朝練・6
割合でいえば、「中級の黒仙」に分類される者が圧倒的に多いのだが、これはある意味自然だ。
白仙はその能力の特性上、できる仕事はほぼ医療関係に絞られる。
それに対して黒仙の能力は、農林水産業、製造加工業などの多岐に渡って活用できるからだ。
ただ、全ての人間が白仙と黒仙にはっきりと分類できるかというと、そうでもない。実際に一番多いのは「中級の黒仙と初級の白仙が混ざったような能力」を持つ者だ。
また、氣を練ること自体が苦手な者も少なくないが、そういう者達には大抵別の能力がある。
例えばこの世界では、医薬は完全に分業となっている。
医術を生業とする白仙には、当然氣を練って使う能力が必要だ。
しかし薬の専門家の薬師には、氣を練るよりも、氣を「読む」能力が求められる。そのほうが薬草や動物、鉱物などといった薬の素材の目利きや調合、患者に応じた匙加減の役に立つからだ。
この「氣を読む」能力にかけては、白仙は人の氣は読めても、草木や動物や鉱物の氣を読み取ることとなると、薬師にはとても及ばない。
要は自分の得意分野を追求していけば、何らかの仕事があるということだ。
フェイの練る氣は、典型的な白仙のそれだった。
そもそもフェイとシュウが武術の早朝練習をするようになってから、それは同時に白仙の修行にもなっていた。
武術の練習に怪我は付き物だが、シュウの怪我もフェイ自身の怪我も、その殆んどをフェイが治療していたからだ。
おかげで白仙の学校への進学を決める頃には、擦過傷や打撲、捻挫などの治療に関しては、フェイは既に上級の白仙レベルになっていた。
「・・・なら、今の掌打で酔いは完全に醒めてくれるのかい?」
「ええ、あと30分もすれば」
「じゃ、もうひと頑張りするかな」
シュウは呼吸を整えて氣を練り、右手に木氣を込める。掌に細かい雷が散り、それを握り潰すように拳を固める。
シュウは黒仙の見本のような男だ。彼の練る氣は荒々しくて力強く、高い攻撃力を秘めている。扱える属性が木氣と火氣・・・雷と炎だけなのも、むしろ戦闘タイプの黒仙として潔いとさえいえる。
シュウは右の前蹴りを脛の高さで放ち、フェイの出足を牽制しつつ、右の圏捶(回し打ち)を振る。フェイはギリギリで見切って後方にかわし、すぐにしなった竹が跳ね返るように踏み込む。その踏み込みに合わせてシュウは右拳を切り返し、裏拳でフェイの右頬を狙う。
この時シュウは、右手に込めた木氣を火氣に変化させていた。
もしフェイが木氣を剋するつもりで金氣を練っていれば、逆に火氣で剋して押し込める。仮にフェイが木氣の暴発を狙って火氣を練っていても、シュウの火氣なら相殺できる。
しかしフェイは水氣を込めた右掌で、無難に火氣を剋し、裏拳を封じてしまった。この水氣が木氣の暴発を誘うためのものではなく、火氣への変化を見切った上で、相剋を狙ったものだということは、フェイの捌きの余裕ぶりからうかがい知れる。
(相変わらず手堅いな。だが!)シュウは火氣を込めた裏拳を封じられることを予測していたので、打拳の軌道を調節して、フェイに右手首を捕らせていた。
だからシュウの右肘は、かろうじてフリーだ。
いつものパターンなら、フェイはこのままシュウの右肩の外に滑り込んでくる。
その軌道を狙って、シュウは封じられるのを免れた右肘を打ち込む。・・・筈だった。
フェイはシュウの右手首を封じた位置から動かず、シュウの右肘をも左掌で封じていた。
(あ、まずい・・・)シュウが思い切って後方に跳ぼうとするよりも早く、「哈!」という気合と共に、フェイの双按(両掌での打撃)が炸裂する。
勁力がシュウの右腕から肩を貫き、全身をからめ捕って吹っ飛ばす。
