32 鈍感じゃない、未経験なだけです
金銀の竜王ルウォルフェムスは、恋の季節が大ッキライだった。
「我と子を…ガペっ」
「我の…ふぐぁ」
「我…ぐぁあああっっっ」
「わ…ひにゃああああ」
繁殖可能な年齢になるやいなや、弱いくせに羽虫のようにたかってくるオスども。
メスであるルムスが、拳を一回振り抜く衝撃にも耐えられない、脆弱で頼りないオスばかり。
そんな奴等の相手をしなくてはいけない、この時期が大嫌いだった。
亡くなった母から、ナコガ領の竜長を受け継いだ父は、現竜王筆頭のルムスより弱い。
父親は竜族には珍しい温厚な竜で、若いルムスが長を継ぐ経験を得るまで、と代理で長をしてくれている。
弱いと言ったが、八大竜王よりという意味で、まったく戦えないわけではない…と思う。
ルムスは父が戦う姿を見た事がない。
…父の事を嫌っているわけではない。
…里の竜達は父を優れた長として認めている。
それでも。
それでも、ルムスは「そろそろ相手を考えたらどうかな?」と聞いてくる父に反抗してしまう。
先代の筆頭竜王であった母親が、自分より弱いオス竜、ボルフェルームアを番に選んだせいで、ルムスにもそれを期待するオスに囲まれる。
反吐がでる。
ルムスは、絶対に自分より弱いオスと番う気などない。
ただし、御主人様は別だ。
でも、もしも御主人様が自分よりも弱かったら……?
…それでも、きっと、御主人様なら…特別になるだろう。
御主人様を失うなんて、考えられないから。
御主人様に会いたい。
でも、用もないのに会いにいくなんてできない。
また出入り禁止になったらと思うと。
御主人様は、今、どこに?
そんなストレスの溜まっている、さらに恋の季節中のルムスの前に、黒服のウゴが突然現れた。
ルムスを基点にして跳んできたのだ。
「ご、御主人様っ!!?」
ルムスは、不意に目の前に現れたウゴを、自分の欲求不満による幻?と思い込んでしまう。
基本的に出不精なウゴが、突然来るはずがないと思ったのだ。
突然呼び出されるのは、ありえるけれど。
幻だと思ったから、大胆になった。
「お、ルムス。
あのな………はっ?」
突然の事にウゴは固まっていた。
「御主人様、御主人様〜」
気がつけば、戦う意思を持たずに寄ってきたルムスに、ぎゅっと抱きしめられていた。
ちなみに少年のウゴよりも、ルムスの方が20センチ程背が高いため、ウゴの顔面はむぎゅっと押しあてられていた。
やわらかくて、温かい双丘に。
「る、ルムスっ?!
ちょっ、離せっ」
「はぅ、御主人様〜」
ルムスに戦闘意思を感じなかったので、デコピンも『緊縛』も間に合わなかった。
ウゴには、そこにいるだけの相手を縛りあげる趣味はない。
これは、デコピン案件か?とウゴが困っている間も、ルムスは幸せです!離したくない〜、と腕に力を込める。
呼吸はしていないので苦しくはないが、むにむにと押しあてられる圧に、ウゴは軽くパニックになっていた。
これは、いまだかつて未経験!な事案。
人であった頃も、神になってからは特に、こんな事態に遭遇する事がなかった。
枯れている?から、反応はしないが。
「はぅ〜、御主人様、御主人様〜ぁ」
パニックに陥る抱き枕状態のウゴを、ルムスはうっとりとした表情で、ぐりぐりぐりぐりし続ける。
ウゴはむにむにむにむにされ続ける。
「ル、ルムスっ!」
これは…天国なのか!?
いやいや、違うだろっ!!!
