正義・1
シュウが目を覚ましたのは、ウーミィ国警備隊直轄の病院だった。
シバとの戦いから、二日が経っていた。
寝台から跳ねるように体を起こしたシュウは、まだシバと戦っている気分でいたので、周りが壁に囲まれた清潔な病室だという状況が飲み込めず、軽い混乱に陥り、「シバっ?・・・どこだ?ここは・・・どこだ?」と叫んでいた。
その叫び声で、ずっとシュウの看病をしていて・・・そのまま椅子に座ったままで眠り込んでいたランが目を覚ました。
「シュウ?やっと起きたのね。・・・もういいの。戦いは・・・終わったのよ」
ランは寝台の側に膝を着き、周囲をキョロキョロと見回し続けるシュウの両肩に手を置いて、強く言い聞かせた。
フェイ、パイ、ラウ、ウォン、レンの五人がシュウの目覚めを知って病室を訪ねる頃には、シュウは大分落ち着きを取り戻していた。
「とにかく、ありがとうございました・・・私が今、こうして生きているのは、シュウさんのお陰です」ラウはシュウに向かって深々と頭を下げた。
「いや、そんな大袈裟な・・・そもそも、ラウさんがシバの左腕を壊してくれたのが、突破口になったんですし」シュウは両手を振りながら、先刻までとは別の意味で混乱していた。
「そうそう。それにこいつは一番美味しい所を持っていきやがったんだぜ・・・全く俺なんか、怪我のし損だっての」両脚を包帯でぐるぐる巻きにされたウォンが、椅子の上にふんぞり返って笑う。
「またウォンさんはそんな・・・あなたの『響牙』で足を壊されてなけりゃ、シバの奴、逃げてたかもしれないんですよ?」パイが後ろからウォンの長髪を引っ張りながら、少し照れ臭そうに言葉を投げた。
「あ、俺ね、そういうの駄目なんだ。『影の功労者』って奴?そうじゃなくてね。最後に決める所で決めるってのが、俺の本来の姿なの」ウォンは途方に暮れた表情で首を振った。
「まあまあ・・・みんなで力を合わせたから、こうして全員が無事に戻って来られたんですよ」フェイが無難な台詞でウォンをなだめる。
勿論こんな言葉で納得するようなウォンではない。
「あっ、嫌味だねえこの男は!ものすごく良い子の意見なんか言いやがって!結局、最後の最後の一発をシバにお見舞いしたのは、お前だろうが。俺の役を取りやがって・・・」
「そうだ」シュウが低く呻くように呟く。
「・・・お、それ見ろ!シュウだって、シバのタコ野郎を殴りたかった筈なんだぞ。それをフェイが引っ叩いて止めやがって。そんなに最後は自分で締めたかったのかっての」
「シバみたいなことを言わないでくださいよ、ウォンさん・・・そうじゃなくて、僕はシュウに人殺しをさせたくなかっただけで・・・」
「そうだ。誰がやったかなんてのは、もう問題じゃない。シバは・・・どうなったんだ」
しばし、沈黙が広がる。
「もう、ペイジ国に護送されたわ・・・一番の人的被害を被ったのは、ペイジ国だから・・・あいつの出身国でもあるし」ランがボソボソと呟く。
「じゃあ、あいつはまだ・・・」
言葉を詰まらせたシュウがその先を言う前に、フェイが口を挟む。
「シュウ。あいつは・・・僕の拳で、黒鎧氣を根こそぎ祓っておきました。これは実行委員の場合とは訳が違います。シバにとって、黒鎧氣は・・・もはや体の一部でした。それを無理矢理に取り除いたんです。シバはもう、日常の立ち居振る舞いにも支障をきたすような体になりました。そんな状態で、あいつは・・・最悪の環境の島に、流刑に・・・」
「だが、それでも奴は生きている」シュウが怒鳴る。
