朝練・2
今のフェイとシュウの攻防は、五行の相剋関係の理の応用だ。
五行には、相生関係の他に、相剋関係がある。
木は土を取り込む。木剋土。
土は水をせき止める。土剋水。
水は火を消し去る。水剋火。
火は金属を溶かす。火剋金。
金属は木を切断する。金剋木。
フェイは水氣をもって、シュウの炎を剋し、無力化したのだ。
相剋の理による氣の無力化は、ただ相手の攻撃力を減らすだけの効果しかないが、その代わりに相生の理で氣の暴発を誘うよりも、ずっと容易くて安全だ。
二人は手を離すと、格技室の中央へ移動し、3メートルほどの距離をとって向かい合った。
この格技室は、警備隊本部の3階にあり、20メートル四方ほどの広さがある。弾力性のある素材で作られた、生成りの壁と薄茶色の床、それに大きめの窓。
何かの競技に使用するのではなく、専ら格闘戦を中心とした警備隊員の訓練のための部屋なので、床には特に仕切り線などはない。壁には拳術や棍術の套路を記した図や、各種の練功法の手順などがベタベタと貼ってある。
まことにシンプルかつ殺風景な部屋だ。
普段はこのような早朝であっても、周りに何組か他の練習者がいるものなので、それなりに周囲を気にしつつ、端へ寄ったり中央に戻ったりしながらの練習が常だった。
しかし、この日は珍しくフェイとシュウしかいなかったので、ここはひとつ遠慮せずに、部屋の真ん中を堂々と使わせてもらうことにしたのだ。
シュウはトントンと軽い足踏みを繰り返し、フェイはユラユラと揺れながら氣を整える。
シュウが左足をガッと大きく前に出して体重をかけ、両拳を胸の高さに、腕をやや伸ばし気味に構える。内に秘めた爆発力が、あふれ出さんばかりに漲っていた。
フェイは、左足をスッと半歩前に出し、両手は下げたままだ。体重がどちらの足にかかっているのか、外から見てもハッキリしない。
一応、後ろ側の右足が軸になっている分、左足よりは右足に体重がかかっている。
しかしフェイの姿勢は、見た目にはとても静かで、まるで止まっているようでいて、実はその内面は激しく動いていた。
ちょうど、高速で回転する独楽が、パッと見には静止して見えるかのように。
この、激しさと静かさを含有した姿勢が、高い安定性と機動力とを両立させているのだ。
だから、フェイがその気になりさえすれば、体の軸は一瞬で左足に移せる。勿論、右足に戻すのも一瞬だし、その際にいちいち上体がブレたりはしない。
この、静と動を矛盾なく含んだバランスが、フェイの足のどちらに体重がかかっているのかを分かりづらくしていた。そしてそれは、フェイがいつ、どの方向へ動くかを読みづらくしている。ひいては、フェイの動き全体を、掴みどころのないものにしている。
シュウには、それがよく分かっていた。だから、フェイの攻めを待つつもりはない。
「呀ーッ!」気合と共に床を強く蹴り、フェイに向かって突進する。
先手必勝だ。
相手をなるべく傷付けないことを旨とする警備隊、及びその格技体系からは、少々逸脱した戦法だが・・・フェイが相手では、そんな悠長なことは言っていられない。
まずは左膝を上げて前蹴りのフェイントをかけ、突進の勢いが消える前に踏み降ろし、フェイの顔面に、外側から振り回すように右拳を放つ。
フェイはこれを軽く退いて見切り、すぐに少し左斜め前に踏み込んで、左掌でシュウの右肘を封じる。この体勢からは、シュウは右手も左手も出せない。こうやって相手の死角に入り込んで仕留めるのが、フェイの得意なパターンだ。
だが、ここまではシュウも織りこみ済みだ。しょっちゅうこの形からやられているからだ。
シュウはフェイの反撃よりも先に、封じられた右腕を外に払うようにして牽制しながら、右足をフェイの足に巻きつけるように振り回す。当たればそのまま蹴り抜くつもりなので、足がらみというよりは足払いだ。
これでフェイが倒れればよし。
足払いを嫌がって離れたなら、左の後ろ回し蹴りで追う。
多少でもフェイの体勢が崩れたなら、蹴り抜いた回転力をそのまま活かして、左の肘打ちか裏拳につなぐ。
フェイが踏ん張って足払いを受け止めたなら・・・一番、フェイらしくない対応だが・・・それによってフェイも一瞬居付く可能性が高いので、強引に左拳を打ち込んでみる。
これが、シュウが今朝一番に試そうと思っていた連繋だ。
ところがフェイは、シュウの予想外の反撃をした。
右足底を真っ直ぐに、シュウの左脛に飛ばしたのだ。シュウの足払いのように振り回す蹴りではなく、直線的な軌道の蹴りなので、シュウのそれよりも一瞬先に当たる。
シュウの左足が、床から弾かれるように離れた。右足は既に空中だ。
シュウはドスンと尻餅をついた。
「左足に体重を移す時の上半身の傾きに、『足払いに繋ごう』という意識が出過ぎです」シュウを起こしながら、フェイが呟く。
「今回はちょっと自信があったんだがな・・・」シュウが舌打ちをする。
シュウがこの連繋をフェイに試すのは、これが3回目だ。前の2回は、足払いを出す暇もなかった。フェイに右肘を封じられた瞬間に、右掌で胸を推されて吹っ飛ばされたからだ。
だから今回は前蹴りのフェイントを入れたり、封じられた腕を外へ払う動きに、フェイの右掌を防ぐ意を込めたりして、足払いにつなぐ時間を稼いだつもりだったのだが・・・。
いや、この連繋だけではない。警備隊の訓練や、街中の暴徒相手になら、殺陣さながらに鮮やかに決まる技の数々が、フェイには全く通じない。
この3年ほど、シュウはフェイから一本も取れないでいる。
最初は、シュウの方が圧倒的に強かったのだ。
もっともそれは子供の頃の話で・・・つまりフェイとシュウは、幼馴染みだったのだ。シュウの方が、フェイより半年ほど生まれるのが早かっただけで、歳は同じだ。
フェイとシュウはペイジ国の首都で生まれ育った。物心のつく頃には、既に二人で遊んでいることが多かった。
フェイはその頃から小柄で、線の細い顔立ちをしていたので、近所の悪餓鬼どもの格好の標的になっていた。それをまた、その頃から正義感の強かったシュウが助けるというのがパターンで、そんなことを繰り返しているうちに、自然に二人は仲が良くなったのだ。
シュウは4歳の頃から武術を習っていた。それが持ち前の正義感を発揮するための、裏付けとなる力になっていた。
フェイは、そんなシュウの強さにいつも憧れていた。
自分も武術を習いたいと思ったが、フェイの両親は、小柄で痩せっぽちの息子が厳しい練習に耐えられるとは思えず、また、フェイには学問で身を立てて欲しいという気持ちが強かったこともあって、フェイが武術を習うのを許可してはくれなかった。
そこでフェイは6歳の時に意を決し、シュウに武術を教えてくれるように頼み込んだのだ。
シュウはフェイの気持ちに応え、本気で武術を教えた。正確には教えたというより、個人的な練習を一緒にこなしたといったところか。
子供同士の遊び程度なら、ちょうどいい運動になるだろうと、フェイの両親も許可してくれた。
二人は近所のオンボロ寺の境内で、週に5回、早朝の1時間ほど一緒に練習をした。
その中には散手のような打ち合いも含まれていて、当然、体格でも力でも勝るシュウが、一方的にフェイを押しまくっていた。・・・そんな練習が、何年も続いた。