と、ウゴがようやく正気を取り戻した時。
「ルムス……何を、しているのかな?」
「あれ…父様?」
ボーアのあきれたような声音に、ルムスはやっと桃色世界から帰還を果たしたらしい。
立ち尽くすボーアを見て。
それから、自分の腕の中を見ると。
…ウゴがつぶれた谷間から上目遣いにルムスを見ていた。
「ル…」
「あ………きゃあああっっっっ!?!?!?」
うわ、こいつでも、女の子な悲鳴をあげるのか、とウゴが思った時には、ルムスは消えていた。
音速の壁を超えて、衝撃波で周囲の木をなぎ倒しながら逃げていった。
人の姿を維持したままで。
さすがは竜王筆頭。
その破壊力はハーバラよりもスゴかった。
「御主人様…一体何が?」
若干顔をひきつらせたボーアに問われ、ウゴは首を振る。
「分からん」
押しあてられていた、ふわりと柔らかくて弾力があって温かい感触に、ツチノコなのに…と複雑な気持ちを覚えた。
ツチノコなんだよ、そう、ツチノコだ!
その後、しばらく待っていたが、ルムスが戻ってこなかったので、ウゴはボーアに伝言を頼む事にした。
人の世界に滞在するから、用があるときもツチノコで降ってくるな、と。
ルムスへのピンポイントすぎる伝言に、ボーアは苦笑いを浮かべていた。
色々思う所はあるのだろうが、何も言ってこない。
ウゴもルムスに関して、何も言わなかった。
言えなかった。
「じゃあな、また気が向いたら」
「はい、御主人様。
我等の変わらぬ忠義を」
「…重いんだよ」
いつも通りのウゴの言葉ににこりと笑い、ボーアはロマンスグレーに相応しい、仕事できるオジサマ!な態度で見送った。
銀の髪と瞳が似合うイケメンで、竜の中では珍しい穏健派。
直接対峙した事はないが、策を弄する文官タイプだからこそ、敵に回したくない。
あきれたように肩をすくめてみせてから、ウゴは跳んだ
艶めく歌声が、揺れる蝋燭とランプの灯りに照らされた中を漂っている。
酒場には、宵にはまだ早いものの、多くの客がつめかけていた。
冒険者や傭兵、一般の町民や職人までが出揃う中、今夜のお目当ては、冒険者協同組合の組合員、ソロ女吟遊詩人ルシェ・ベラルだ。
ルシェは傾国の美女でありながら、決して他者と馴れ合わない、吟遊詩人。
その歌声は、天上の音楽を思わせる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
酒場の高く作られた天井のおかげで、その歌声はいつまでも柔らかく、あまやかな余韻を残して消えていった。
「…ありがとう、みなさま」
吟遊詩人ルシェが、8本弦の楽器「ジャビン」をシャラリと掻きならして、最後に優雅にお辞儀をすると、それまで歌声と楽器の音しか存在しなかった店内に、ワッと歓声と喧噪が戻った。
ちらちらとルシェの方を伺う視線はあるのだが、騒ぎになるのが分かっているため、手を出せない。
「仕事中のルシェ・ベラルに近寄るな」というのが、近隣の町の組合員の常識だった。
愚かな誰かが話しかけようとすれば、最後には乱闘になる。
なぜか、そうなる。
ルシェ自身は一切、乱闘に加担しないのに。
酒場の雰囲気のせいなのか、ルシェの美貌のせいなのか、なぜかそうなってしまう。
うっとりとしていた酔客達も、時間差で魅了から立ち直ったのか、再び木製のカップを煽りだす。
ルシェも無事に演奏が終わって一息つくと、自分の前に置かれているカップを手にとった。
…空だ。
もう一杯頼まなくては、と手を上げかけた所で、気がついた。
自分の周囲を渦巻く、身悶えするほど愛おしく、苛烈で強烈な力に。
下腹部がズキリと甘くしぼられるように痛んだ。
「…主様?」
歌うように囁いた震える声に応えるように、コトリと、テーブルの上に果実酒のカップが2つ置かれる。
「====」
周囲には聞き取れない名前を呼び、音もなく対面に座ってくるのは、えんじのローブの小柄な人物。
「…………………っ」
ルシェは襲いくる甘い痛みに、無表情で悶えながら、それでも微動だにしないで耐えた。
歓喜の余りの醜態を見せるのは恥ずかしい。
緩やかなウェーブがかかった深緑色の髪の毛を、何気ない仕草で掻きあげて耳にかけてから、ルシェ・ベラル=マーキンはフードの中の暗がりをジッと見つめた。
そこに、愛おしい尊顔が見えるのでは?と期待して。
しかしルシェ=マーキンのいる場から光源が遠く、暗くて見えないせいで、悔しい!と唇を噛みそうになる。
「どのような御用でしょうか?」
気を取り直して、普段以上に意識して、艶っぽい声を出してみる。
どうせ、周りには聞こえていない。
今、ここには股間を押さえて悶える一般人はいない。
いつのまにか周囲には神気による、不干渉の障壁が張られていた。
もう御仕えして400年ほどになるが、直に話しかけられたら失神しそうなほど、神に魅了されている。
気がつかれないように、気をつけなくては。
[名も無き神]様は、崇め奉られるのが、お嫌いだからと、マーキンは笑みを深めた。
周囲に張られた障壁には[名も無き神]より神気を譲渡されているからこそ、気がついたけれど。
一般の人々には、今のマーキンはどう見えているのだろう?
