたとしても・・・やはり、誰も守れなかったでしょう」
「・・・冗談だろう。俺に気を遣わなくても・・・」
「本当です。あの、黒い氣を纏う前のシバならともかく、その後のシバには、手も足も出ません。・・・いや、正確には、幾ら手足を出しても・・・攻撃しても、倒せません。奴は・・・攻撃力だけじゃありません。耐久力も桁違いです」
「・・・俺達、今まで・・・何をやってたんだろうな」
「何って・・・」
「何が武術だ。何が警備隊だ・・・肝心な時に、一番、守りたい者を守れずに・・・」
「シュウ。自分だけのせいにしても、何にもなりま・・・」
「腹が減ったな」
「え?」
「こんな気分でも、腹は減るんだな」
「・・・そうですね」
「冷蔵庫に、まだ何かあった筈だが・・・それとも、こっちに乾き物があったか・・・」
シュウがゴソゴソと台所を探るのを、フェイは黙って見ていた。
ふと、冷蔵庫を開けたシュウが、その動きを止めた。
「・・・シュウ?」
シュウは黙って、冷蔵庫から卵を一つ取り出した。
床で卵の殻を割り、頭上に持ち上げると、上を向いて口を大きく開けて、卵の中味を落とした。
シュウは卵を飲み込むと、また冷蔵庫から卵を取り出し、同じようにして飲んだ。そしてまた・・・今度は、両手に一つずつ卵を持って、二つの卵の中味を同時に口の中に落とした。左手に持った卵の白身が、口から少し外れて、顎へ流れた。
シュウはそれをぞんざいに拭い、また卵を取り出して飲んだ。
結局、シュウは9個の卵を飲んだ。
「ふん、幾つでも食えるじゃないか・・・何で、卵料理が重なったぐらいで、あんなにムカついたんだろうな・・・」
「シュウ、それは・・・」
「分かってるさ。状況が違えば、感じ方も違うとか、そういうことだろう。・・・お前の言うことは、いつだって、理屈だ」
「・・・・・・」
「・・・すまんな」
「・・・いえ・・・」
「そうなんだよ」
「・・・?」
「こんな風に、その気になりゃ、いつでも・・・謝るのも、仲直りなんぞも、いつだってできると思ってたんだ」
(いつだってできます。シュウが本気で望みさえすれば、謝罪も和解も・・・いつだってできます)フェイの脳裏に浮かんだ言葉は、しかし、声にはならなかった。
「全く・・・今度、卵料理が重なったら・・・何品だって、全部食うつもりだったのによ・・・」
(それは無理です。ユエはもう、あなたから頼みでもしない限りは、卵料理は一度に一品しか作らないと決めてました)この言葉も、フェイの喉元まで上がってはきたが、とうとう口にはできなかった。
シュウはそのまま台所に座り込み、フェイは一人で飲み続けた。
いつしか酔いが回り、フェイはテーブルに顔を伏せて眠り込んでいた。
そして・・・フェイが目を覚ました時、シュウの姿はなかった。
部屋の隅にまとめてあった荷物も・・・消えていた。