正義・2
「仕事中は吸ったことないわね。仕事が終わって、一人の時に吸ってただけだから。・・・山で修行してた間は、完全に禁煙してたし」
「じゃ、久し振りの煙草か?」
「そうね」
「旨いか?」
「ええ。とっても」
「・・・俺も一本もらおうかな」
「駄目よ。あなたは怪我人なんだから」
「お前って、そういう女だったっけ?」
「そうよ。知らなかった?」
「ああ・・・俺はお前のこと、何にも知らないんだな・・・何年も、一緒にいたのに・・・」
(これから知ってくれればいい)と、ランは思ったが、声にならなかった。
黙ったままのランに、シュウは出ていって欲しいとも、居て欲しいとも思い・・・結局彼も、黙ったままだった。
ランは、そんなシュウの捻じれた思いをそれとなく読んでいた。
(つまりシュウは、一人になりたいとも、誰かに居て欲しいとも思っている)
そしてその「誰か」が務まるのは、多分自分だけだ・・・彼女はそうも考えていた。
だが、自分はそれ以上の存在にはなれないかもしれない・・・ランは漠然と、そんなことを考えて・・・急に切なくなった。
煙草の煙が、妙に目に沁みるような気がした。
パイは、どんどん歩いていくフェイを追いかけながら・・・何故、自分がフェイを追いかけるのかを、理解できずにいた。
(フェイと私は・・・そもそも、シバを倒すための『力』と、それを発動させるための『鍵』っていう、それだけの関係なのよね。でもフェイは、もう・・・私がいなくても、力を発動できる・・・それ以前にもう、シバを倒しちゃったし・・・)
などと考えごとをしながら歩いていたパイは、いきなりドン、と何かにぶつかって我に返った。すぐ前を歩いていたフェイが、急に立ち止まったのだ。
片足の踏ん張りが効かないフェイは、自分よりずっと体の大きなパイの体当たりを受けて二、三歩よろめきながらも、何かをじっと見つめていた。
パイは誘われるように、その視線の先を追う。
そこは道端の、何の変哲も無い小さな公園だった。
そこで5〜6歳の男の子が二人で、拳術の套路を練習していた。
フェイはふらふらと公園に入ると、長椅子に腰掛けて、その練習を見続けた。
パイもその隣に座り、子供達の動きを見るともなく見つめた。
「・・・そんなにあの子達、上手?」フェイを見ずに、パイが訊ねる。
「いえ・・・まあ、年相応です。でも・・・楽しそうです」フェイも子供達を見たままで返す。
「僕とシュウも・・・あんな風に、二人で練習してました。もっともシュウは、あの子達よりずっと上手でしたが」
(今、きっとフェイは笑ってる)とパイは思ったが、何となく目を向けられなかった。
「・・・懐かしい?」
「はい」
「でも、大人になっちゃったら・・・もう、戻りたくても戻れないのよね」
「いえ。そうでもありません」
「・・・え?」
パイは思わずフェイを見ていた。その顔には、不安と、諦めと、納得が混じり合っていた。
「戻れない・・・としたら、それは・・・純粋な白仙だった頃の僕には、もう戻れない・・・ということです」
「じゃ、今のフェイは?」
「あの子達と一緒です。・・・武術をやっていて、命のやり取りだとか、相手を傷付けたらどうとか・・・そんなことを考えるようになったのは、かなり大きくなってからのことで・・・最初は、ただ気に入らない奴をぶっ飛ばしたいとか、相手と力の限りにぶつかり合うのが楽しいとか・・・それだけでした。今、僕の中で武術とは、そういうものになっています。恐らく・・・シバも、武術を始めた子供の頃は、こんな感じだったんでしょうね」
「そう・・・なの?」
「ちょっと想像し辛いですけどね」フェイは長椅子の背もたれに体重を預けて、空を見上げながら小さく笑った。
「僕には・・・白仙としての才能がありました。白仙になることを、はっきりと目指し始めた頃から・・・僕の性格は、いよいよ『白仙らしい』型にはまっていったような気がします。勉強にせよ、人との接し方にせよ・・・優しくなければいけないとか、人を傷つけてはいけないとか・・・」
「あー、それは分かるわ。私だって警備隊に入る前は、もーっと適当に生活してたもんね。ま、フェイから見たら、今でも充分適当な女だろうけど」
「・・・そうですね」
「ちょっと。ここは『そうでもないですよ』とか言って、フォローするところでしょ?」
「あ・・・すいません」
「ふふ・・・でもさ、確かにフェイって、本当は『優しい』っていうよりは『公平』な人なのかもね」
「うーん・・・それはちょっと・・・自分ではよく分かりませんね。ただ・・・僕の、いかにも白仙といった態度やものの考え方は、後から『作られた』もののような気がします」
「じゃ、本当のフェイって?」
「それを一言で表現するのは、非常に難しいのですが・・・例えば、僕が交渉をした時に、魂は・・・白仙である僕が、黒仙のような攻撃的な力を得ることを『灰色になる』と表現しました」
「真っ白な魂に、黒が混ざって灰色になるってこと?
「ええ。僕もそう思ってました。でも・・・魂が交換条件の調整をして、僕一人でも力を発動できるようになった時・・・思ったんです。僕は、新しい力を得たのではなくて、本来の力に目覚めただけなんじゃないかと」
「つまり・・・白に黒を足したんじゃなくて、元々灰色だったのに戻っただけってこと?」
「はい。・・・これは僕だけじゃなくて、殆んど全ての人についていえることなんじゃないでしょうか。例えば僕の場合は・・・白仙を目指すことで、魂を上から白く塗りつぶしていたのを、『交渉』によって・・・その、魂を覆っていた『白』を取り去ることで、本来の灰色に戻ったのではないかと。そして・・・シバの場合は、軍人として過酷な最前線を経験することで、黒が強くなっていったのではないか・・・そして黒鎧氣を編み出したことで、完全に闇に落ちてしまった・・・」
「ふーん・・・でもさ。単純に白だ黒だっつっても、レン君みたいなのもいるわよ?あの子だって黒鎧氣を纏ってたけど、恐そうには見えなかったじゃない」
「ええ、その通りです。白か黒かというのは、善か悪かということとは別問題です。優しい黒もあれば、残忍な白もあります」
「面倒よねえ」
「ふふ・・・でも・・・考えてみると、恐くなります。人間の本質が、灰色なのだとしたら・・・いや、事実そうだと思いますが・・・僕は、シバと戦っている時、こともあろうに・・・シバに共感を感じていました」
「へ?そうなの?」
「ほんの僅かですけどね。確かに感じていました。・・・戦いの中で、お互いに高揚感を共有していたんです。それは一種の仲間意識に近いものでした。・・・あれがあったからこそ、シバは・・・僕に倒されるなら『本望』だなどと言ったのでしょう」
「へえ・・・」
「僕はもう、以前の僕には戻れません。以前の僕の魂の白さは、上から塗り足したものだと知ってしまいましたから・・・でも、それはいいんです。問題は、これから・・・人間の本質が、灰色なのだとしたら・・・それはつまり、全ての人間には、シバのようになる可能性があるということです。そして・・・僕とシバとの距離は、それほど遠くはないような気がするんです」
フェイは特に悲しそうでも、怖そうでもなく・・・いや、少しばかり寂しそうに肩をすくめた。