交渉・2
「・・・で、ここからどうするんです?ただ距離をとるだけじゃ、勝負はつきませんよ」
「心配せんでいい。そのためにこういう技もある」ムイは右手の示指と中指を伸ばしてフェイに向け、他の指を曲げて構えた。
と、何を思ったか指先を斜め上方に向け直す。
それを見たフェイは、旋風を起こしそうな勢いで振り返り、パイの方へ駆け出した。
それと同時にムイの指先から、円錐形の・・・まるで角のような・・・長さはゆうに2メートルはある黒鎧氣の塊が発射された。
フェイがパイを抱え上げ、反転してムイのほうに向き直る。
(何だかよく分からないけど、とにかく危なそうだ)と思ってフェイの首筋にしがみついたパイが、発射された黒鎧氣を目で追うと、それは先程ヨウが銅貨を打ち込んだ壁に突き刺さった。
壁は銅貨に込められた水氣で凍りつき、もろくなっていたから、その衝撃でガラガラと大きく崩れ始めた。
大小の壁の欠片がフェイとパイの頭上に降り注ぐ。
しかし、それらが地面を穿つ頃には、フェイはとっくにその場を離れてムイとの距離を縮めていた。
今は護霧が発動する境界から1メートルほど離れて立っている。
「残念だったな」ムイが歯を剥き出して笑う。指先はピタリとフェイに向けられていた。
「女を助けた上に、ここまで間合いを詰め直すとは、大した奴だ。だが『護霧』がある限り、これ以上は近寄れん。・・・しかしお前、ワシに背を向けた時に、壁ではなくて自分が撃たれたらどうしよう、とは思わんかったのか?」
「それならそれで、やりようがあります」
「ほう。そいつはどんな方法なのか、ちと興味があるが・・・取りあえずは勝負ありだ」ムイの指先に黒い霧が集まる。
「そうですね。・・・恐らく、僕の勝ちです」もう結果が分かっているかのように、フェイが呟く。
「何だと?」ムイは怒るよりも呆れていた。
むしろ、怒りを感じたのはパイだ。
「何を寝惚けたこと言ってるのよ!この状況をどう見たら、あんたが勝つっての?つまんない挑発して、あんた一人が撃たれるのは勝手だけど、その前に私を降ろして」半ば泣きながら叫ぶ。
「・・・じゃ、僕の首から手を離してください」
「分かったわよ。・・・あれ」どうやら恐怖で力が入り過ぎたらしく、筋肉が硬直して、指がフェイの首筋にくい込んだまま離れない。
「あのちょっと、ごめん。どっか点穴とかして、指の力を抜いてくれない」
「・・・もういいですよ。この際、くっついてた方が安全です」
「お前ら、ふざけるのもいい加減にしろ・・・大体お前、本気で勝つ気なのか?」さすがにムイも苛立ち始めた。
「勿論です。実はもう、一気に勝負をつけても構わなかったんですが、また聞きたいことがありまして」
「またか?鬱陶しい奴だな。」ムイは歯噛みをしたが、ふと思い直したようにニヤリと笑った。
「そうだな・・・じゃ、ついでにワシもお前に聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「・・・お前、魂と『交渉』をしたな」
「・・・よく分かりましたね」
「魂と交渉」と聞いて、パイはまた驚いた。しかし、同時に納得もしていた。(こいつなら、そのぐらいするかもしれない)
人間の能力や技術は、基本的には才能と努力によって形成され、伸びていくものだ。
だが自分自身の内面を深く掘り下げ、魂のレベルまで到達すれば、元々持っている才能の質や量、得手不得手までの調整が可能になる。
これが「魂との交渉」だ。
勿論、魂と対話すること自体が非常に高度な精神性を必要とするから、誰にでもできるわけではない。
そこに至るマニュアルもない。本人の工夫に頼るしかない。
しかも交渉を成立させるには、引き換えとして何らかの「交換条件」が必要となる。そして、一度交渉に成功した人間には、二度目の交渉の機会は無い。
かつて魂との交渉を試みて、自己の内面に埋没したまま戻れなくなった者や、自ら提示した交換条件に翻弄され、廃人となった者は数知れない。
しかし、ひとたび交渉が成立すればその瞬間に、才能の有無や努力だけでは超えられない壁など、そんなものを遥かに超越した次元での能力が手に入るのだ。
ムイは指先をフェイに向けたまま続けた。「お前は、その女の腕を氣だけで繋げよった。おそらく特級の白仙なんだろう。そのお前が、これだけ高い戦闘能力を持っているというのは、どう考えても不自然だ。・・・まあ、体術や点穴に関しては、医術の応用と考えられなくもない。だがヨウをぶちのめした、あの攻撃力は別格だ。魂と交渉でもしない限り、白仙が持てるような力じゃあない。その銀色の髪と目は、交渉で生じた無理が具現化したのもだ。違うか?」
「その通りです」
「ふん。ついでだから言わせてもらおうか・・・ワシは、お前がその女の額に点穴するのを見て・・・お前の髪と目が銀色になったのは、その後だったからな・・・お前が交渉に使った交換条件は、その女に関係あると見てな。その女と離れ過ぎると、髪と目の色が戻ったしな。で、試しに壁を撃ってみた。直接お前を撃たなかったのは、撃ってもお前なら避けかねんからだ。まあ、あの状況でお前が避ければ、女の方に当たっていたろうが・・・もし、『女が死んだ場合、本人にも制御不能なほど攻撃力が暴走する』なんてえ条件だったら、厄介だしな。・・・で、思った通り、お前はその女を助けた。つまり、お前のその異常な攻撃力の元は、その女ってことだ」
「・・・人として見殺しにはできなかったから、とは考えないんですか?」
「ちょっとは考えたな。だが、それはどちらでも構わん。つまり、お前はその女を見捨てられんということだ。・・・で、いかにお前といえど、その女を抱えたままで『閃飛角』は避けられん。一発二発はともかく、連射していればそのうち当たる。どうせなら、もっと小柄な女を選ぶんだったな」
「うるさい。デカい女で悪かったわね」既にパイは自分を見失っている。
「大丈夫ですよ、パイさん。避ける必要なんてありません」フェイが平然と言う。
「・・・ちょっと、それどういう意味よ。まさかあんた、私を盾にしようってんじゃないでしょうね(そういえば、警備隊の信条は『弱い者の盾となるべし』だったな・・・ああああ嫌だ、そんなのイヤ!)」
「だからお前ら、ふざけるのもいい加減にしろ・・・いいか、その女がたとえ倍の大きさでも、閃飛角の盾になんぞなりゃあせん。壁に刺さって崩れるのを見たろうが。こいつはな、先端への勁力の集中で、貫通性能に特化しとるんだ。二人まとめてバラバラにできるわ」
「なら、試してみればどうです」フェイはパイを左腕だけで抱え直し、右拳を握った。
「言われんでもそうするわい」
「待った!分かったから、私が離れるまで待って!撃つんならこいつだけにして!」
「・・・もう遅い」
閃飛角が撃ち出された。フェイは避けようとしない。
(うわっ・・・死ぬのって、痛いのかな・・・いや、これなら一瞬だから痛くないかな・・・でもやっぱり死にたくないー!)まとまらない思考の底で、パイはフェイと契約したことを激しく後悔していた。