72 夢見たものは一つの・・・
「今すぐ、ショーゴくんを神樹の洞へ」
体の下にいくつもの手が入れられ、数人がかりで抱え上げられたようだ。
ホルーゴの声は冷静に聞こえるけれど、ウゴには長い付き合いから、焦っているのが分かった。
ウゴは(オレ、そんなにヤバいのか?)と不安になってから。
どこもかしこも痛んで、指一本すら動かせないのは確かに不味いなと、溜息をつこうとする。
が、それすらもできない。
なんとかグギギギ…と錆びついた音がしそうな視線を動かしてみれば、いつのまに呼び集められたのか、数人の森人族が金糸の髪を風に揺らしながら、ウゴを抱えてくれていた。
全員が白い顔をさらに白くしている。
そんなに不安そうな顔しないでも大丈夫だ、と言いたいのに声が出ない。
「ショーゴくん、しばらく休みなさい。
全ては落ち着いてから」
ホルーゴの穏やかな声は、心からの心配に満ちていた。
ウゴ本人は無理をしたつもりがなかっただけに、取り込んだ神パワーでラリッて、おかしくなっちゃった☆せいで、カミュに『猛反省の串刺し刑』にされました!と、言い出しにくかった。
ウゴは異世界の勇者の魂やサカグチ、ホールスがいる洞の中へと運ばれた。
ここは世界の神気が濃密に満ちているため、森人族でさえ長時間はいられない。
ホルーゴに言われるがままに置いていったが、ホールスやサカグチ達が分解しないように、世界は守ってくれたらしい。
世界が、ウゴのためにそうしてくれたのか?は知らないが。
昏睡状態のサカグチの肉体の中に、確かにホールスの気配を感じて、ウゴは安堵の息をついた。
そして、意識はまどろみの中に溶けていった。
気がつけば、ウゴはホールス、ルムスに抱きつかれていた。
右も左も、頰も腕も、温かくて柔らかい。
ホールスもルムスも、少年のウゴより頭一つ少し背が高い。
つまり、左右から2人分の胸につぶされていた。
「………え?」
ウゴが、ナニコレ?と顔を引きつらせて、逃げようとすると。
ミシリと関節が軋む音と、痛みが全身に走った。
慌てて自らの体を見下ろせば、それは[神]ではなく、中学校の制服を着た15歳当時の体だった。
これではホールスはともかく、ルムスからは逃げられない。
「ショーゴ、分かってるでしょ?」
「御主人様、分かっておりますよね?」
「な、何の話?」
ウゴには、自分が女性にもてはやされるという経験がない。
2人に抱きつかれ、どうしたらいいか、単純に分からなかった。
頰とか腕に当たる感触が!とか堪能するよりも、とにかく逃げ出す事しか、考えられない。
「ショーゴ、ルムスちゃんはショーゴの眷族でしょ、眷族は家族も同然、つまり………」
「御主人様、我は御主人様の意のみに従います、ですから………」
2人に同時に話しかけられて、何を言われているのか聞き取れない。
「オレにどうしろって言うんだよ!?」
ウゴは耳を塞いで大声で叫んだ。
ー…てくれる者を…ー
気がついて飛び起きると、そこは神樹の洞の中だった。
ウゴだけが、そこにいた。
勇者の魂の欠片も、サカグチ=ホールスもいない。
「…え?!
ホ、ホールス?ホールス!!」
ウゴが慌てて洞から走りでると、きらりと金の輝きがウゴの目に届いた。
そこに、金糸の髪と淡い新緑の瞳の、愛おしい人がいた。
ホールス、と声をかけようとして、そのすぐ横にいる人影に気がつく。
ツヤツヤと光を反射しているのは、金と銀の混ざった長い髪。
少し眠たそうに細められているのは、金と銀のオッドアイ。
理想的なお椀型の双丘が、レースのように薄い布越しに透けて見えた。
ホールスは、ルムスと一緒に、ツリーハウスのテラスに並べられたデッキチェアで、穏やかな日射しを浴びながら、日光浴をしていた。
2人とも、レースのような薄い布を巻いただけの、ほとんど半裸の状態で。
そう半裸だ…半裸?!
「ショーゴ、やっと起きたの?」
「御主人様、ようやく起きられたのですね」
「お、お、おは…」
ウゴはルムスの恰好を見るなり、2人に気付かれる前に逃げようとしたが、声をかけられて立ち止まるしかなかった。
顔が熱い!とウゴはぎゅっと目を閉じた。
15歳になんてもん見せるんだ!と。
目のやり場に困って、首まで真っ赤になっているウゴを、不思議そうな顔で見つめる2人。
いや、1人と1頭。
…ルムスが、ポメトラム大森林に?
旧知のフェムトですら、ホルーゴ父さんの許可なく入ってはいけないのに?
しかも日光浴?
昼も、夜と変わらぬ暗さのポメトラム大森林で?
その上、ウゴは自分の反応さえもおかしいと気がつく。
普段のウゴは、枯れている。
枯れているというより、[神]になった弊害なのか、色々な事に鈍くなっている。
……これも、夢だ!
ー……を分け与えてくれる者を、探してー
『やめろっ!!!』
目を開くと、ウゴは神樹の洞で転がっていた。
夢?
