敵地・2
「そうじゃなくて」レンが激しく首を振る。
「僕も一緒に戦います。シバを・・・止めなきゃ」
「それは、駄目です」フェイは静かに、しかし有無を言わせぬ強さで却下した。
「君はもう、黒鎧氣を纏っていません。だからあの『風』・・・全ての氣を無力化する術は、使えません。そんな君が戦力になるとは思えません」
「本気でそう思っているんですか?」
「はい」
「・・・嘘です」
「あのー、レン君。フェイの言う通りだと思うわよ。いくら空を飛べるったって、それだけじゃ戦いにならないし」パイが口を挟む。
「・・・でも、お姉さんよりは僕のほうが、強いと思いますよ」
「あら?言ってくれるわね。そんな細い体で」
「あ、いや、パイさん・・・」フェイは嫌な予感がしていた。
「じゃ、試してみますか?」レンがパイを嘲笑するように鼻を鳴らす。勿論挑発だ。
「試す?何を?」
「僕とお姉さんで勝負をして、お姉さんが勝ったらフェイさんの言う通りにするよ。でも僕が勝ったら、僕も・・・一緒に、シバを止めるために戦う」
レンは右手の示指をユラユラと揺らしながら、自信たっぷりに提案した。
「あ、そう。・・・じゃ、やっぱりあなたは道案内だけね」パイは片頬をピクつかせながら、胸の前で両掌を合わせて氣を練り始めた。
あっという間に雷球が発生し、周囲の氣を巻き込んで唸りを上げる。
(何とまあ、お約束通りに挑発に乗る人なんだから・・・)フェイは頭を抱えて俯いた。
レンは爽やかな笑顔を浮かべると、「うん」と呟きながらユラユラさせていた示指を拇指に引っ掛けてピン、と弾く。その指先で金氣が練られて、小さな光の粒がひとつ、パイの雷球に向かって飛んだ。
金剋木。金は木を剋する。
レンが放った光の粒ひとつで、パイの雷球はあっさりと消されてしまった。
「どええ?」パイは両掌を向かい合わせたままで、つい先刻まで雷球が暴れていた空間を見つめながら叫んだ。
「お姉さんは、木氣の雷しか使えないんでしょう?それなら・・・」
レンは静かに右掌をパイに向けると、いきなり土氣を練って、重力球を発生させた。レンの右掌の前の直径1メートルほどの空間が、高重力の影響で歪み、ぐらぐらと揺れている。
「お姉さんの雷で、この土氣を消せる?」
木剋土。木は土を剋する。
この重力球は、レンからの挑戦状だった。
「うわ・・・」パイは両手をだらりと垂らして息を呑む。
レンが練った重力球は、桁違いの力を持っていた。重力球は普通、それに触れたものを吸い込み、圧力で潰していくものだが、レンの重力球は触れるまでもなく、周囲の全てを吸い込んで押し潰す力を持っていた。
今そういう現象が起きないのは、レンが重力球の周囲に結界を張っているからだ。それほどの術を、レンは涼しい顔で笑顔を浮かべながらこなしていた。
勿論パイに、この土氣を雷で消せるだけの自信は無かった。
だがパイは、まるでこの結果が分かっていたかのようにヒラヒラと右手を振った。
「無理無理・・・レン君の勝ちよ。多分こうなるとは思ってたけど・・・これほどとはねえ。もういいから、さっさとその物騒な重力球を引っ込めてよ」
「はい」レンがホッとしたように右掌を握ると、重力球はシャボン玉のようにパチンと弾けて消えた。
「ねえフェイ。あなただって、レン君が・・・『風』なんか使えなくっても充分に戦う力があるって、分かってるんでしょ?」
「・・・はい」
「もう観念したほうがいいんじゃないんですか?フェイさん」ラウが、フェイの肩をポンと叩く。
「ま、レンみたいなのを戦わせるっつーのに、抵抗を感じるのは分からんでもないがな」ウォンが治ったばかりの右足を振り回しながら呟く。
「そりゃまあ・・・レン君は、シバに恩があるっていうんだから、色んな意味でね・・・でも現実問題としてさ。レン君の力は捨て難いわよ」
「・・・それだけじゃありません」
「へっ?」
「レン君を見ていると・・・僕自身の拳が、鈍りそうなんです」フェイは俯いたままで呟いた。
「ああ・・・そうか」パイはしかし、そのほうがいいかもしれないような気がしていた。
