攻防・5
「おおおっ・・・」リャンジエはまた、無理には踏み付けに逆らわずに、素直に左足を下ろしながら、今度は右足で跳躍する。跳躍というよりは、足を踏み換えるように低く、鋭く・・・左に旋回しながら右足底を外から回してウォンの顔面を狙う。
旋風脚だ。素晴らしいバランス感覚が、体勢の崩れを連続技に繋いでゆく。
「頑張るねえ」感心したようなウォンの呟きが終わるより先に・・・ウォンの顔に届くまで、あと10センチあるかないかの所でその旋風脚は、ウォンの左の蹴り上げに阻まれて、大きく軌道を変えていた。
リャンジエは蹴りを出した姿勢のままで、2回と半回転の宙返りをして、頭から石畳に落下した。
普通の人間ならここで勝負ありだが、黒鎧氣を纏った体なら、まだ持ちこたえられる。
そしてそのことに、ウォンが気付かない筈が無いし、ならば追撃を緩める筈も無い。天地も把握できない状態で、リャンジエは焦った。
(早く、ここから離れるんだ。・・・どっちへ?どっちでもいい。とにかく・・・)
リャンジエは、ウォンの位置も分からないまま、当てずっぽうで石畳の上を転がった。恐ろしく攻撃的な氣が、空から迫っていたからだ。
そしてリャンジエは、その賭けに勝った。
ズシンという地響きがして、転がるリャンジエの体が浮き上がる。その勢いですかさず膝立ちになったリャンジエは、彼がついさっきまで倒れていた場所が、直径2メートルほどのすり鉢状に陥没しているのを・・・その中心に、ウォンの左足があるのを見て、身震いした。
その身震いが治まる暇もなく、ドン、という地鳴りが起こり、ウォンの氣勢が上がった。
(しまった!この距離は・・・)
リャンジエとウォンの間には、3メートルちょっとの距離ができていた。
風刃脚にはかっこうの間合いだ。
「言ったろう?お前はつまらんのだ。で、これは俺の持論だがな。いくら強くても、つまらん奴は勝負には勝てんのだ。・・・せいぜい、己の非力を呪うんだな」
ウォンの右足がぼやける。
普通の人間には・・・少なくとも、後方で寿命の縮む思いをしながら戦いを見ているパイには、ウォンの足がぼやけたようにしか見えなかった。
だが、黒鎧氣によって身体能力の全てが上昇しているリャンジエの動体視力は、その動きをはっきりと捉えていた。彼はすかさず気持ちを整理しながら、黒鎧氣を両腕に集中させる。
(落ち着けっ・・・奴の、風刃脚の弾道を読めっ。それさえ読めれば、通常の打撃と同じように・・・衝撃を真正面から受け止めるんじゃなく、側面から粘り付くように封じて、その方向をそらせばいいっ)
そしてウォンが、瞬時に3発の風刃脚を放つ。
リャンジエはその数と弾道を見切り、速さと柔らかさをギリギリのバランスで保ちながら、両腕を旋回させた。
ほぼ完璧な捌きだった。
「へえ・・・やるねえ」ウォンがリャンジエの妙技に、賞賛の笑みを浮かべる。
ウォンはリャンジエを殺さないように手加減をしていたので、捌かれてもそれほどショックではないのだ。
進行方向をそらされた風刃脚は、リャンジエの遥か後方の壁にバン、バン、バンという乾いた音を立てて激突し、もうもうと埃を舞い上がらせて壁を粉砕した。
(やっ・・・た?)風刃脚の直撃を避けてホッとしたのも束の間だった。
リャンジエは、自分の両足が地面についていないことに気付いて、愕然とした。
彼は宙を舞っていた。
捌きは確かに、ほぼ完璧だった。だがそれでもなお、風刃脚の勁力はリャンジエを後方に大きく飛ばしていた。
飛ばされただけだから、ダメージは殆んど無い。無事に足から着地もできた。
