交渉・6
「実は、この条件が一番きついんですよ・・・しかも、この条件を破ったら、僕は銀衛氣を使えなくなるんです」
「そりゃ、大変だな・・・一体どんな条件だ?」この際だから聞いておこう、という口調だ。
「銀衛氣が発動している、いないに関わらず、人を殺めてはいけない・・・もし殺してしまったら、その瞬間から・・・銀衛氣は、二度と発動しません」
ムイの諦め顔が、見る見るうちに呆れ顔に変化していく。目と口がだらしなく開き、張り詰めていた糸が切れたように・・・グラ、と巨体が揺れた。
「はは・・・やっぱりお前は・・・優しい、白仙・・・」バッタリと倒れて・・・埃が舞い上がり、フェイの髪も煽られて浮いた。その顔には・・・何の表情もなかった。
そんなフェイの無感動ぶりを余所に、周囲は安堵と解放感で彩られた歓声に満ちていた。
「パイさん」フェイが振り向いて微笑み・・・周囲を数秒見渡してから、「すみません。ちょっと、先にお話しておきたいことがあるんです。あそこへ・・・」と、本館の隅を指差す。
「ああ・・・うん、じゃ」と、歩き出そうとするパイを、フェイは「失礼します」と断るが早いか、サッと抱え上げて走り出した。
あっという間に二人は、本館の陰まで移動していた。
「・・・まずは、恐い思いをさせて申し訳ありませんでした。実行委員を倒せたのは、あなたのお陰です。・・・いや、ある意味あなたが倒したといってもいいです」
「別に持ち上げてくれなくてもいいわよ」
「そんなことはありません。パイさんは最後まで、ほぼずっと・・・安定した『恐怖心』を維持してくれました。だから銀衛氣も安定していたんです」
「そりゃ結構だわね・・・でも実際、最後まで冷や冷やしたわよ。ムイとの拳との打ち合いだって、もしあなたが負けたりしたら・・・あーっ、思い出したら腹が立ってきたわ。あんた、何で土壇場になって、あんな危なっかしい勝負をしたのよ?そりゃ、シバを倒すには力が要るし、ああいうギリギリの勝負が力を引き上げるってのも、分かるような気はするけど・・・」頭をかきむしりながら、パイが毒づいた。
「ギリギリの勝負?・・・ああ、あれは」そこでフェイは、救護班に囲まれているムイをチラリと見てから続けた。
「あの、最後の拳の勝負は・・・ムイさんには悪いんですが、僕にとっては手頃な練習だったんです」
「・・・何?・・・手頃?・・・あれが?」眉間にシワを寄せて訝る。
「はい。銀衛氣を得るための、三っつ目の条件は『誰も殺してはならない』ですから・・・うっかり殺してしまったら、シバを倒すための力を失ってしまいます。かといって、手加減し過ぎて打ち負けたら、拳が潰れてしまって、やはりシバを倒せない。つまり、殺さない程度に勝たなければいけない・・・『ギリギリの勝負』なんかじゃ、そんな微妙な匙加減はできません」
「何よ・・・そんならそうと、先に言ってよ!本当に恐かったんだから!あのオッサン、私を『打ち殺してやる』宣言までしたのよ」
「いや、ムイさんのあの言葉は、あなたを逃さないための脅しです」
「え?・・・何でそんなことが言えるの?」
「・・・ムイさんは元々、錬武祭なんてどうでも良かったんです。飛び道具での戦いや勝利に、飽き飽きしていたんでしょうね。あの人は本来、殴り合って勝つことに快感を覚えるタイプですから・・・」
「うん、それで?」
「でも、自分以外の四人が倒されたから、シバへの義理も含めて戦いに出た・・・そこで思わぬことから、拳の力を取り戻してですね」
「うん・・・あの時も恐かったわ・・・」ジロリとフェイを睨む。
「すみません。・・・それで、そこから後のムイさんの目的は、もう『とにかく強い奴と、全力で拳の力を比べたい』ということに落ち着いてしまったようです。だから、あの時パイさんが逃げ出さないように、釘を刺したんです・・・パイさんが近くにいなければ、僕の力は出ません。それじゃ勝負する意味がありませんから」
「あー・・・でも勝負に勝ったら、やっぱり私を殺すつもりだったんじゃないの?」
「どうでしょう。そもそも勝つ気があったようには見えませんでしたから、その後のことは考えていなかったか・・・考えていたとしたら、僕に討たれることだったんじゃないかと思います」
「そうなの?あいつ、勝つ気がなかったの?それって、白仙の観察力ってやつで分かったの?」
「それもありますけど・・・ムイさんは、『もし、この打ち合いで勝てたら』と言っていましたから。勝つ気満々の人が、『もし』なんて言いませんよ。『こいつを血祭りに上げたら、次はお前だ』みたいなのが定番でしょう?」
「なんか、騙された気分だわ・・・」
「いやあ・・・でもパイさんには、そんな策は不要でしたけどね。・・・あなたは、ああいう状況で僕を見捨てて逃げるような人じゃありません」
「えっ?いや・・・それはちょっと、買いかぶりかも・・・」
「いいえ。あなたは確かに恐がりで、すぐに逃げようとします。ただ、その上に小心者でもあるので、良心が咎めたり腰が抜けたりして、本当に一人で逃げてしまうことは、まずありません」
「やかましいっ!・・・ああああ、あんたと契約なんてするんじゃなかった。ううーっ・・・ま、でもいいか。もう『錬武祭』は終わったんだし・・・」
そこでパイは、あることに気が付き、恐怖が背後から両肩を鷲掴みにして離れないような感覚に襲われた。
「ねえ・・・フェイ」文字通り、恐る恐る尋ねる。
「はい?何でしょう」
「あなたはその、銀衛氣ってのを・・・シバを倒すために、編み出したのよね」
「そうです」フェイは少し気まずそうに呟く。
「確か、シバは『実行委員は自分も含めて10人』とか言ってたわよね・・・つまり、次にどこかの国で開催される『錬武祭』には、シバ本人が出てくる可能性が高いのよね」
「ええ、そうです」心なしか、フェイの目が冷たい光を放ったような気がした。
「ということは、ひょっとしてフェイって、次の錬武祭にも参加する・・・?」
「勿論です」
「あの、それじゃ・・・新しい契約者を、探さなくちゃ、だよね。・・・いや、私はホラ、この国の警備隊の仕事があるし」
「それが・・・少々言いにくいのですが」
「いやっ!言いにくいんなら、言わなくていいから!聞きたくないしっ!」
フェイはそこで、急に泣きそうな顔になった。悲しいというより、パイに対する申し訳なさから浮かんだ表情だった。
「いえ、お話しておきたかったのは・・・本題は、これなんです。・・・お願いします、パイさん。僕と一緒に、次の『錬武祭』に参加してもらえませんか」
「それは・・・だって次の開催国で、新しい契約者を探せば?」
「契約者の変更は、できないんです」
パイの目の前が真っ暗になり、地面が崩れていくような気がした。
「あの・・・大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわよ」無意識に座り込んでいた。
「大体、何で私なのよ・・・一体何が・・・氣の波長がどうとかって言ってたけど、そんなに大事なことなの?」既に半泣きだ。
「大事です。・・・僕は魂との『交渉』において、とにかく高い攻撃力を望みました。実際、そうでなければ役に立たない・・・でも、要求する力が大きければ大きいほど、そしてそれが魂が望む力とは異質な・・・方向性の違うものであればあるほど、その使用制限は厳しくなります」