朝練・3
様相が変わってきたのは、フェイとシュウが9歳になった頃からだ。
シュウにとって武術とは、スピードとパワーだった。より速く、より強い攻撃を相手に叩き込む。そのための手段として、シュウは連打、連撃、連繋を磨いた。
フェイントを織り交ぜ、より高い確率で相手よりも先に攻撃を打ち込む。相手の方が先に攻めてきたなら、それを受けるというより、こちらの連打の的のひとつと捉えて打ち払う。シュウは打ち合いの練習を重ね、より効率的な連繋のパターンを増やしていった。
フェイにとっても武術とは、スピードとパワーだということに違いはなかった。
ただ、シュウとは違う形でスピードとパワーについて考えるようになる・・・いや、考えなければどうにもならなかったのだ。
シュウは同年代の中でも恵まれた体格をしていた。逆にフェイはとび抜けて小柄で、華奢だった。何か、独自の工夫をしなければ・・・シュウと同じことをやっていては、いつまでたってもシュウには追いつけない。
・・・そう、フェイにとっては、シュウに「勝つ」ことなど、全く思考の枠外にあった。
シュウのようになりたい。体格的な不利から、それが不可能だと悟った後は・・・ならばせめて、シュウとスタイルは違っても、「強さ」という一面において、シュウと同じステージに立ちたいと思った。
それがフェイ少年の願いだった。そしてそれは切実な願いだった。
フェイは、「強さ」について考え続けた。・・・純粋に、武術的に。
大人が言うような、心の強さだとか、精神の鍛錬だとか、優しさが力になるとか・・・そんな観念論はどうでもよかった。
この点、フェイが正式には武術の老師に就かず、シュウから技術的なことのみを教わっていたのは、好都合だったかもしれない。
とにかく、フェイにとっての強さとは・・・いかに短時間に、敵を制圧できるか。・・・この一点に絞られていった。
その「強さ」のためには、必ずしも連打や連繋技は有効とは思わなかった。
万全な状態で構えている相手に連打を繰り出しても、フェイントを絡めた連繋を放っても、術中にはまってくれる確率は意外と低い。
シュウのように体格に恵まれた者なら、違うパターンの連繋で攻め直せばいい。その繰り返しの中で、攻撃を命中させる機会を強引に引き寄せるという戦法がとれる。
だがしかし、それは同時に自分もまた相手の攻撃を受ける確率が高くなる、ということを意味している。技の応酬とは、そういうものだ。
フェイは、自分にはそんな戦い方はできない・・・シュウとの何年にもわたる打ち合いで、心底そう思っていた。シュウに限らず、フェイが喧嘩をする時は、相手はほぼ例外なくフェイよりも大きかった。そんな状況で、技の応酬だの、打ち合いだのをすれば、先に倒されるのは間違いなくフェイのほうだ。
そもそも、なぜ連打や連繋が必要なのか。・・・一撃で決められないからだ。
なぜ、一撃で決まらないのか?相手が万全な状態で構えているところに打ち込むからだ。
・・・ならば、まずはその構えを崩すか。いや、崩そうという行為自体が、相手の反応を引き出してしまう。反応した時点で既に崩れている、という考え方もできるが、要は相手が「反応できる」という状態にある限り、一撃では決められないということに変わりはない。
・・・そう、「反応」だ。
考えてみれば、背後からの不意打ちであれば、殆んどの者が一撃で倒れる。
それは、相手の警戒心や、反射や反応の外から・・・もしくはその隙間を狙って打つから・・・命中率も、与えるダメージも大きくなるのだ。
これこそが、フェイにとっての「スピードとパワー」だった。つまり、いかにして不意打ちに近い状況を作り出すか・・・だ。
仮に、不意打ちの典型を「背後からの攻め」だとするなら、その特徴は何か。
フェイは、目と足に注目した。背後とは、敵の目と足が自分の方を向いていない状態だと。
・・・しかし、最初から背後を取ろうとしてグルリと回り込んでも、それをジッと待ってくれる者などいない。
ならば、ギリギリまで敵の正面にいればよい。正面とは、敵の視線の向いている方向だ。ただし、正面でボケッと突っ立っていては打たれてしまう。
打たれたくなければ前へ出る。
退けば追われる。追われれば、小柄なフェイはすぐに追いつかれてしまう。だから前に出る。
前に出て、ギリギリのタイミングで敵の正面から「ずれる」。
別の表現をするなら、敵の力と「すれ違う」のだ。
この時に忘れてはならないのが、「打つために間合いを詰めている」という意識だ。そうでなければ「ずれる」のでも「すれ違う」のでもなく、「回り込む」動きになってしまい、打つまでに時間がかかり過ぎてしまう。
ギリギリのタイミングとは、いつのことか。それは、手を伸ばせば、敵が前に出している手に触れるぐらいに接近した時だ。これより速ければ逃げられるし、遅ければ打たれる。
「ずれる」「すれ違う」のは、左右どちらの方向にするのか。これは、敵が前に出している足の方向へだ。これが、背後に回るニュアンスに近い。
これで敵の側面を取れる。
側面を取ったら、すぐに敵の肘辺りに掌を粘り付かせて腕を封じる。いや、正確には腕を封じながら側面を取る。
感覚的には「敵の腕を攻撃に使わせないために封じる」というよりも、「敵の腕を盾として利用するために乗っ取る」というのが近い。
この態勢になって初めて、「死角に入った」といえる。こうして側面に貼り付いてしまえば、敵はフェイを打てず、逆にフェイは一方的に敵を打てる。
死角に入るより先に、敵が打ち込んでくることも勿論ある。しかし、敵が構えたままだろうと打ち込んでこようと、敵が前に伸ばしている腕への対処を統一すれば、迷わずに済む。
敵が前に伸ばしている腕は、自分が触れる前は「敵を守る盾」だ。
しかし、触れればそれは「敵と自分を繋ぐ橋」となる。
そして、封じれば「敵から自分を守る盾」として利用できる。
但しこれらは全て、「自分から打ちにいく」という意識がなければ成立しない戦法だ。何しろ原則として「防御のための防御」がない。あるのは「攻撃」と「迎撃」だけだ。
とにかく、まずは位置関係において主導権を持たなければ、フェイに勝ち目はない。
ちょうどこの頃、フェイの妹のユエが、時折練習を見に来るようになっていた。
ユエは武術そのものにはそれほど興味はなかったが、普段から優しくて面倒見のよい兄が、朝早くから熱心に取り組んでいるものに、単純に好奇心が湧いたのだ。
実際にフェイとシュウの練習は、子供としてはかなりレベルの高いものだったので、眺めているだけでも結構面白いとユエは感じていた。
また、普段とは違う兄の一面を見るのも、兄とは違うシュウのようなタイプの男の子の存在も新鮮だった。シュウも基本的には優しい性格なので、ユエにとっては兄が二人になったような気がした。
もっともユエが一番楽しみにしていたのは、練習後のフェイとシュウが、朝食前の腹ごしらえに屋台で買って食べる饅頭を分けてもらうことだった。
10歳を過ぎ、体がイメージ通りに動き、死角に入れるようになってくると、次第にフェイはシュウの攻撃をもらわなくなってきた。
「ただ守るだけの受け技なんて、役に立たない。守りとは、堅実な『攻撃』に『付いてくる』ものだ」と、フェイは悟った。