シュウは今度も足から着地しながら、勢い余って後方回転する羽目になった。
フェイとシュウが別々の学校に進学してからも、オンボロ寺での朝練は続いていた。さすがにユエは見物に来なくなっていたが・・・。
しかし、二人が16歳の秋に、遂にそのオンボロ寺が取り壊されることになってしまった。フェイは(10年ちょっと続いたシュウとの朝練も、これで終わりか・・・)と、少し感傷的になっていた。
ところが朝練は終わらなかった。
シュウが自分の通っている警備隊の訓練学校に、「早朝に、腕の立つ友人と自主練習をしたいので、格技室を貸して欲しい」と申請したのだ。
これにはフェイも驚いたが、もっと驚いたのは訓練学校の教官や学生達だ。
特に、シュウ達に武術を指導している教官は、シュウの言う「腕の立つ友人」に多大な興味を覚えた。
何しろシュウはこの頃には既に、大人に混じっていくつもの武術大会に参戦しては上位入賞を果たし、教官とも互角以上に戦えるほど強かったからだ。
シュウの申し出から数日後、学校は「授業や訓練に支障が出ない程度になら」と、許可を出した。
そして朝練の初日には、「腕の立つ友人」を見ようと・・・武術教官を始めとして、シュウの強さを知る学生や教官達が、ギャラリーをなしていた。
勿論彼らが想像していた「友人像」は、シュウに勝るとも劣らない、骨太で筋肉質の男だ。だから、身長150センチにも満たないフェイが、申し訳なさそうに格技室に入ってきた時には、ギャラリーのほぼ全員が「誰だこいつは?何をしに来た?」と困惑していた。
件の武術教官に至っては、困惑以上の衝動に突き動かされ、自ら進み出てフェイに手合わせを申し出たほどだ。
フェイは「僕はシュウと練習するために来ただけですから」と断ったのだが、シュウが「いいからやってみろよ」と背中を押したので、「では、胸をお借りします」と頭を下げ、教官と向き合った。
そして、フェイの正面に立った教官は、先刻までとは別の意味で困惑してしまった。
自分よりずっと小さい筈のフェイが、大きく見えるのだ。それでいて同時に存在感がない。
フェイはただ、左足を半歩前に出してスッと立っているだけだ。それなのに・・・止まっているのに、動いているように見える。もう自分は打たれているような気さえしてくる。
フェイに隙があるとかないとかいう以前に、自分がどういう姿勢で構えているのかさえおぼつかない。
教官はシュウの方をチラリと見て、「おい、こいつは何者なんだ?」と、喉元までせり上がってきた言葉を飲み込んだ。
シュウはただ微笑んでいるだけだ。
ところが、フェイはこの教官以上に困惑していた。
教官と向き合った瞬間に、「この人は、シュウよりも弱い」と直感的に気付いてしまったからだ。
しかし、「教官が学生よりも弱い」などとは、理性の部分が納得してくれない。
考えたあげく、フェイは「この教官は、わざと弱いフリをして僕の油断を誘っている」という、全く見当違いの結論を出した。
だから、シュウとの練習と同じように・・・手加減はしても、手抜きは一切せずに打ち込んだ。
その結果、教官は脇腹の期門穴への一撃で昏倒してしまった。フェイのほうはといえば、打たれた瞬間に白目をむいた教官を見て、咄嗟に彼が床で頭を打たないように抱きかかえるという余裕まであった。
ちなみに、この一撃で教官の肋骨が2本折れてしまい、フェイに抱きかかえられた時にその肋骨が締めつけられたため、激痛で彼は意識を取り戻したのだった。
以来フェイは、週3回のシュウとの朝練の他に、半月に一度は武術の特別講師として、警備隊の訓練学校にかり出される羽目になった。