レンが小さい体を更に縮めて暗い顔をした。それを見たシュウは、さすがにテンションを下げはしたが、怒りが収まったわけではない。
「くそっ・・・これでいいのか・・・一体、正義は・・・どこへ行っちまったんだ・・・」ブツブツと唱えるように恨みを吐き、頭を抱える。
「シュウ」フェイが立ち上がる。
「正直言って、僕は・・・もう正義だとか、そんなものは・・・どうでもいいんです」
病室にいる全員が、驚いたようにフェイを見る。
「ただ、今のシュウを・・・もし・・・ユエが見たら・・・彼女はきっと、悲しむと思います」
ユエの名前を聞いて、シュウが硬直する。そんなシュウの視線から逃げるように、フェイは振り返り、病室の扉に手をかけた。
「彼女は・・・誰よりも、優しい人でしたから・・・」
そこまで言うと、フェイは扉を静かに開けて病室を出た。
「フェイ・・・!」パイはフェイの背中と、俯くシュウを交互に見比べてから、フェイを追って病室を出た。
レンは黙ったままでシュウに深く頭を下げてから、病室を出た。
ラウは・・・やはり黙ったままでシュウに頭を下げたが、体を起こしながら服の裾を軽く摘んですっ、と引き、柔らかな衣擦れの音を奏でた。その余韻に被せるように、たむ、と一つ、からっと乾いた足踏みの音を響かせる。
和音と、拍子と、それに乗って動くラウの手足が、病室の沈んだ氣を軽くしていた。
ラウは扉をくぐってから、もう一度振り返って軽く一礼すると、ゆらりと陽炎のように消えた。足音がしないので、余計に消えたように感じるのだ。
「さて・・・と」ウォンが杖をついて立ち上がる。
「フェイの台詞じゃねえが、今のお前には・・・リンは紹介できんな」
シュウよりもむしろ、ランのほうが「え?」という顔をする。
「と、言いたいところだが・・・約束だからな。体が治ったら、いつでもサントン国に来いよ。あんまりいい女なんで、びっくりするぜ?あ、それから手土産を忘れんなよ」
「・・・って・・・ウォンさん、もうサントン国に帰るんですか?」シュウは口の端に少しだけ笑みを浮かべて・・・目にはまだ、怒りの炎がくすぶっていたが・・・訊ねた。
「ああ。リンが俺の帰りを待ってるからな」
「ウォンさんじゃなくて、お土産を待ってるんじゃないんですか?」
「そうそう、その調子・・・人生、そうでなくちゃな。じゃ、また会おうぜ」ウォンは白い歯を見せてニヤリと笑うと、杖をカンカンと軽快に鳴らしながら病室を出た。
「リン・・・さんって、誰?」ランが正に「素朴な疑問」ぽく訊ねる。
「さあ・・・ウォンさんの本命じゃないかな?俺も名前しか知らないんだ」シュウが肩をすくめて首を振る。
「ふうん・・・」ランは椅子に深くかけ直すと、煙草を一本取り出して、示指に金氣を込めて火を点け・・・ようとして、シュウを見た。
「ね、ちょっと火をくれない?」
シュウは少し顔をしかめてから、示指をランに向けて突き出す。
その指先にランが煙草の先を付けると、すぐにポッと赤い火が点った。
「・・・何で俺が?」
「だって私、金氣しか使えないもの。火氣のほうが点け易いでしょ?」
「そりゃ、そうだが・・・そもそもだな、こういう状況ってのは大抵、俺みたいなのは『一人にしてくれ』とか言って全員を追い出したり、でなきゃ周りが気を利かせて『そっとしておこう』とか、そんな感じで出ていくもんだろ?」
「そう?そうかもしれないわね・・・でもねえ、私は怪我人が寝ている病室で、煙草を吸うような雑な女だから・・・そんな気遣いはできないわね」
「無茶苦茶な理屈だな・・・そういやお前、煙草を吸うのか?今まで見たことないぞ」