朝練・8
シュウは立ち上がって腰に手を当て、2〜3回首を振ってから、トントンと軽くジャンプしてリズムを整えた。
「あーっ、やっぱり酒が残ってるのかな・・・」
「お酒のせいにしちゃいけません。・・・でも、そんなに飲んだんですか?」
「いや、本当に大した量じゃないんだが、きつい酒でなあ。そのくせ喉越しが良くて・・・やっぱり結構飲んだか。普段、いい酒なんて飲み慣れてねえから」
「珍しいですね。シュウが高いお酒に手を出すなんて」
「いやあ、昨日はサント部長のお宅に招待されて、ご馳走になったんだよ・・・しかしあれだな、ガキの成長ってのは速いな。いや、部長の息子さんがな。俺が入隊した頃に見た時は、フラフラしながら歩いてたくせに、昨日久し振りに見たら、もう学校に行ってんだぜ」
「あなたが入隊して以来なら、もう4年も経ってるでしょうが・・・でも、部長さんのお宅に招待されたってのは、結婚祝いみたいなもんですか?」
「ああ、そうだ。部長んちの奥さんも働いてるからな。俺とユエと、部長のお宅と・・・全員の休みが揃ったのが昨日でな」
「・・・じゃ、ユエも招待されたんですか?」
「おう」
「それじゃ、その強いお酒をユエにも飲ませたんですか?」
「んっ?ああ、少しな・・・おいおい、ユエだってもう大人だぜ」
「それはそうですが・・・」
「ハハッ。そう心配するなよ、お兄さん」シュウが笑いながらフェイの肩を叩く。
「その『お兄さん』というのはやめてください。・・・大体、シュウのほうが僕より半年早く生まれてるでしょう」
シュウは、ユエに「兄さんより強く見える」と言われたその日から、ユエに恋をした。
シュウはこういうことにかけては、非常に分かり易い性格をしていたので、実に分かり易くユエに告白をした。ユエもまんざらではなかったので、二人はこれまた分かり易い交際を続けた。
そしてとうとうこの春・・・一ヶ月ほど前に、二人は結婚してしまったのだ。
だから、フェイとシュウは今では兄弟でもある。
シュウはフェイの肩から手を離すと、大股で退いて間合いを取り直した。
左足を前にして構えて気力を溜め、床を蹴って跳び出す。ほぼ同時にフェイも突進した。
シュウはカウンターで左の前蹴りを合わせる。
しかし、フェイは余裕でこの蹴りの外に滑り込む。
ここからフェイがシュウの左側面に滑り込むのがパターンだ。
ところがシュウは左足を下ろすと、すぐに右回りに回転しながら右の手刀でフェイの首筋を狙った。
フェイはこの手刀に右掌を粘らせて、勁力に逆らわないように、やや回り込むような歩法でシュウの右側面を取ろうとする。
しかし、シュウは軽く浮身をかけて左右の足を入れ替え、右方向への旋回を続けつつ、左の掌打をフェイの右肘に打ち下ろす。
シュウらしい豪快な崩しだ。
だがフェイは圧力に逆らわず、左掌で頭をかばいながら、右手を捻り下ろして掌打を逸らすと、そのまま左向きに旋回した。
一瞬、フェイがシュウに背中を向ける形になる。すかさずシュウは左掌に木氣の雷、右掌に火氣の炎を発現させ、上下に揃えてフェイの背中を狙う。
2種類以上の属性の氣で同時に攻められると、無難で安全な対応パターンが無くなるので、大変に面倒だ。
ましてやシュウは黒仙、フェイは白仙だから、この雷と炎の同時攻撃に対して、フェイが五行のどの属性で対応しても・・・最終的にはシュウに押し切られる可能性が高い。
ここは一度退いて、仕切り直すのもひとつの選択肢だ。
だが、フェイは旋回を続けてシュウの方を向くと、頭上に掲げていた左掌を振り下ろして・・・雷と炎を、同時に消してしまった。
勿論シュウの両掌も、叩き落されている。
すかさずフェイは右足を半歩進めて、シュウの左上腕に右掌を粘らせ、そのまま勁を徹す。
またシュウは吹っ飛ばされて、今度は横回りで床を転がった。
フェイの左掌からは、光のような、霧のような、炎のような・・・木火土金水のいずれでもない氣が溢れ出していた。
これが、シュウの雷と炎を同時にかき消した・・・「無極之氣」だ。
無極とは、渾沌のことだ。
そして無極之氣とは、意念によって木火土金水の全ての属性を内包した氣のことだ。
無極之氣の中には、拡散と収縮、熱性と冷性、活動と停滞といった相反する要素が、矛盾なく納められている。
このような氣を安定した状態で練り上げるには、非常に高度な技術と意念が要求される。事実、無極之氣はごく限られた者にしか扱えない。
フェイはこの無極之氣を、白仙の養成学校の在学中に・・・17歳の若さで発現させることに成功していた。この時フェイは中級の白仙だったが、無極之氣を発動させたことで、上級を飛ばして特級の白仙に認定された。
無極之氣は、人間が意念によって練り上げる・・・いわば「人工的な氣」の完成形のひとつだ。
原則として無極之氣には、
1、運動機能の向上。
2、治癒力の向上。
3、呪術的効果の発現。
4、五行のどの属性に対しても、相生の関係を作れる。
5、五行のどの属性に対しても、相剋の関係を作れる。
・・・という特性がある。
4,5の特性は、無極之氣ならではのものだ。
1〜3の特性は、無極之氣だけでなく、自然に存在する・・・天然の氣にもあるのだが、無極之氣の方が、その効果は格段に高い。
また、無極之氣は術者の性格や嗜好、元々の氣の性質などによって大きな影響を受けるので、原則どおりの特性を持っているとは限らないし、それ以外の力が付加されることも多い。
いうなれば、「無を極めた氣」ではなく、「極めることが無い氣」というのが正しいか。
ちなみにフェイの練る無極之氣には、
●フェイ自身の運動機能の大幅な向上。
●治療に使用した場合、患者の治癒力の飛躍的な向上。
●五行の全ての属性について、それが攻撃的なものなら無力化できる。
・・・という特性がある。
「ち・・・やっぱり無極之氣ってなあ便利だな」シュウが立ち上がりながら呟く。
「シュウにも素質はありますよ。雷と炎、二つの属性を同時に発現できるんですから」
「ハハハッ・・・まあ、俺は不器用だからな。気長にやるさ」
自分で不器用と言ってはいるが、シュウも既に特級の黒仙だった。
シュウは警備隊の訓練学校を卒業後、ペイジ国の警備隊本部に配属された。
フェイは白仙の養成学校を卒業後、警備隊本部と同じ市内の病院に就職した。
そして、警備隊本部の格技室に場所を移して・・・さすがに頻度は週2回に減ったが・・・フェイとシュウの朝練は続いていた。
だが、この初夏の日を最後に・・・朝練は、終わってしまった。
朝練・了