朝練・4
相手の攻めを捌けるようになってくると、その動きや姿勢がよりよく見えるようになる。その中でフェイは、完璧な構えなどない、ということに気付き始めた。
構えというのは結局、常に変化する動きの中の一局面を切り取ったものに過ぎない。ならば、そこには必ず力の流れがあり、強い部分と弱い部分がある。
そしてその弱い部分は、相手に対して有利な位置・・・死角を取った時に、自然に目の前に現れる・・・いわゆる隙だということにも気付いた。
そして、フェイの攻めが変わった。
始めから連打や連撃を設定しなくなった。
まずは相手の死角に入ることを優先し、その上で目の前に現れた隙に、渾身の一撃を叩き込む。
その一撃で、相手が倒れればよし。倒れなければ、有利な位置関係を維持しつつ、次の隙にまた一撃を打ち込む。それを、相手が倒れるまで繰り返す。
結果的に連打や連撃になることもあるが、それは文字通り結果的にそうなるだけで、始めからそういう技の繋ぎ方をするつもりはない。攻撃のひとつひとつは、あくまで「これ一発で倒す」ための攻めであって、フェイントや崩しのための攻めはない。
・・・もっともこの頃になると、フェイに二手三手を出させるのは、シュウぐらいしかいなかった。
相変わらず外見だけは小柄で華奢で女の子のような顔をしたフェイを、その見た目だけで判断して因縁をつけようとするような悪童達は、まさに一撃で地面に転がることになった。
シュウは、まだ少し痺れの残っている尻をさすりながら、フェイとの距離を取り直した。(さて、次はどの連繋を試すか・・・やはり、細かく手技をまとめていくのが無難か・・・裏をかいて、大技でいく・・・あっ!)
フェイが突進していた。
(しまった。考え過ぎた)シュウは舌打ちをしながら、身を硬くして備える。
そもそもフェイは待ちの戦法を取るタイプではない。その本領は超攻撃的スタイルといっていい。
守勢に回れば押し込まれる・・・退く暇があれば進み、受ける暇があれば打つ。これが、体格で劣るフェイの信条だ。
シュウはとにかく、フェイの動きを止めたかった。(こいつに先に動かれると、厄介なんだ・・・)
だがこれは、シュウがフェイの動きを理解し切れていない証拠でもある。
フェイは既に、静中求動、動中求静の境地を、かなり高いレベルで体現しているからだ。
そんなフェイにとって、止まっていることと動いていることの境界は、限りなく曖昧だ。だから、動き出すのが相手よりも先か後かなどということに、大した意味はない。
さて、シュウは(フェイはこのまま正面からぶつかっては来ない)と、それだけは分かっている。
もっとも、そうしてくれればシュウは助かる。まともにぶつかり合って、掴むなり組み付くなりできれば、体格で勝るシュウが有利だ。それが期待できないから厄介なのだ。
(フェイはどっちに変化する?右か?左か?)実はこれも、シュウがフェイの動きを理解し切れていない部分のひとつだ。
確かにフェイは、結果的に敵の左右のどちらかに滑り込んでいる。しかしそれは、無理な「変化」ではない。回り込んでもいない。フェイの感覚としては、あくまで到達するべき位置へ、最短距離を移動しているのだ。
そしてシュウは(また無駄なことを考えちまった)と、今まで何度も繰り返した後悔をしていた。(フェイがどっちに変化するかなんて、どうせ分かりゃしねえ)ならば、変化する前に潰せばいい。
シュウはカウンターで左の横蹴りを放つ。
だが、その蹴りは虚しくフェイの体をすり抜ける。いや、フェイの突進の軌道がわずかにずれて、蹴りの外側に出たのだ。
すかさずフェイは、シュウの蹴り足の下に左掌を差し込み、擦り上げて体勢を崩す。
そのまま右掌で、背中の命門穴を中心にして推し飛ばす。
「かはっ」と息を噴き出しながら、シュウの体が3メートルばかり宙を舞う。
手加減はしてあるので、足から着地・・・したのだが、それでも勢い余って床に手をつき、そのまま前転して起き上がる。
立ち上がったシュウは、体の芯から体温とは別の・・・熱いものが湧き上がるのを感じた。
「おいフェイ、何かやったか?」シュウは苦笑いしながら、打たれた背中をさする。
「軽い目覚ましですよ・・・命門穴に氣を徹して、回復力を一時的に上昇させました。シュウ、昨夜は飲み過ぎたでしょう」
「んっ?いやあ、かなり控えたつもりだったんだが・・・参ったな。もう酒は抜けたと思ってたんだ」
「お酒自体は抜けています。ただ、酔うことで低下した機能や、お酒を分解するのに使った体力が回復しきっていません」
12〜13歳の頃になると、フェイは喧嘩をしなくなった。もうフェイにちょっかいを出すような者はいなくなっていたし、フェイも元々自分から喧嘩を売るような真似はしていなかったからだ。
だからフェイが人と打ち合うのは、シュウとの練習の時だけになった。
しかしフェイにとっては、シュウとの練習は喧嘩のような倒し合いとは別物だった。そもそも、「シュウを倒したい」という意識が希薄だったのだ。
フェイにとっては、シュウは未だに頼れる兄貴で、同時に武術の老師で・・・「追いつきたい」という憧れの対象だったのだ。
ただ実際には、フェイは既にシュウと互角の戦いをしていた。・・・しかしそれでも、フェイにはシュウの速さや荒々しさ、力強さが羨ましくて仕方がなかった。
例えば打ち合い以外の練習をすると、圧腿などの柔軟性はフェイのほうがやや上だったが、鉄牛耕地(腕立て伏せ)などの筋力の鍛錬では、シュウには全く敵わなかった。
この頃から、フェイは動くということの本質に興味を持ち始めた。
それまでは踏み込むのも打つのも、ただ力任せなだけで、それが「速さ」や「強さ」になると思っていた。
しかし、それではどうしても予備動作が大きくなり、どんなに素早く移動しても、氣配を読まれて死角に入り損ねることが多かった。
氣配を読まれてしまうと、いくら隙を狙って渾身の一撃を入れても、シュウほどのレベルなら筋肉を締めて耐えてしまう。
・・・だがある時、フェイは何気なく・・・全く何気なく、歩くように間合いを詰め、その勢いだけを活かして自然に腕を伸ばしてシュウを打った。その突きは吸い込まれるように決まり、シュウはガックリと地に膝をついていた。
シュウは「フェイが消えたような気がした。いつ打たれたのかも分からなかった」と驚いていた。
だが、フェイ自身は、取り立てて速くも強くも動いたつもりはなかった。
むしろその日は体調も優れず、力が入らないぐらいだったのだ。それなのに、何故あんなに鮮やかに突きが決まったのか・・・これをきっかけにして、フェイは「動きの本質」に興味を持つようになっていた。
フェイはまず、「自然な動き」に注目した。
立つ、座る、歩く、跳ぶ。そういった日常的な動きを、どのような意識で、どのような氣の流れで、どの筋腱にどれだけの力を通せば・・・より効率的に動けるのか、より効率的に勁力を運用できるのか。
そんなことを、日夜考え続けた。