希望・5
「これは・・・まずいっ。勁力が高過ぎて、粉砕よりも貫通の効果のほうが強く出ちまったか?」
滅龍は地響きを立てて舞台に落ち、そのままウォンに向かって滑り始めた。
「うわっ・・・」ラウが叫び声を上げたが、ラウとユスィは滅龍の落下地点からも進行方向からも離れているので、心配は無い。
問題はウォンだ。
「くそっ・・・足が・・・動かん。このままじゃ、潰されちまう・・・」
ウォンはやっとの思いで体を起こして四つん這いになったが、とても逃げ切れそうにない。
ウォンの脳裏に、これまでの人生が走馬灯のように浮かんだ。
(おい、マジかよ・・・俺は、ここで死ぬのか?)
焦るウォンの心に、更に・・・少し未来のイメージが浮かんだ。
リンの花嫁姿だ。
(そうだ。もうすぐ、リンの結婚式なんだ。その祝いの席に出られないなんて・・・嫌だ。嫌だ。嫌だ!・・・くそっ、こんな時に・・・手技が使えたら・・・!)
ウォンは歯軋りをしながら、舞台の床を掴むように拳を握り締めた。
すると・・・ごき、という鈍い音がして、ウォンの指が床の石材にめり込んでしまった。
「・・・え?」驚くウォンに、懐かしい両手の感覚と、20年近く前に「交渉」をした時の魂の言葉が甦った。
「お前は、手技を失うことと引き換えに、比類なき速さの蹴りを手に入れることになる。・・・ただしそれは言い換えれば、比類なき速さの蹴りを出せるから、手技を使えないということだ」
(そうか・・・そうか!つまり、蹴りが出せない状態なら・・・俺は・・・手技を使えるんだ!)
あまりの喜びに、脚の痛みが八割方ふっ飛んだウォンは、無理矢理に体を起こして膝立ちになると、凄まじい笑顔を浮かべて氣勢を上げた。
「ウォンさん・・・?これは?」ラウは、異様なテンションのウォンの氣勢を見て、呆気に取られていた。それは迫り来る死の恐怖よりも、危機に立ち向かう興奮に彩られた氣だった。
機動部隊員が続々と劇場になだれ込み、眼前の光景に度肝を抜かれていた。
滅龍の体が、ウォンを押し潰そうとしていた・・・その時。
「猛虎崩山・・・連環捶!」
ウォンは文字通り、山をも崩すような激しさで、双拳を繰り出していた。滅龍の体が、まるで見えない壁に激突したかのように砕け散っていく。
「すごい・・・!」ラウが嘆息しながら呻く。
だがウォンは、早くも限界に来ていた。
手技といえども、その力の源は下半身だ。足が使えない状態で豪快な連続突きを出したのだから、体力の消耗は半端ではない。
それでなくても、響牙を出した後の怪我の出血で、体力が減っているというのに。
(しまったあっ!つい嬉しくて、派手な技を使っちまった・・・)
ウォンは反省して、あまり体力を使わない捌き技に切り替えた。
「猛虎擺尾・・・双雲手!」
ウォンの両掌が、湧き上がる雲のように丸く、力強い円を描く。
その曲線から発生する勁力の渦が、滅龍の体を放射状に粉砕していく。
捌き技は直線的な突き技と違って、切り返しの動きが殆んど無いので、体力の消耗も非常に少ない。
・・・のだが、ウォンは既に限界に近い状態だったので、見る見る内に掌の旋回にキレが無くなっていく。
(くそっ・・・まだ終わんねえのか・・・やっぱ龍は長いなっ・・・)
出血多量で霞み始めたウォンの視界に、滅龍の尻尾が映る。
(うわっ・・・これで最後だが・・・尻尾だけは、響牙が当たってないから、壊れてないんだよなっ・・・!)
打ちひしがれるウォンに、滅龍の尻尾が迫る。
その時。
ウォンの眼前に、半透明の障壁が立ちはだかった。
いや、その障壁は、何かの集合体が高速でウォンの周囲を回転することで、障壁として成立していた。
滅龍の尻尾がその障壁に、まるで泥のように貼り付き、ぴくぴくとのた打ち回る。その動きが次第に鈍くなって・・・ぽとりと落ちた。
「これは・・・甲圏功?」
とにかく助かったという安心感と、急激な脱力感に襲われて、四つん這いになったウォンの頭上から、「ウォンさーん!大丈夫ですかーっ?」というレンの声が降ってきた。
ウォンが重い頭を上げて上空を見ると、そこには息を弾ませながら翼を羽ばたかせ、空中で静止するレンがいた。
レンは左腕に、フェイを抱えていた。フェイはもう意識を取り戻していて、ウォンに向かって手を振っている。
そして、レンの右腕に抱えられていたのは・・・シュウだった。
シュウは「ふう・・・」と一息つきながら、ウォンに向けて突き出した右手を引っ込めるところだった。
ウォンを危機一髪で救ったのは、やはりシュウだった。
あの招待状に付着していた闇色の氣については、シュウもそれなりに気にはなっていた。だから隊商の護衛が終わってから、この劇場に向かっていたのだが、その途上で怪しい氣が膨らむのを感じて・・・滅龍生成の儀式だ・・・慌てて氣勢を上げて走り出した。
その頃ちょうど劇場では、フェイが滅龍の頭部の爆発に巻き込まれて気絶し、それをレンが空中で受け止めていた。この時レンはシュウの氣配が近付いてくるのを察知して、(シュウさんの甲圏功なら、確実に滅龍の攻めを捌き切れる)と考えて、フェイを抱えたままでシュウを迎えに行ったのだ。
際どいタイミングだったが、レンの判断は正しかったと言える。
(ちっ・・・シュウの野郎、最後の最後に美味しい所を持っていきやがって・・・)
ウォンは白く輝く歯を見せて苦笑いしながら、上空のシュウ達に手を振り、「おう、大丈夫だぞっ!」と・・・叫ぼうとした。
だがこの時既に、ウォンは血を流し過ぎていた。
力無く上げられた手はポトリと落ち、「おう・・・」と、かすれた声が絞り出された後には、何の言葉も続かなかった。
ウォンの視界の中のシュウ達が・・・空が、グルリと回転して、ウォンは自分の血溜まりの中に倒れた。
目の前が、すーっと暗くなって・・・ウォンはそのまま意識を失った。
希望・了