終章・4
「リン」
「うん」
「シュウのことなんだが」
「うん」
「あいつは・・・ユエさんのことを、忘れていない。多分これからも、忘れないだろう」
「・・・うん」
リンは特に驚いてはいなかった。
ウォンの言葉を当然のこととして受け入れているようだった。
「気付いていたか?」
「気付いたっていうより、そういうものだろうなって。だって、ユエさんとのことも含めて、今のシュウがいるわけでしょ?」
「・・・そうだ。さすがにお前は大人だな・・・で、問題はここからだ」
「うん」
「お前は、シュウが・・・心の底から笑うのを、見たことがあるか?」
「・・・ないわ」
「俺もだ。・・・人間ってな、誰でもいつかは死ぬ。つまり、必ず別れがあるってことだ。だが、その別れ方にも色々ある・・・シュウとユエさんの別れの形は、最悪のケースの部類だ」
「・・・うん」
「そのことが、シュウから笑顔を奪った・・・ひょっとしたらシュウはもう、心の底から笑うことはないかもしれん」
「うん」
「でもな。もしもリンが・・・『ユエさんのことを忘れさせてあげよう』とか、『シュウの笑顔を取り戻そう』とか、そんなことを考えているのなら・・・やめたほうがいい。これはシュウよりも、リン自身のために、やめておいたほうがいい。こういう努力はすればするほど、無力感に襲われるだけだ。下手をすると、その無力感から自分を責めることにもなりかねん。それよりも、ただシュウの側にいて、日々を生きていけばいい。俺はそれで充分だと思う」
(余計なお世話だったかな)と思いながら、ウォンは言葉を締めくくった。
だがリンは、相変わらず驚きもせず、意外そうな顔も見せない。
ウォンは少し拍子抜けしていた。
「分かったわ。ウォンおじさん・・・でも何だか、物足りなさそうな顔ね」
「ん?まあな。・・・いや、おっさんとしてはね、若者に講釈を垂れる時は、『へえ、そうなんだ』とか、そういう顔をして欲しいもんなのさ。でもリンは、俺の話をそのまんま受け入れちまったろ?」
「ふふ・・・御免ね。でも本当は、受け入れたっていうより、最初から知ってたって感じかな」
「へえ・・・本当かよ?俺もリンは大人だと思うけどさ。こういう・・・シュウの『闇』の部分まで理解して・・・しかもそれを肯定できるほど大人だとはねえ・・・」
「別に、シュウに限った話じゃないでしょ?誰だって、黒い・・・暗い、闇を抱えてるじゃない。大きさに差はあるけど。真っ白な、ただ幸福で前向きで、明るいだけの人なんて、まあいないでしょ」
「その通りだ。・・・だが人間は、基本的には闇が苦手なもんだ。だからつい、闇があると、強い光を当てて消そうとする。実際には、光が強ければ強いほど、影も濃くなるってのに・・・もし、影ができないとしたら、そこは『何もない世界』だというのに」
「ウォンおじさんは、私がシュウを無理に元気づけようとして・・・それでかえって、お互いに傷付け合うようなことにならないかって、心配したのよね」
「ま、そんなとこだ・・・だがどうやら、余計なお世話だったようだな」
「そんなことないわよ」
「しかしなあ・・・若いうちは、とにかく強い『光』を持ってる奴に惹かれる傾向が強いもんなんだが・・・リンはどうして、シュウのことが気に入ったんだ?」
「そうね・・・シュウは確かに、大きな闇を抱えてるけど・・・でもね。シュウは、大切なユエさんとの想い出を、ただ悲しい色だけで塗りつぶすような人じゃない・・・だから、好きになったの」
「渋いねえ。そういう風に人間を見るのって・・・一体、いつ覚えたんだ?」
「教わったのよ。・・・ウォンおじさんに」
「俺が?いつ?俺がリンと、こんな真面目な話をするのなんて、下手すりゃこれが初めてだぞ」
「話とか、言葉で教わったんじゃないわ。普段のウォンおじさんを見てたら、ああ、そういうことなんだなって・・・例えば」
