01 第一の使徒
500年の昔。
王は終わらない嘆きの中で、救いを求めていた。
自分を助けてほしいのではない、すべてを助けてほしいのだ。
それが、どれだけ欲深く道理をわきまえない望みか、よく知っていても、望みを諦められなかった。
「どうか、どうかお助けください、この身がどうなっても構いません!
神よ、どうかお救いください…」
何日も満足に食べていない、憔悴しきって立つことも難しい体で、王はただ助けを乞う。
王が籠る神殿の外では、最後まで王に付き従ってくれた兵士達が戦っている。
ここにいるのは、王、ただ一人。
勝ち目はない、すぐに王も捕らえられて殺されるだろう。
もう他に手がない、自分の選んだ道は間違っていたのか、と王が絶望に屈しかけたその時。
「お前の望みを聞いてやる」
神がその場に降りたった。
王には、それが神だとすぐに分かった。
どこからどう見ても、ただの魔人族?の少年にしか見えないのに、…なぜか少年に見えなかった。
その姿には絵画のような後光はない、荘厳な雰囲気も纏っていない。
始めからそこにいたと言われれば、納得してしまうごく普通の少年。
しかしそれこそが、王の求めていた神[弱者の神]だと分かった。
「民を、我が民をお救いください」
王は身を投げ出して神に嘆願する。
冷たい床が残り少ない力を奪い、じんじんと膝や肘が痛む。
「お前は?」
神に意見を言ってよいのか?と悩む王に、再び緊張感のない神の声が降り注ぐ。
「お前は殺されてもかまわないのか?」
王は神の言葉に歓喜を隠せなかった。
自分は間違っていなかった、信じるべき相手を間違えなかった!と、歓喜に震えた。
神は「民を救ってほしい」という願いを否定しなかった。
できるのだ、返答次第かもしれないが、神は願いを叶える力を持っている!と王は自然とあふれる涙を拭おうともしなかった。
「わたしは民を守れませんでした。
御心に適いますれば、民を、ただ民をお助け下さい」
今この国は侵略され、文字通り臣民の命まで奪われている。
力なき国であり、力なき王であるがために。
「…お前の願い、弱者の神が叶えてやる」
フッと周囲の音が静まり返り、王は時が止まったのか?と錯覚した。
「顔を上げろ」
がくがく震える体を叱咤して、王はなんとか顔を上げて、神の黒瞳を見た。
涙が止まらずにすべてがぼやけ、全身がばらばらになりそうに震えている。
怖い、魂が神を畏怖している。
「カルマト王国の王、スヴェラ・メルガトス・カルマト、臣民を思うお前の魂は穢れていない。
民を救う代わりに誰かが痛みを背負う必要がある、おまえに覚悟はあるか?」
少年は淡々と無表情で言葉を紡ぐ、緊張感の欠片も感じさせないまま。
「覚悟…とは」
「この先、お前の魂は三度の人生において、苦難多き道を歩む。
ただし三度の人生において魂を穢さなければ、人を救える力を与えてやる。
このままじゃ、悔しいだろう?」
三度の人生…をと王は即答できない自分をもどかしく思った。
小国の王としての人生は、62歳まで生きても、決して幸福なものではなかった。
「例えばだが、産まれてすぐ捨てられ、暴力や略奪に怯えて、恒常的な飢えに苦しみながら育ち、他者に食い物にされながら、病で苦しみ抜いて死ぬ運命、とか」
神の言葉に、カルマト王は己の願いの欲深さと重みを思い知る。
人でも善意で動く者は少ないのに、神に何かを望むのであれば、代償が存在しない訳がない。
小国とはいえ、数万人の命を救ってくれる、虐殺から助けてくれると神は言う。
たった三度の人生で、命をあがなえるのならば……断る必要はない。
「どうか、この愚か者の望みを叶えて下さい」
頭を床にこすりつけようとする王の肩に、細い手が触れた。
「お前の魂に命をあたえる、死すべき時に思い出し、己の宿命を知るように『フーガ』」
直後、神殿の扉は破られ、カルマト王は捕らえられた。
神の姿はすでになく、王は夢、自分の望みが見せた幻かと悲しみに呻く。
「オレの元に来るのを、楽しみに待っているぞ」
敵国の兵士達に紛れるように、穏やかな表情を浮かべた少年が笑っていた。
日射しも光も、一切の光を反射しない黒髪と黒瞳は、喜びに和らいでいた、ように見えた。
カルマト王の魂、使徒見習いフーガは苦難の中で、喜びに満ちた最期を遂げ、次なる苦難の人生へと進んでいった。
ふっと目が覚めた。
なんとも…なつかしい夢を見た、と男の顔がほころぶ。
男の魂の名はフーガ。
フーガにとって敬愛し、平伏し、命令されれば、命とて差しだせる主の夢は、他にない幸福感を与えてくれる。
あの時は気がつく余裕もなかったが、[弱者の神]は、とても面倒くさがりで、怠惰な引きこもりだ。
その、面倒くさがりで怠惰で、引きこもりの神に見いだされた自分は、なかなかの傑物かもしれない、とフーガの顔がにやけた。
「おはようございます、グラナガン様」
「ああ、おはよう、アーメス」
フーガが弱者の神に出会い、かりそめの使徒となってから500年。
現在は第一使徒である「フーガ」は、大陸最大の国土を持つ、ハンバ王国の宮廷魔法使いをしている。
カルマトの民を救う代わりに受け入れた、3代の試練を経て、フーガは[名も無き神]、通称[弱者の神]の真の使徒となった。
今のフーガのなすべきことは、引きこもりで滅多に接触してこない主に代わって、ハンバ王国内の貧困や犯罪に巻き込まれる、立場の弱い者を保護して道を示すことである。
ここ十年は何の指示もないが、主も満足している?のだろう。