内心では身悶えしていることが、バレていないだろうか。
マーキンは前回の突然の招集に続き、会いに来てくださるなんて…と歓喜に打ち震える心を叱咤した。
今、ローブに手を伸ばし、甘えて口づけをねだったら、応えてくださるだろうか?
蕩けるような艶冶な笑みと、数多の男を疼かせる声音で問うたら、分かってくださるだろうか?
答えは否だ。
主様は、理由は不明だが、向けられる行為にひどく鈍い。
マーキンは、心の中だけで己の問いを完結させる。
……正攻法ではムリ、搦め手から、いかなくては!と気合を入れた。
マーキンは何代か前の人生で「勇者」の仲間として過ごした事がある。
その時に[名も無き神]と接触する機会があり、そこでスキルを得て、無表情を簡単に維持できるようになったのは、本当に助かった。
このスキルが入手できていなければ、[名も無き神]の使徒として、行動できていなかっただろう。
主の、[名も無き神]の側にいるだけで、絶頂寸前なんて…バレたら困る。
「あー、あのな、ちょっと、助けてもらいたいんだ」
「…………えっ?」
予想外の方向からやってきた言葉に、無表情が崩れた。
スキルの効果を上回るなんて、恐ろしい主様!とマーキンは心の中で身悶える。
頰が緩むのを必死で堪えて、マーキンは色っぽく首を傾げた。
わざとうなじが見えるように。
髪が波打ち、蝋燭の灯りにきらめくように。
「…わたくしごときにできる事でしたら、何なりとお申し付けくださいませ」
あざといくらい、色気を前面に押し出した。
ここで微笑む事ができれば良いのだが、油断すると微笑みではなく色々と見せられない表情になってしまう。
すぐ側にいるだけで、[神]の御力を感じてとけてしまいそうなのだ。
「そっか、助かる」
…暖簾に腕押し、ぬかに釘ィ!
唐変木の朴念仁ッ!
何も気付いていないような、素っ気ない[神]の態度に、以前に教わった異世界のことわざ?を思い出す。
どうしてこうも気づいてくれないっ!?
[名も無き神]は外見が子供に近いから、中身も子供なのだろうか?
マーキンは転生のたびに、使徒としての能力だけでなく外見も磨きあげ、性別に関係なく迫ってみるのに、[神]は一度も反応してくれたことがない。
…全てが[名も無き神]の為に磨きあげたものなのに。
普段から近寄ってくる雑魚を振り払い、同性からの妬みをモノともせず、ソロを続けているのは、全部主様のためなのに…。
神だから人には何も感じないのかな…とちょっとしょげてしまう。
今現在の人生、ルシェ・ベラルは、かなり容姿レベルが高い!とマーキン自身は思っている。
主様に「わたくしは美しいですか?」なんて聞いたら、絶対に、会いにきてくれなくなるけれど。
迫ると逃げる確信があるから、マーキンはこっそり牙を研いで、待っている。
いつか、主様をモノにしてみせる、と。




