正義・3
「・・・何か、納得いかない」パイが自分の頭を拳で小突きながら、憮然とした表情で呟く。
「・・・はい?」
「本質が灰色とかって・・・人間てさ、誰だって善い所も悪い所もあるもんでしょ?それって普通じゃない」
「・・・はあ」
「それにさ。シバになる可能性があるとか無いとか、どうでもいいでしょ?フェイはフェイなんだから。あなたが・・・理不尽に人を傷付けたりするなんて、想像できないよ」
「いや、だからそれは可能性の話で・・・」
「だから、それが関係無いってのよ。未来にいいほうに転ぼうが、悪いほうに転ぼうが、それはあくまで未来の話でしょ。未来のフェイが、今のフェイとは別人みたいに変わったとして、じゃあ未来のフェイが本物で、今のフェイは偽者?」
「いや、そんなことはありません」
「でしょ?自分がどう変わるかなんて、誰にも分かんないわよ。結局、今ここにいる自分が本当の自分なのよ。それさえ受け入れられれば、未来の『ひょっとしたらなるかもしれない自分の影』に怯えるなんてつまんないこと、しなくて済むんじゃないの?」
「・・・その通りです」フェイは目を丸くして、パイを見つめた。
「・・・んっ・・・と、わはは。ま、分かればよろしい」
「パイさんの言ったことは、僕が『交渉』の時に魂に言われたことと、本質的には同じです。・・・驚きました。パイさんが、これほど高い精神性を備えていたとは・・・」
「いやあ、そんな・・・ん?ちょっと、それってつまり、私って精神性が低いと思われてたの?」
「あ、いや、そうではなくて。ええと・・・つまり、パイさんのような表現方法があるとは思わなかった、と言うべきでした」
「んっ・・・何か誤魔化されたような・・・でも、褒められてるような気もするから、いいか」
「勿論褒めてるんですよ。・・・本当に、パイさんみたいな人がいれば・・・僕はもう、シバのようにはならずに済みそうな気がします」
(えっ?)パイは急に混乱し始めていた。
(私がいれば?それは・・・これからも、一緒にいようってこと?待て待て待て。それはきっと、飛躍し過ぎだ・・・でも・・・私はどうなんだ?フェイと離れたくないんじゃないの?)
「あの・・・パイさん」
「えっ?はい?」
「何か、心配事ですか?急に心拍数が跳ね上がりましたけど・・・」
「いやいやいや・・・別に心配は無いわっ!・・・そうそう、これからフェイって、身の振り方はどうすんの?ペイジ国の病院は、確か・・・辞めてきちゃったのよね」
「ああ・・・はい。そうですね・・・今回のことで、ティエン国の警備隊からまとまったお金を頂けるようですから・・・それを元手にして、診療所でも作ろうかと思ってます」
「何だ。やっぱりあなた、根本的に白仙なんじゃないの・・・ん?」
パイの脳裏に、突然金色の光が射す。
(世界を震撼させた、錬武祭の主催者・シバを倒した白仙が、個人的に作る診療所・・・?これは・・・儲かるっ!)
パイは両手をポン、とひとつ鳴らして、フェイに詰め寄った。
「ねえ、フェイ・・・診療所ったってさ、事務員とか営業職とかも、必要よね?」
「え?ええ、そりゃまあ・・・」
「じゃ、私を雇わない?」
「え?」
「雇うってか、私も出資するわよ。私もフェイと同じように、そこそこ手当てをもらえるんだから」
「いや、それじゃ警備隊は?」
「そんなもん辞めるわよ」
「いいんですか?」
「いいのいいの。警備隊員なんてやってたら、命が幾つあっても足りないわよ」
「いや、今回のような事件は滅多にあるものでは・・・」
「滅多にでも何でも、もうこりごりよ。もっと安全な仕事でガツンと儲かるんなら、そのほうがいいもの・・・あ、ひょっとして」
「・・・はい?」
「フェイ、あなたまさか、経済的に恵まれない人達のために、儲けは二の次で患者を診ようとか思ってない?」
「え?・・・そうですけど・・・パイさんは違うんですか?」
「駄目駄目、そんなの!人にはね、分相応ってのがあるのよ。フェイぐらいの腕があるんなら、とにかくお金を持ってる人を優先的に診て、報酬もガッポリもらわなくちゃ」
「いや、そんな・・・」
「大体フェイって、そういう経済感覚はイマイチでしょ?」
「・・・はい」
「分かってるじゃない。だから私がフェイの財布になって、きっちり紐を締めてあげるから」
「・・・財布というより、金庫にでもなりそうな勢いですね」
フェイは苦笑いをしていたが・・・目は本当に、笑っていた。
ところで、錬武祭の実行委員達のその後は・・・
ティエン国に派遣された、ホイ、サク、カウ、ヨウ、ムイの五人は、黒鎧氣を取り除かれてからというもの、本当に武術家だったのだろうかと思うほどに静かで穏やかな性格になってしまった。
これはどうも元からそういう性格だったというよりは、黒鎧氣を取り除く際に、彼らが持っていた「闇」の大部分も一緒に摘出してしまったからではないか、というのが公式見解となった。
フェイ風に表現するなら、本質としての灰色に、割り込んできた黒を無理矢理抜き出したら、元からあった黒まで減ってしまい、結果的に白っぽくなってしまった・・・といった所か。
結局この五人は公式には誰も殺していないので、パイの腕を斬ったヨウだけが禁固十年、他の者は三年の実刑で済んだ。
出所した彼らは、また連れ立って山に戻り、修行の日々を送ることになる。
ただそれは武術の修行ではなく、仙人のような・・・それも瞑想を中心とした、静功が中心だった。
特にヨウは、銀衛氣を込めた拳で胸を強打されたために、じっくりと氣を練ることができない体になっていたし、ムイも右腕が完全に壊されていたので、武術の修行を続けるのは無理があった。
いや、それでも二人に「どうしても武術を続けたい」という強い意志があれば、そんなハンディも乗り越えられたのかもしれないが、もう彼らにはそんな意志を支えられるだけの「黒さ」は残っていなかった。
ともあれ彼らは、山中でひっそりと残りの人生を送ることになった。
チュアン国に派遣された奇拳六芒星の四人については、彼らが元々裏の世界ではそれなりに名の通った殺し屋だったこともあって、彼らをスカウトしようと考えた闇の業界人までいたのだが、残念ながら?現役復帰は叶わなかった。
何しろ、ヒムは華炎の直撃を受け、ジュンファは銀衛氣を込めた拳で胸を潰され、リャンジエは響牙で吹っ飛ばされ、ヘイユァンに至っては自らに巣くっていた「魔」に全身を蝕まれて、武術ができる体ではなくなっていたからだ。
特にヘイユァンは、残りの人生の殆んどを病院の寝台の上で過ごすことになった。
もっともこの四人もご多分に漏れず、黒鎧氣を取り除かれると、元から備えていた筈の毒氣まで抜かれてしまい、去勢されたようにおとなしくなってしまったので、どの道殺し屋としては再起不能だった。
ヒム、ジュンファ、リャンジエの三人は、それぞれ三年の実刑を受けた後、街へ出てバラバラに生活を始めた。ヘイユァンという求心力を失った彼らには、もう団結力は無かった。
三人は街の片隅で、その日暮らしの人生を送ることになった。