だが、その両腕に残る感触は、リャンジエの肉体よりもむしろ、精神に多大なダメージを与えていた。
(駄目だ。俺一人じゃ・・・勝てない)彼は心底からそう思った。
「化物がっ・・・」声が震えていた。
「よく言うぜ。風刃脚の3連発を捌いちまうたあ、お前も充分に化物・・・?」
上機嫌だったウォンの声と表情が一変した。
その直後に、すぐ後ろでザッ、と石畳を滑る重い音がした。
続けて「リャンジエ!ラウに、とどめを刺せえ!」というヘイユァンの叫び声が響く。
リャンジエが振り向くとすぐそこに、膝立ちで背中を丸めたラウと、その向こうにやはり膝立ちになったヘイユァンが目に映った。
(しめた!)リャンジエの心に、たちまち勝気が湧き上がる。(見たところ、ラウは半死半生だ。とどめは簡単に刺せる。それに引きかえヘイユァンは、ダメージを受けたわけじゃなさそうだ。ヒムは・・・ちっ、倒れてやがる。だが・・・とにかくここはまず、ラウを片づけてから改めて、回復したヘイユァンと組んでウォンと当たろう。そうすりゃあ何とかなる)
リャンジエは、ラウの後頭部を狙って右拳を振りかぶった。
慌てたのはウォンだ。
「あっこら、ちょっと待ておい!(・・・くそっ。この距離じゃ、風刃脚でも奴を倒し切れん。かといって、今から走って追いかけたんじゃ、先にラウの旦那にとどめを刺されちまう。何とかして、今すぐあの坊主を倒さないと・・・となると、あの技しか無いかっ・・・?)・・・え〜い、ラウの旦那!伏せろおお!」
ウォンは、ヘイユァンに負けじと大声を張り上げた。
また、少しだけ時間を戻そう。
フェイと対峙したジュンファは、他の三人と比べると、まだ冷静さを維持していた。
だからフェイとの「勝負」には、あまり執着していない。他のメンバーにも気を配り、状況次第で加勢に行くつもりだった。
そのためにも、まずはフェイの動きを封じることに専念しようと決めていた。
勿論、その中で好機さえあれば、フェイを倒す心づもりはしてある。
心が守勢一色では、足止めもできないからだ。
(さて・・・困りましたね)フェイは持ち前の観察眼で、そんなジュンファの方針を読み取っていた。
(こういう相手は、長期戦になりやすい・・・なるべく早く片づけて、ウォンさんかラウさんに加勢したいというのに)
この、フェイの攻め氣もまた、ジュンファに伝わっていた。
(ありがたいね。こいつが勝負を焦って荒い攻めをしてくれれば、付け入る隙も増えるというものだ)ジュンファはフェイの焦りを引き出そうと、自分から前へ出る。
元々が突進迎撃タイプの上に、なるべく早く決着をつけたいフェイも、勿論前へ出る。
左前の半身で構えるフェイに対して、ジュンファは正面を向いたままで、普通に歩いて間合いを詰めていた。
半身にならなければ、急所の多い正中線を敵に晒すことになるが、彼はお構いなしだった。
フェイはそんなジュンファに、僅かばかりの戸惑いを感じていた。それはちょうど、ウォンとの手合わせの時に感じたそれと、少し似ていた。
(右か、左か・・・どちらに滑り込むべきか?)
そう。ウォンもやはり半身にはならず、体の正面を向けたままで間合いを詰めてくるタイプだった。これが、半身で正中線を隠す構えを見慣れている者にとっては、軽い混乱を起こさせるのだ。
もっとも、(ウォンさんと比べれば・・・プレッシャーの桁が違う)とも、フェイは感じている。だから躊躇はせずに、素直に・・・ジュンファの胸の真ん中に向かって、左拳を放った。
銀衛氣を込めている拳だから、当たればそれで勝負あり、だ。