新生・1
シュウは病室の寝台に横たわったままで、ボンヤリと天井を眺めていた。
と言ってももう夜中で、しかも明かりも点けていないので、特に何が見えるというわけでもない。
チュアン国での錬武祭が終了してから、もう三日が経っていた。
ここは警備隊直轄の病院で、シュウだけではなく、ラウやウォン、それからレン、その他の実行委員の四人も入院していた。
シュウの体は、ほぼ元通りに回復していた。だが・・・気持ちは沈みきっていた。
(錬武祭の実行委員を・・・ラウさんが一人、倒して。ウォンさんとフェイで、三人。パイさん・・・言っちゃ悪いが、あのパイさんでさえそれなりに戦って・・・フェイなんか、実質は二人倒したようなものだ。なのに俺は・・・一人も倒せなかった)
それは仕方の無いことだと、シュウは何度も自分を説得していた。
(ラウさんの言う通り、運が悪かった・・・あのタイミングで打たれては、どうしようもなかった)だが気分は晴れない。
レンを助けに走った判断は、間違っていたとは思わない。
ただそのために、満足に戦えなかったというのは、どうにも納得ができなかった。
(本当に・・・フェイには、大きな差をつけられちまった)
シュウにとって、これが一番辛かった。
(もしもあそこで打たれずに、戦っていたら・・・俺は実行委員を倒せたろうか?)
意味の無い問いだということは、自分でもよく分かっていた。
(俺は、戦い損ねたんだ。それが全てだ。戦っていれば勝ったかとか、負けたかとか・・・考えてもしょうがない)
だがそれならそれで、存分に戦うことのできたフェイが羨ましかった。
(しかもフェイは、充分な結果を残している。なのに俺は・・・)
そんな考えが、頭の中で堂々巡りをしていた。シュウはそんな自分が情けなかった。
シュウが思い悩むのも、無理はなかった。彼の目的は、シバを倒すことだ。だから錬武祭で実行委員を倒せたかどうかは、シバと戦えるかどうかのそれなりの目安になる。
その戦いに参加し損ねたのだから、気に病むなというほうが無理な相談だ。
だがシュウは、いつまでも気持ちの晴れない自分が・・・フェイを羨む自分が、ひどく矮小に思えて仕方がなかった。
(次は恐らく・・・いよいよ、シバだ)
過ぎたことに囚われるより、先のことを考えるほうがまだましだと思い、シュウは無理矢理に思考を切り替えた。
だが浮かんだきたのは、シバに打ちのめされる自分と、そこへ駆けつけてシバを殴り倒すフェイのイメージだった。
「くそっ」シュウは小さく叫ぶと、拳を押し付けるようにして寝台を叩いた。
不規則な振動が、苛立ちを増長させる。
・・・パタパタと布が擦れ合うような音がする。・・・その、パタパタという音が止まない。
(違う。これは・・・紙が擦れ合う・・・いや・・・羽音?)
視線を泳がせたシュウの目に、一匹の蛾が映った。
「・・・シュウよ」
いきなり蛾に名前を呼ばれて、シュウはビクリと体を震わせた。
無意識の内に体を起こしていた。
その蛾の声は・・・シバのものだった。
いや。よく見るとそれは蛾ではなく、蛾を模して紙で作られた呪符だった。
「貴様・・・一体、何をしに来た?」シュウの声は針のように刺々しかった。
いや、声だけではない。
さっきまでの沈んだ心はどこへやら。一変して闘氣が跳ね上がり、氣勢がシュウの周りの空気をピリピリと震わせ、呪符に突き刺さりそうな激しさで発散していた。
「ふふ・・・まあ、そんなに熱くならんでもよいぞ。別に戦いに来たのではない。ちょっとお前に用事があってな」
「用事だ?ふざけるな。そんなもの、お前にあっても俺には無い。戦うこと以外はな」
「そんなことはない。お前もワシに用がある筈じゃ。戦うこと以外にな。この声が聞き取れるというのが、その何よりの証拠じゃ」
「・・・何だと?」
「お前は今、怒りと憎しみに囚われ、力を求めている。力が手に入るのなら、どんな方法でも構わんと思っておる。例えば・・・黒鎧氣に頼ってでも、だ」
「・・・黙れ!」
シュウは右手に火氣を込めると、手刀を一閃させて、フラフラと飛ぶ呪符を焼き払う。呪符はボン、と小さな爆発音を立てて床に落ち、すぐに燃え尽きた。
「ふはは・・・見事じゃのう。だが、無駄なことじゃ」
今度は背後からシバの声が聞こえた。
シュウが振り向くと、そこにはまた・・・呪符で作った蛾がヒラヒラと宙を舞っていた。
シュウは黙って火氣をこめた右手を振り、呪符を焼き払う。
「無駄だ」左から。
「無駄じゃよ」右から。・・・シバの声がした。
シュウは両手に火氣を込めると、左右の呪符に向かって拳を突き出・・・そうとして、動きを止めた。
背中に悪寒が走っていた。
(何かが・・・いる。左右の呪符だけじゃない。・・・どこだ?)シュウは感覚を研ぎ澄ました。
「そうじゃ」
「それでよい」
「無駄なことはやめろ」
声は、左右だけではなく・・・上からも降ってきた。
シュウはがばと天井を仰ぎ見て、思わず息を呑んだ。声にならない絶叫が、胸の中でこだましていた。
天井には無数の・・・おびただしい数の呪符の「蛾」が、びっしりと模様のように貼り付き、ざわざわと蠢いていた。
「無駄なことはよせ」
「どの道、今のお前では」
「ワシは倒せん」
「それよりも」
「一緒に」
「こちら側に」
「来るんじゃ」
「お前には才能がある」
「まだまだ」
「お前は」
「強くなれる」
「そう・・・」
「フェイよりも」
「強くなれる」
「黒鎧氣を」
「纏えば・・・!」
シュウの頭の中で、シバの声が・・・甘い誘惑となって響き始めた。
(違う。俺は、シバを倒すために強くなりたいんだ。フェイは関係ない・・・!)
シュウは頭を振って、自我を保とうとした。
「だから」
「無駄なことはよせ」
「お前は自我を」
「失ってなどおらん」
「お前は、このワシを倒す力を」
「持っておらん」
「フェイよりも弱い」
「そんな自分が許せずにいる」
「それがお前の本音だ」
「それが今のお前の自我だ」
呪符は口々に、天井から言葉の雨を降らせた。
シュウは頭の中でこだまするそれらの声に、ぼうっとするようでもあり、覚醒するようでもあった。
少なくとも、聞かずにはいられなくなっていた。
「動機など」
「何でもよい」
「強くなりたいと思う」
「そのこと自体は」
「良くも悪くもない」
「だがお前は、ワシに及ばないという事実と」
「フェイへの嫉妬心に囚われて」
「強くなりたいと願うことさえ」
「後ろ暗く感じ始めておる」
「その心の闇が」
「お前を」
「黒鎧氣に・・・適応させるかもしれん」
シュウはゾクリとした。
だがそれが、恐怖なのか興奮なのか、自分でも区別がつかない。
「お前は本来」
「黒鎧氣を纏うのに」
「適した性格ではない」
「だが・・・今のお前は特別だ。だからこの声が聞こえるのだ」
「黒鎧氣を」
「くれてやろう」
「そうすれば、もっと・・・」
「強くなれるぞ」