終章・1
ウォンが意識を取り戻したのは、病室の寝台の上だった。
まだ少し寝惚けた頭を左右に回しながら、ウォンが周囲を見ると、椅子にかけていたパイとばったり視線がぶつかった。
ウォンは(まずい奴に会った)という顔をして、おずおずと口を開く。
「あー、経理部長。こりゃどうも、ご足労をかけちまって・・・」
パイはすっくと立ち上がると、ずんずんとウォンに歩み寄り、拳で軽くウォンの頭を小突く。
「何がご足労よ。いつも言ってるでしょ?余計な怪我を負わないように注意してよって。治療に回す経費も馬鹿にならないんだから・・・」
「あのなあ、お前・・・仮にも旦那が大怪我してんだから、ちょっとは心配する振りぐらいしたらどうだ?」
「心配?『風刃脚』のウォンが、こんなことでどうにかなるわけないでしょ。心配するだけ無駄よ」
パイは容赦なく言い放ったが、その目にはウォンが意識を回復したことへの安堵感があった。
それを見たウォンは「ま、そりゃ一理あるよな」と、当然のように呟き、余裕ぶって胸を張る。
「ん・・・お父さん、起きたの?」
病室の隅に持ち込まれた長椅子を、寝台代わりにして寝ていた男の子が、目をこすりながらノソノソと体を起こしてウォンを見た。
この男の子はジンという名前で、年は8歳。
ウォンとパイの息子だ。
錬武祭が終わってから、パイは警備隊を退職してペイジ国に引越し、フェイが新しく作った診療所に勤め始めた。
だが、元々山師の気が多分にあるパイと、堅実を絵に描いたようなフェイは、平々凡々たる日常での相性は、あまり良くはなかった。
お互いに相手の行動に呆れることが多くなり、(こりゃやってられない)と観念したパイは、半年ほどでフェイの診療所を辞めてしまった。
それから暫くは、蓄えに余裕もあったので、ブラブラと諸国を歩いて回った。
勿論、儲け話のネタを探す旅だ。
その旅の中でパイは、ウォンとシュウが組んで仕事を始めた、という噂を耳にした。
「これは儲かるかもしれない」と踏んだパイは、すぐさまサントン国に直行し、ウォンの事務所に押しかけると、そのまま事務員・・・ウォンとシュウに言わせると「経理部長」・・・実質は雑用係として居ついてしまった。
この職場でのパイの仕事振りは、案外様になっていた。
荒仕事が専門のウォンやシュウに変わって、報酬の交渉を卒なくこなし、時には現場の仕事も手伝った。
基本的には臆病者のパイなのだが、安全対策さえしっかりしていれば、やはりこういう騒々しい仕事のほうが、診療所よりは性に合っていたようだ。
それにパイは、同じように天然お気楽系のウォンとは、非常に馬が合った。
事務所で毎日のように顔を合わせているうちに、半ば成り行きで二人は一緒に暮らし始め、当然のように?結婚してしまった。
それから間もなくして、二人の間には息子も生まれ、ジンと名付けられた。
ただこのジンという子は、両親を反面教師として育っているのか、非常に堅実で慎重で穏やかな性格を形成しつつあった。
「おう、ジンも来てるのか。・・・ん?ちょっと待て。ここはペイジ国か?だったら、お前らがここにいるってことは・・・あれから、何日経ったんだ?」
ウォンは叫びながら、慌てて寝台から降りようとして、両足の痛みに顔をしかめた。
「大丈夫よ。ここはペイジ国だけど、滅龍騒ぎからまだ二日しか経ってないから・・・私達も、昨夜こっちに着いたのよ。意識が戻ったんなら、すぐに退院できるだろうし、リンちゃんの結婚式にはちゃんと間に合うわよ」
「ああ・・・そうか。良かった。・・・そういや、ラウの旦那は?舞はできるのか?」
「・・・ちょっと。それはラウさんの心配をしてるの?それとも、リンちゃんの結婚披露宴の心配をしてるの?」