「へへ・・・それならそれで、ある意味願ったりだね。本職の武術家としちゃ、これ以上白仙のお前に美味しい所を持ってかれるのは敵わんのだよ」ウォンが右足を下ろしながら、白い歯を見せて笑う。
「そう・・・フェイさんは、あまり戦いに染まり過ぎないほうがいいかもしれませんよ。ウォンさんとは違うんですから」ラウはそう言って、ウォンをチラリと見た。
「・・・そりゃどういう意味だい、ラウの旦那」
「いえ、深い意味はありませんが・・・」
「あーっ、もう止め!約束だから、レン君は一緒に戦う!決定!」パイが足をどん、と踏み鳴らしながら怒鳴る。
「あの、約束って・・・パイさんが一人で勝手に・・・」フェイがおずおずと申し出る。が。
「文句言わないのっ!上司は私でしょっ!」と一喝されて終わりだった。
「私も行くわよ」ランもまた、シバとの戦いに同行することを希望していた。
「大丈夫。私は戦うつもりは無いの・・・戦況がまずくなってきたら、レン君とパイさんを担いで逃げるつもりよ。そういう役がいてもいいでしょ?」
「んー、ランさんに担がせるかどうかはともかく、退却のことは考えとかないとな」
結局、チュアン国・ウーミィ国・シャンシー国から、軽身功に優れた者が30名ばかり選出され、戦闘で負傷して動けなくなったものは彼らが運んで退却することになった。
「かといって、最初から退却のための人員がすぐ近くいいるってのもまずいわよね」
「ええ。シバが先にそちらを攻撃するかもしれませんから」
「ま、3分で山小屋に到着できるぐらいの位置に待機してもらおうか。いざとなったら、呪符か信号弾で呼ぶってことで・・・」
その呪符と信号弾は、パイとランが持つことになった。
そしてレンの言葉通り、車で三日、徒歩で三日・・・フェイ、パイ、ウォン、ラウ、レン、ランの六人は、シバの待つ山小屋に到着した。
山小屋の周囲には、30メートル四方ほどのひらけた草地があり、見晴らしは良かった。
フェイ達は森と草地の境界に立ち、ほぼ草地の対角線上にそびえる・・・そう。それはせいぜい山荘といった程度だというのに、その特異な雰囲気は「そびえる」と形容したくなるような・・・山小屋を見つめ、それぞれが氣を引き締めていた。
「ふん・・・レンから聞いちゃいたが、いざ来てみると本当に隠れる所が少ないな。わざわざシバのほうから呼び出すぐらいだから、もっと深い森の中とかに誘われるかと思ったんだが・・・」ウォンが周囲を見回しながら呟く。
「・・・それだけ自信があるってことなんじゃないですか?力と技をぶつけ合うのなら、こういった場所のほうがいいと・・・それでもなお、この人数差で勝つ自信がある、と」ラウはそう言いながら、扇を閉じたり開いたりして自分のリズムを整えていた。
「まあ、そういうことだ」
いきなり山小屋から、太くしわがれた声が響く。
フェイの氣が・・・殺氣が湧き上がる。
シバだ。
山小屋の扉が開いて、シバが現れた。
黒い髪。黒い髭。黒の上下。黒の外套。そして・・・白目が無く、黒一色の目。
レンがいなくなってから、シバは急速に「魔」に呑まれつつあった。
(ワシがワシでいられる時間は、もう長くはない・・・)シバはそう感じていた。
パイとランは、シバの氣圧に圧されてフラフラと後退し、森の中へ入り込んでいた。パイは更にそのまま、木陰に隠れる。
「こそこそと騙し合いをしながら戦っても、つまらんからな・・・だからここを選んだのじゃ。さて・・・戦いの前に、紹介しておきたい人がおる」
シバは凶悪な笑みを浮かべながら、山小屋の奥に向かって手招きをした。
「さあて・・・皆さんに、顔を見せるとよい。きっと驚くぞ」
山小屋から、一人の男が出てくる。
それは・・・シュウだった。
しかも彼の髪と目は、不自然なほどに黒く・・・闇色に染まっていた。
「来たな・・・フェイ」
シュウの呟きは、その口よりもむしろ、地の底から響いてくるようだった。
漆黒の瞳がフェイを捉え、その闇を濃くしていた。
敵地・了