リンが、悪戯っぽく微笑む。
「例えば?」
ウォンが油断なく身構える。
「ウォンおじさんは・・・私のお母さんのことを好きになって、不幸だった?」
ウォンは目を丸くして固まっていた。
(あちゃ・・・また、虚を突かれちまった)
ウォンはそんな自分の失策ぶりが可笑しくなって、クックッと笑った。
その笑いが消える前に、ウォンは静かに首を振りながら、力強く告げる。
「いや。そんなことはない。・・・そんなわけがない」
「でしょ?」
いきなり控え室の扉が開いて、パイが顔を覗かせる。
「ねえねえ、ラウさんが来たわよ!息子さんのチャン君も一緒に!親子で舞ってくれるって!あ・・・それから、道士様もシュウも準備ができたみたいだから。リンちゃんもそろそろ行こうよ!」
「お母さん、リンお姉ちゃんを連れて行くのは、チェンフーおじさんだから・・・それと、もうちょっと静かにしようよ」ジンが申し訳なさそうにパイの服の裾を引っ張る。
「相変わらず苦労してるわねえ、ジン君」ジンのすぐ後ろで、フォンが同情たっぷりに呟く。
「こら、フォン。失礼なこと言わないの・・・御免ねパイさん」ランがフォンの肩をぽんぽんと叩きながら、パイに頭を下げる。
その後ろで、フェイが苦笑いをしていた。
更にその後ろから、チェンフーとスーチャオが少し早足で歩いてくる。
ウォンは静かに立ち上がると、白い歯をひときわ輝かせて微笑みながら、リンに手を差し出した。
リンも微笑み返しながらウォンの手を取り、静かに立ち上がる。
ウォンは控え室に入ってきたチェンフーに「おう」と声をかけ、リンの手を差し出した。チェンフーも「おう」と答えて、リンの手を取った。
控え室を出たウォンは、ラウとチャンの親子が注目を独占しているのを見て、メラメラとライバル心を燃やし始めた。
彼は早速、感慨に浸りきっているフェイの背後に忍び寄ると、ガキ大将の目をして細い肩を掴む。
「おい、フェイ」
「えっ?・・・何でしょう」
「ラウの旦那の舞が終わったら、俺達も飛び入りで『拳舞』をやらねえか?俺とお前で、軽い対打をやるんだよ」
「えっ?でもウォンさん、その足じゃ・・・」
「大丈夫だよ。俺は今歩くのがやっとで、蹴りは満足に出せねえけど・・・だから今なら、手技が使えるんだ。歩くことさえできりゃ、何とかカッコがつく程度の手技は披露できるからな」
「いや、でも、やっぱり嫌ですよ。ラウさんとチャン君の舞の後で、そんな・・・」
「あ、そう?じゃ、前座でもいいや。とにかくだな、ラウの旦那だけが目立つってのは、許せんのだ。・・・で、対打の手順だけどな。金剛氣を発動させたお前の拳を、俺が鮮やかに捌いて、逆に鋭い突きを決めるってのでどうだ」
「ちょっとウォンおじさん。私のお父さんをいじめるつもりなの?」フォンが口を尖らせてウォンに詰め寄る。
「いやいや、違うよフォンちゃん。これはね、俺と君のお父さんとで、シュウとリンをパーッと祝ってあげようって相談なんだ」
「もう止めなよ、お父さん。自分が目立ちたいだけでしょ?フェイおじさんだって困ってるよ」ジンがそれこそ困ったという顔でウォンをたしなめる。
「そりゃ違うぞジン。フェイのあの顔はな、所謂照れ隠しってやつだ」
「いや、実は本当に困ってるんですけど・・・」フェイの言葉に嘘はなかった。
だがそれは、どこか心地よい困惑だった。
終章・了
拳と蹴りと氣功と仙術と。
それから・・・復讐と、それに纏わる虚しさと、切なさと。
それでも・・・生きてさえいれば、いつかは見出せるかもしれない希望の。
中華風異世界幻想的功夫活劇武侠小説、「グレイソウル」
これにて終劇です。
最後までお読みくださった皆様に、感謝を申し上げます。
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作者 樸