「んー、両方だ」
「身も蓋もない人ねえ。・・・大丈夫よ。ラウさんは基本的に、体力を消耗しただけで、怪我とかはしてないから」
「そうか。よしよし・・・じゃ、問題はむしろ俺だな。こんな怪我じゃ、みっともなくてリンを祝う席には出られん」
「じゃ、フェイに相談してみる?彼もこの病院に入院してるんだけど、今日退院するらしいから」
「おう、そうしてくれ」
「じゃ、ちょっと見てくるね。まだ病院にいるかもしれないし・・・」
「ねえお母さん、そういうのって、先にこの病院の白仙に相談したほうがいいんじゃ・・・」
ジンが心配そうにパイに申し出るのを、パイは右手の示指を振りながら「チッチッ」と一蹴した。
「いいのいいの。せっかく知り合いに優秀な白仙がいるんだから、利用できるものは利用しなくちゃ」
「そうそう。ジンはちょっと心配性過ぎるぜ」
「違うよ。お父さんとお母さんが適当過ぎるんだよう・・・」
ジンがウォンに向かって口を尖らせている間に、パイはフェイを探しに病室を出ていた。
五分ほどして、パイはフェイを連れて病室に戻ってきた。
「丁度ね、フェイが退院の手続きをしてるところだったの」
「お邪魔します、ウォンさん。意識が戻って何より・・・あの・・・ウォンさんを担当されてる白仙の方は?」
「いないわよ」
「え?どうして?」
「だって、呼んでないから」
「いや、それはちょっと・・・ウォンさんの意識が戻ったのは、ついさっきなんでしょう?」
「うん。ほんの10分前ぐらい」
「それじゃ、この病院の白仙に連絡しないと」
「ほら。勝手にフェイさんを呼んできちゃ、いけないよ」
フェイの言葉に力を得たジンが、また口を尖らせてパイに詰め寄る。
「ジン君、また何か苦労してるみたいね」フェイの後ろから、髪と目が栗色で、すらりと長い手足をしたい女の子が顔を出した。
「こら、フォン。失礼なこと言わないの」
その女の子を「フォン」と呼んでたしなめたのは、ランだった。
ランはシバとの戦い以降、黒仙としての力を失ってしまった。
シバの殺氣に当たったことや、シュウの心が離れていったことなどが原因のようだった。
(もう自分は、警備隊では役に立てない)と判断したランは、警備隊を退職。
それから彼女は、次の仕事を探しながらフェイの診察を受けた。
今後、自分に黒仙としての力が戻って来るのか、来ないのか。来ないとしたら、他の能力が目覚めるのか。
それが分かれば、仕事探しもしやすいからだ。
そしてフェイは、ランの中に白仙としての巨大な資質が眠っていることを発見し、治療と訓練を施した。
その結果、ランは上級の白仙としての力を発揮できるようになった。
五行の氣の内、金氣しか使えなかった彼女は、木・火・土・水の氣も扱えるようになり、元から使えていた金氣については、更にその精度と繊細さが増していた。
しかもランの場合、金氣だけは白仙の緻密さと、初級の黒仙並の「破壊力」を兼ね備えるという、特殊な性質があった。
このランの能力は、フェイの「黒仙の氣を使って病因を叩く」治療法の研究素材としてうってつけだった。
ランは白仙の学校で学び直しながら、フェイの研究の助手として働いた。
そうこうしている内に、フェイとランはお互いを想い合うようになって、結婚してしまった。
シバがペイジ国の警備隊を襲撃し、ユエもそれに巻き込まれて死んだ・・・その日の朝に、ユエはフェイに「どう?この際、兄さんとランさんがくっついちゃえば、丸く納まるじゃない」などと言っていた。
フェイはそれを思い出す度に、(ユエには、先見の明があったのかもしれない)と、微笑とも苦笑いともつかない顔をしながら、嬉しいような寂しいような、複雑な気分に浸っていた。