油断・5
(さてと・・・妖怪退治は専門外だが、何事も経験だからな・・・ん?)
風刃脚を放とうとして氣勢を上げたウォンの前で、ヘイユァンは右に、左に、変則的に・・・幻惑するように動きながら間合いを詰めてきた。
(風刃脚の的を絞らせないつもりか。しかし・・・)
それは既に、人間の限界を超えた速さと動きだった。ヘイユァンの足の筋肉や腱が、断裂を始めて・・・ぷち、ぴちという細かな悲鳴が弾ける。
(ちっ・・・しゃあねえな。ギリギリまで引き付けてから、確実に仕留めるか・・・うお?)
ウォンは今度は、背後でいきなり攻撃的な氣が膨らむのを感じて、思わず振り返った。
その目の前で、パイが・・・両掌を肩幅に広げて、頭上高く掲げていた。
パイの額には、フェイの氣との共振現象で、銀衛氣が輝いている。その光が水蒸気のように細かい粒子となって上昇し、パイの両掌の間で雲のようにまとまり、雷を発生させていた。
(これは・・・銀衛氣の、雷?)フェイは目を丸くしていた。
「ウォンさん!頭を低くしてくださいっ!」
「えっ?あ・・・おう!」ウォンが身を屈めると同時に、パイは「やーっ!」と叫んで雷球を投げた。
だがスピードが遅い。ヘイユァンはこれを軽くかわす。
そこでパイはニヤリと笑うと、胸の前で両掌をパチンと合わせる。それを合図に雷球が空中で爆発四散し、上下左右前後の360度全方位に稲妻が飛び散った。
さすがの「魔」のヘイユァンも、この暴走する雷は避けきれない。跳ね回る雷は、触手のようにヘイユァンに絡み付いて・・・そのまま周囲の雷の全てがヘイユァンに集中し、その体を縛り始めた。
ヘイユァンは全身が痺れて、その場に立ち尽くしたまま動けない。
「どうだっ!雷斗靭隅の味はっ!」パイが息を弾ませながら怒鳴る。
「・・・雷斗靭隅?」ウォンが復唱する。
「そう。強靭な雷が、隅々まで飛び散って敵と斗う・・・それで、雷斗靭隅」
「・・・ナイスネーミングだね」
「でしょ?私の腕じゃ、細かく照準を合わせて命中させるとか、そういう系統の技は苦手だから・・・とにかく敵をまとめて捕捉できるような技がいいかなって」
「それは・・・パイさんらしい、大味な技ですね」もう近くまで来ていたフェイが、半ば感心し、半ば呆れながら呟く。フェイの銀衛氣はもう静まって、髪と目は栗色に戻っていた。
だが実際、「雷斗靭隅」の捕縛性能は中々のものだった。
「しかし・・・一体いつから銀衛氣を操作できるようになったんだい?」ウォンが訊ねる。
「昨日からよ。ほら、練習中に一度、はずみで銀衛氣が発動したでしょ?あの時に思いついたの。フェイと私の氣の波長が似ていて、銀衛氣の発動時に共振現象が起こるんだったら、私の額の光ってのは、つまり銀衛氣の光なわけだし、私の意志で練ることもできるんじゃないかって」
「ええ。充分に考えられることです。・・・なのに僕は、自分が銀衛氣をどう使うかということばかり考えていて、契約者にも銀衛氣を使える可能性があるなんて、思いもしませんでした」フェイがうんうんと頷く。
ヘイユァンに絡み付いた雷は、勢いを緩めることなく彼を締め上げ続けている。
その持続的な衝撃と苦痛が、ヘイユァンの自我を目覚めさせた。
「がっ・・・ああ・・・っあぎっ・・・」もう残り少ない筈の体力が、呻き声と共に絞り尽くされようとしていた。
「・・・で、パイさん。この技はこの後、どう収拾がつくんで?」
「いや、その・・・ほら、銀衛氣関係の交渉をしたのはフェイでしょ?だから私が銀衛氣をどう使おうと、フェイに影響は無いと思うんだけど、それでも一応はと思って。・・・雷の質をね。殺すとか体を壊すとかいうのじゃなくて、痺れと苦痛で一時的に行動不能にするような効果に調整したのよね。そのほうが効果の持続時間も長くしやすいし」
「結構なことです」
「だからまあ、捕捉した敵が動けなくなったら、自動的に雷は消えるんだけど・・・」