大体、主が外に出てくると、ろくなことが無いとフーガは思い返した。
「グラナガン様?」
フーガがぼんやりしているので、と心配になったのか、側にいた下女のアーメスが顔を覗き込んできた。
「いやいやアーメス、そんな困った老人を見るような目で見ないでくれ。
懐かしい夢を見ただけだよ」
フーガの今の体は、まだ45歳だ。
宮廷魔法使いとしても、若い、に違いない。
「クスクス、良い夢だったんですか?」
「そうだな、良い夢だった」
20歳になったばかりのアーメスは、時折子供っぽい表情を浮かべるが、気遣いのうまい子だ。
宮廷魔法使いという肩書きを持つ以上、側に召使いを置く必然性があり、見ず知らずの他人には頼みづらいので、と現在の体アーベス・グラナガン男爵の、姪にあたるアーメス・フリマスに、下女を頼んでいた。
父親のベールス・フリマスは、アーベスの兄にあたる平民で、今日このときも故郷の村で、畑を耕しているだろう。
肩書きは召使いだが、2人の時は叔父と姪だ。
赤ん坊の頃から知っているので、大変気安い。
アーメスはグラナガンの正体は知らないが、彼女もまた多くの平民と同じように[弱者の神]の信者であった。
まぁ、[弱者の神]教に敬虔な信者などいない。
と、内情を知っているだけに、グラナガンはぐだぐだの教義を思い出す。
突然、時が止まった。
「主様!」
フーガは跪き、突然眼前に現れた少年に礼を尽くす。
心の中では様々な思惑が流れている。
主の引きこもりでやる気のない性格から考えて、わざわざ現れたということは、何かものすごい良くないことが起きている!と。
そして、思い当たることが一つある。
先日の周辺諸国における議題で、支援物資を送る、と決定がされていたはずの案件だ。
面倒くさがりな[弱者の神]が唯一すること…。
助けを求め、救いを求める者に、手を差し伸べること。
つまり、そのためにしか、神は動かない。
弱者の神教の唯一の教義は「他者を救いて、己を救え」だ。
主曰く「一日一善」とか、「情けは人のためならず」とか、フーガの知らない事を言っていた。
他にも宗教として守る決まりはいくつか「迫害しない」とか「権力ダメ」とかあるが、信者レベルで知られているのは一つだけだ。
改宗も簡単にできる。
金もなく、身分もない者達を救ってくれる神ということで、誰かが言い出した[弱者の神]という名前が一人歩きしてしまった。
主はそれを狂信者や、権力に使われないように、ちょっと手を加えたにすぎない。
主は崇め奉られると「オマエ死ぬか?」と言いそうな嫌悪の表情を浮かべる。
使徒になって人となりを知れば知るほど、主が宗教を作ったとは考えられなくなったフーガが聞くと、「いつの間にか宗教扱いになってた」らしい。
「悪いなフーガ、お楽しみか?」
「この娘はグラナガンの姪のアーメス嬢ですよ」
「ふーん」
「御用はなんでしょうか」
「ルムスの報告にあった、エストウラの大飢饉の詳細を教えてくれ。
竜は良くも悪くも大雑把すぎてな」
「畏まりました、一時ほどいただきます」
「頼む」
フーガに頼らなくても、主自身で情報を集められるはずだが、頼られて嬉しくないはずがない。
やる時は、一人も漏らさずに救うのが主だと、フーガは緩む頰を引き締めた。
こっそり執務室に入り、適当に周辺諸国の報告書を漁っているフーガを、執務官が見つけた。
「グラナガン卿?何か御用ですか?」
普段、王宮魔法使いとして、執務には関わっていないので、ものすごくいぶかしむ口調で問われ、フーガは適当に水を濁した。
ハンバ王国はエストウラからは離れている。
大陸中央部のエストウラ王国は、交易はあれども旨味のない中くらいの国だ。
大陸最南端のハンバ、しかも王都からは馬車を乗り換えて、どれだけ急いでも一月以上かかる。
サイズだけは大国のハンバにも、飢饉の情報は入ってきていたが、詳しくは分からなかった。
主が動くのだ。
よほどのことが起きているのだろう、とフーガは胸を痛める。
もっと、世界の人々を守る力があれば…だがそれは人の身で扱いきれるものではない。
今は主様のために、できることをしよう、と足早に自室へと急いだ。
「主様、おられますか?」
自室に戻ったフーガは、主が何故か客人として、アーメスと話しているのを見てしまった。
どばっと、文字通り滝のように噴き出した汗を袖で拭い、絶対にグラナガンとして!振るまわねば、とアーメスとなぜか機嫌の良いっぽい主を見比べる。
「戻ったよ、アーメス」
「お帰りなさいませ、お客様がお待ちでございますよ」
「こんにちはグラナガン卿、覚えておられますか?
ウゴです」
どこにでもありそうな茶色のローブを纏い、フードを目深にかぶっているせいで、光を吸う髪と瞳は隠れている。
どっからどう見ても主様にしか見えないとしても。
「…ええ、覚えておりますよ」
苦虫をかみつぶしたような表情は、もう変えようがない。
何してんですか!!と叫びたいのを堪えて、フーガは努めて平静を装う。
しかし。
「アーメスさんは、グラナガン卿に似ておいでですね」
「ええ、わたしは姪にあたりますから」
とか、アーメスに向かってにやにやしながら話をふる主に、イラッとしたのが、顔に出てしまったらしい。
「どうかなさいましたか?」
心配そうにフーガを伺うアーメス。
「ひどい汗ですよ、お休みになられた方がよろしいのでは?」
なんて心配されているのを見て、声を出さずに笑う主に、花瓶でも投げつけてやりたい、と心から思った。