神になってから、夢を見た事などなかったのに。
ウゴの周りには異世界の勇者の欠片、半分の…………。
「……」
「ショーゴ、愛してる。
貴方を、あるがままに」
ー…の失われた半分を埋められる、魂を分け与えてくれる者を探し…ー
ウゴは確たる意思を持たないはずの「世界」の声を始めて聞いた。
歌うような微かな助言を。
世界は、本当にお節介なのだな、とウゴは思って。
これも夢だと知りながら、目の前のホールスを抱きしめた。
なめらかな金の髪、華奢な身体、森の中にいるような爽やかで優しい香り。
涙が止まらない。
世界に、感謝を。
心から。
田中将吾を召喚したどこかの集団は、スキル:ステータス開示?を使ったのか、とにかく、将吾が言葉すら通じない大外れだと知るなり、森に捨てた。
ナニかに襲われて、腹から内蔵が出た瀕死の状態(エサ寸前)で、森を見回っていたホールスに助けられた、らしい。
将吾が気がついた時には、ホールスに守られていた。
産まれて始めて、激痛と出血多量で動かない体に、現実逃避と吐いたり泣いたりを繰り返した。
傷がようやく完治した後、ポメトラム大森林までフォコに乗せられ……フォコ騎乗のスキルがなく、死にかけた。
左右に揺さぶられて酔って、何回も吐いた。
到着した大森林で、森人族全員に言葉や習慣、常識を教えてもらいながら、毎日木の枝で叩きのめされた。
大森林にアーガスが私用で来て、ホルーゴの紹介だからと言い、全身の骨を殴打で折られた。
治されて、もっと強くなれるように、森を出ろと言われた。
ホールスとアーガスに連れられていった竜の谷で、フェルガスラムトに会って、そこで全ステータス開示を受けて、大外れ勇者だと始めて知った。
魔王を倒さなくては帰れない。
竜の谷で、そういう伝承があると教わる。
帰りたかった。
だから、命がけでレベリングをした。
妹が待っているから。
亜美だけが、将吾を必要としてくれるから。
何度も死にかけた。
精一杯できる事をした。
でも、文明の発達した世界で生活していた15歳は、何もできなかった。
貧弱すぎて、荷物持ちどころか臭くて硬くて重い革鎧を着て、ついていくのすらやっと。
スキルが取得できずフォコに乗れないので、1人でウルトラマラソン状態で死にかける。
旅生活で必要な事がほとんどできない。
戦えない。
それなのに、ホールスは一度も将吾を役立たず扱いしなかった。
役立たずの勇者タナカ、ではなく、いつも将吾として扱ってくれた。
気がついたら、好きになっていた。
帰れないかもしれない、と時が経つにつれて思うようになり。
妹の顔も思い出せなくなっていく。
疲れて、ホールスに「もう帰れなくても良い、やめたい」と言った。
仲間に捨てられて、死ぬ覚悟で。
すると、訓練とは違う強さで、頰をはたかれて、ホールスに泣かれた。
「魔王を全部討ち果たせたら「恋人」にでもなんにでもなるから!
ショーゴ、あなたが、あなたである事を否定しないで!」
将吾は自分が不様で滑稽で、泣きながら笑った。
想いを知られていたことを。
知っていて、知らないフリをしていてくれたのだと知る。
深すぎるつながりになって、この世界に未練を残しては帰れなくなる、と。
気を使ってくれていたと知った。
世界の見守りの森人族であり、聖女だからではなく。
ホールス・ヘレヴァラディ・ニムロとして、田中将吾を守ってくれていた。
[名もなき神]になった青年は、ホールスと世界から、とても大切なモノをもらった。
それは、田中将吾がずっと欲しかったもの。
母からも父からも、もらえなかったもの。
生きていてくれて、ありがとう。
産まれてきてくれて、ありがとう。
あなたの存在の、全てを愛している。
そんな、根源的な愛。
言い訳も理屈も理由も必要ない、無償の愛。
田中将吾、いや、[名もなき神]は在り続ける。
ホールスを取り戻して、ホールスと共に、この世界で生きるために。
心臓が動いていないとか、血が出ないとか、生物学的に生きているか?は、別として。
今度こそ目が覚めて、ウゴは洞の中で死んだように横たわっているサカグチ=ホールスへ、キスを落とす。
血の気のない青白い頰へ。
「もう少し、待っていてくれ」
洞を後にすると、森がざわめいた。
もう、多くのことが手に取るようにわかるのだな、とウゴは苦笑した。
「ショーゴくん、もう大丈夫なのかな?」
「迷惑をかけた。
どれだけ寝ていた?」
ウゴの受け答えを聞いて、ホルーゴは目を見張る。
これまでのウゴとの差異に、違和感を覚えて。
これまでのウゴはどうしても、ホールスの実父で、借りばかりのホルーゴに頭が上がらなかった。
尊敬して敬愛して、勝手に劣等感を持っていた。
だが、今のウゴは、もう創造神と同等、いやそれ以上の力をもっている。
劣等感も捨ててしまった。
ホルーゴ相手に、ホールスを奪った事を申し訳ない、と思っても、それをくよくよと悔やみ続ける事ができない。
「ちょうど3ヶ月。
メイナリーゼとナナは、仕事を手伝ってくれているけれど、呼ぶかい?」
「いいや、必要ない。
ただ伝言だけ、ユウマとダイスケに会いに行ってくる、と」
「分かった……気をつけて。
今のショーゴくんには、必要ないだろうけど」
ホルーゴの溜息混じりの言葉に、ウゴは口元を微かに歪める。
今までは面倒くさがりで怠惰にしか見えないその笑みだったが、ホルーゴは笑みに含まれる複雑な感情を、明確に察した。
「嬉しいですよ、貴方様がいてくださることが。
私も、世界も、いや、恐らくだが貴方の存在を感じている全ての命が、貴方を望んでいる」
「買いかぶり過ぎだ。
いってくる」
言葉と共にウゴは消えた。
だが、ホルーゴは聞こえていないと知りながら、ぽつりと呟いた。
「…最も高位の神になられたのですね」