「それって言い換えると、敵が気を失うなりして行動不能にならない限りは、ずーっとこのままってことですか?」
「いや、いくら何でもずーっとってことはないけど・・・ま・・・30分はもつわね」
「くはっ・・・ぎ・・・いいい・・・」ヘイユァンの呻き声が続いていた。彼は目を覚ましてはいたが、彼の体の制御権は「魔」にあった。
そして「魔」は、まだ戦いを諦めてはおらず、当然倒れることを許しはしない。
「・・・嘘でしょ。せいぜい5〜6秒で、誰でも気絶すると思ったのに・・・」
「普通ならそうだろうな。だが、こいつは・・・普通じゃない」ウォンは首を傾げながら、ヘイユァンを見た。
倒れたくても、気を失いたくても、できない。逃げることもできない。
そんな中で絶え間なく襲ってくる、終わりの無い雷の苦痛に、ヘイユァンは発狂寸前だった。
フェイが呼吸を整え、無極之氣を練り始める。
「おいおいフェイ、お前ひょっとして、ヘイユァンに点穴とかして眠らせようとか思ってないか?」
「えっ?・・・はい」
「よせよせ。お前まで雷に捕まったら面倒だっての・・・それよりもな。武術家の『点穴』ってやつを見せてやるよ」ウォンは白い歯を見せて得意そうに笑うと、氣勢を上げてヘイユァンをカッ!と睨んだ。
そのまま、左足で軽く跳躍して・・・空中で左足を稲妻のように閃かせて、風刃脚を3発、点撃で放つ。
その風の刃・・・というより風の針は、ヘイユァンの額と、胸と、下腹部・・・いわゆる上丹田、中丹田、下丹田を精確に撃ち抜いていた。
そのためにヘイユァンの体を流れる氣は、丁度いい具合に・・・随意筋の機能だけが強制的に停止させられる程度に分断され、乱された。
ヘイユァンの体が、糸の切れた操り人形のように崩れる。
そして「魔」は、糸が切れた戦えない人形には用は無いとばかりに、煙のように消え去ってしまった。
・・・そして魔が去っていくのにしたがい、ヘイユァンの髪の色も抜け落ちて・・・真っ白になってしまった。
すぐに雷が静まる。
フェイは石畳の上に倒れ伏したヘイユァンに慌てて駆け寄ると、脈と呼吸を診て命に別状が無いことを確認し、ほっと胸を撫で下ろした。
「お見事です。ウォンさん」フェイは感嘆していた。
自分に、同じことができるか・・・例えば、3本の鍼を限りなく同時に近い速度で投げて、上中下の丹田を貫くなどということができるかと考えたが、とてもそんな自信はなかった。
「へへっ、当然だね。俺は天才だからな・・・けどまあ、正直助かったよ。パイさん・・・いい足止めだった」ウォンは、パイを見てニッコリと笑った。
逆にパイは、罰が悪そうにもじもじとしている。
「あーいや、そう言われると・・・すいません。ウォンさんて、片足でも風刃脚が撃てるんですね・・・本当は、足止めなんていらなかったんじゃ・・・何か私、余計なことしたみたいで」
「うん?そんなこたあないよ。あの野郎、結構いい動きをしてたからな。外したらヤバかったのは確かさ。大体俺が風刃脚で仕留めなくても、あいつがくたばるのは時間の問題だったと思うしな。ただ・・・」
「ただ?」
「ちょっとあいつが気の毒になってきちまってな。早いトコ、眠らせてやろうと思ったわけだが・・・そういう意味じゃ、余計なことをしたのは俺のほうだよ」ウォンは少し照れ臭そうに目を泳がせながら、また白い歯を見せた。
「ふふ・・・ウォンさんて、やっぱり・・・変な人ですね」
「ええー?何で、そうなるかな?『変』はないでしょう、『変』は!」ウォンは左足一本でピョンピョンと跳ねてパイに接近すると、ガッチリと両手を握って左右に振った。
(いや、だから、こういうことをしなけりゃ『いい男』なんですよ・・・)パイは半分は呆れつつ、半分はいい気分だった。
その時になってやっとフェイ達は、勝利に沸く歓声が響き渡っているのに気付いた。
チュアン国での錬武祭が、やっと終わったのだ。
油断・了