終章・3
「んっ?ああ、そうだな。いや、言っとくけどな。別に今更結婚に反対だとか、そんなんじゃねえぞ。ただちょっと、気になることがあってな・・・」
「何を花嫁の父親気取りになってんだか。・・・で、気になるって、年の差?」
「いや、それはまあ、よしとしよう。リンは結構大人だしな」
「ふーん・・・でも、他に何かあるかなあ。それとも単に、シュウに難癖をつけたいだけとか?」
「そんなんじゃねえって。シュウはいい奴さ。問題はむしろ、リンだな」
「へえ?18じゃ若過ぎるとか?あんたからそんな常識的な発言が出るなんて、思わなかったわ」
「だから、そんなんじゃないって・・・いや、ある意味そうかもしれん」
「ふーん。・・・あんたにしては、色々考えてるのね。慣れない礼服を着たせいで、頭の中までかしこまってるのかな?」パイは適当にはぐらかしながら、新しい悪戯を思いついた子供の目をしてニヤリと笑った。
「・・・お母さん」パイの後ろに座っているジンが、ボソリと呟く。
「ん?何?」
「何か、悪い事を考えてるでしょ」
「うえっ?え、やーねえこの子は。母親を犯罪者にしようっての?私はそんな、ウォンの困った顔が見たいとか、そんなこと考えてないわよ」
「・・・そんなこと、考えてるんだ」ジンが俯きながら溜め息をつく。
ウォンはそんなジンを見て、うむ、と一つ頷き、(流石は俺の息子だ。中々鋭いじゃないか。だが・・・まだまだ子供だな。パイの悪ふざけなんぞ・・・俺はもう、慣れたぜ)と、遠い目をして窓の外を流れる景色を眺めた。
式場に着いてすぐに、パイはウォンの手を引いて、リンの控え室へと早足で歩いた。
「おいおい。親族以外の人間が、控え室まで押しかけていいのか?」
ウォンは戸惑いながらも、いわば「パイのせい」にしてリンの控え室に行きたい気持ちで一杯だった。
パイもそれが分かっているから、歩みに迷いが無い。
「いいのいいの。私達は特別なんだから。リンちゃんの親族みたいなもんでしょ?」
「特別って・・・それはお父さんだけでしょ?僕達全員ってのは、ちょっとまずいんじゃ・・・」ジンが心配そうにパイの服の裾を引っ張る。
「えーいもう、うるさいわねぇこの子は。嫌ならあんたは付いて来なくてもいいわよ。フォンちゃんとでも遊んでなさい」
「嫌だよ。行くよ。でないと・・・放っといたら、お母さんは何をするか、分からないもの」
ジンのツッコミに、ウォンはにんまりとほくそ笑む。
(ナイス判断だ、ジン・・・だがやはり子供だな。お前ごときにパイの悪ふざけを止めることなど・・・不可能だぜ)
ウォンはまた遠い目をしながら、肩をすくめた。
「おはようございますっ!で、この度はおめでとうございますっ!親族に限りなく近い男、ウォンが花嫁を見たいってんで、連れて来ちゃいました!」
控え室の扉を開けるなり、遠慮なく叫ぶパイを見て、ウォンは(やっぱ俺かよ。・・・ま、間違っちゃいねえしな)と、その目に諦めの色を濃く浮かべた。
控え室には、リンの父親のチェンフーと、それから・・・母親のスーチャオと、すっかり用意の整ったリンがいた。
いきなり押しかけてきたウォンとパイ(と、ついでにジン)に、少し驚いたチェンフー、スーチャオ、リン達だったが、彼らにとってウォンは実際に家族同様なので、当然のように招き入れてもらえた。
サントン国の伝統的な民族衣装に身を包んだリンと、その隣の礼服姿のスーチャオを交互に眺めて、(ああ・・・どっちもきれいだなあ)と、ウォンはどこまでもお気楽だ。
そんなウォンを尻目に、パイは獲物を狙うような鋭い目で、何かを探していた。
ふとそこで、控え室の扉が開き、式場の職員が顔を覗かせた。
「失礼します。・・・新婦のお父様は、いらっしゃいますでしょうか」
「あ、私です」チェンフーが椅子から腰を浮かす。
「警備隊のチョウユ様が、奥様のシャオチャオ様と一緒にお見えになりまして。チェンフー様にご挨拶がしたいと・・・」
チョウユはチェンフーの上司だ。
「分かりました。じゃ、ちょっと行ってくる」
「ええ・・・」
と、スーチャオの返事の途中で、いきなりパイが手を上げた。その目は正に、獲物を発見した狩人の目だった。
「ちょっと、奥さん・・・スーチャオさんも、チェンフーさんと一緒に行かれたほうがいいんじゃないかなっ?」
「え?」
「だってほら、あちらはご夫婦でいらしてるんでしょ?だったらこっちもね」
「それはまあ、そうですけど・・・」スーチャオが、少し戸惑い気味にリンを見る。
「あ、大丈夫ですよ。ここはちゃんとウォンがいますから」
「そうだな・・・じゃ、ちょっとお願いして、スーチャオも来てくれるか」
「ええ。じゃ、・・・ウォン、お願いしてもいい?」
「ああ、勿論だ」ウォンが断る筈がなかった。
(へっ・・・パイの奴、さっきから何を探してるのかと思ったら、チェンフーとスーチャオをこの部屋から追い出す理由を探してたんだな・・・となると、次は・・・)
ウォンはチェンフーとスーチャオが出て行くのを確認してから、ゆっくりと視線をパイに向けた。
パイはそ知らぬ顔でジンの手を取ると、「さ、ちょっと・・・シュウの様子でも、見に行きましょうか」とわざとらしく呟く。
「え?でもさっき、スーチャオさんには『ここにいますから』って・・・」
「あー、それはウォンのことよ。私達はね、別にいなくってもいいのよ」
パイはジンを言いくるめながら、ウォンを見た。その目は(リンちゃんに言っときたいことがあるんなら、今の内に言っときなよ)と語っていた。
ウォンは黙って片手を上げ、パイとジンが控え室から出るのを見送る。
後に残ったのは、ウォンとリンの二人だけになった。
「リン・・・」
「はい」
「綺麗だな」
「ありがとう」
それから暫しの沈黙。
ありきたりの会話と、ありきたりの間。
その間の只中で、ウォンは軽い葛藤を味わっていた。
(リンに・・・言っておきたいことなら、ある。だが・・・今でなくてもいいんじゃないのか?もっと後でも・・・そもそも、別に言っても言わなくても、リンならそのうちに分かること・・・分からないなら分からないで、それが必ずしも二人の生活に悪影響を与えるとは限らんのだし・・・)
「ウォンおじさん」
「・・・え?」不意に、リンの声に耳を打たれて、ウォンは狼狽した。
(参ったな。俺が『虚』を突かれるなんて・・・久し振りだぜ)
「ウォンおじさん・・・何か、私に言いたいことがあるんでしょ?パイさんの顔に、そう書いてあったもの」
「ははっ・・・そうか。あいつの顔は、分かり易いからな・・・」
ウォンは小さな溜め息を吐いて観念した。
(そうだな。言いたいことは言っておこう。今がちょうど、そういうタイミングなんだろう)
ウォンは納得して顔を上げると、椅子をリンの正面に寄せて座った。
こんな風にリンと向かい合って座ると・・・リンの顔を見下ろしていたのが、つい昨日のようにも、遠い昔のようにも思えた。