08 トラウマは、なかなか忘れられない
子供達に服を引かれ、背中を押されながら、逆らわずに歩いていくと、色とりどりの天幕が張られた市場が見えてきた。
食べ物の匂いや、威勢の良い物売りの声が響いて、喧噪に満ちている。
炊きだし中には無かった、おそらくこれが本来の姿だ。
無事に市場も再開されたらしい。
市場の中央には、その場で食事ができるように、とテーブルや椅子が並べられているのだが。
その一角が、宴席の準備になっていた。
「ウゴ様あぁぁああぁぁぁあああっっ!!」
ずべらしゅばぁぁぁぁぁぁぁっ!!と久しぶりのスライディングを決めたソバンが、…いや、他にも何人かやってるぞ…。
変な事はやらせるなよ、とあきれるウゴに、ツィーレはにこやかな笑みを向けた。
「ウゴ様、再びお目にかかれて、恐悦至極です」
「ああ====久しぶり。
===は、それやめろよ」
「ぐぬぅ、そんなぁっ!!?」
「変わらないな」
「変わりようがないだろ?」
イチノセの言葉に、肩をすくめてみせた。
生きてるかも分からないのに、何が変わるんだよ、と。
勇者(仮)一行までいて、何かをたくらんでいる顔をしている。
ウゴはサプライズが嫌いだ。
良い意味でも悪い意味でも…嫌いになった。
とはいえ、言い出しにくい。
適当に理由を付けて、さっさと帰ろうと決める。
「御主人様、ようこそおいで下さいました」
珍しく仕事モードのルムスまでいる事に驚きつつ、ウゴは顔に無表情をはりつけた。
何があってもいいように。
「それでは、いまからお兄ちゃんにお礼を言います」
子供達の笑顔と共に、住人達まで笑顔でウゴの方を見ている。
ウゴはその言葉を聞くなり、フードの下でげんなりモードになったが、頑張って無表情をキープする。
頼むからすぐに終われ。
「エストウラ王国、首都パスウェト及び周辺国家における飢饉で、多くの者が犠牲になりました。
しかし、ウゴ殿のご助力により、我々が生活を取り戻せたことに、商工会から感謝の意を表明致します」
偉そうな太鼓腹のオッサンが出てきて、深々と頭を下げた。
次々お礼を言って、入れかわり立ちかわり、「ウゴ殿〜」と続く。
気がつけば、静まり返っていた。
オッサン達の話を、まったく聞いていなかったウゴは、返事を待たれていると気がついて、ぼそぼそと「どういたしまして」と答えた。
わっと周囲が沸く。
しかし、ウゴの態度に疑問を持った者がいた。
心からの礼を言われて、その態度はないだろう?と。
勇者(仮)イチノセはウゴが醒めた態度なのが、理解できなかった。
倒れてまで人々を助けるような、そんな奴がとるには違和感しかない、淡々とした様子が。
深くかぶったフードの下は見えないが、口元が笑みになっていないのは分かる。
礼を言われるのを、当然と思っているのか?
そう考えたイチノセは、ウゴが最も嫌いな言葉を口にしてしまう。
一番、言われたくないことを。
「感謝されているのに、その態度はないんじゃないか?」
一瞬で空気が凍りつく。
それまで、まったくやる気を感じさせなかった、ウゴの雰囲気ががらりと変わったからだ。
フードの下で、歯を見せて、笑っている。
「クク……クックック………アハハハッッ」
乾いた笑いを放ち、ウゴはフードの下から、嫌悪の目でそこにいる者達を見た。
住人達はそれだけで怯えた。
冷たい氷水をかけられるような、そんな底冷えする笑い方だった。
ウゴは『威光』を使っていない。
勇者(仮)一行も、ぞくりと背筋が寒くなるのを感じた。
ルムスやソバン、ツィーレはウゴの態度の理由が分からずに、困惑の表情を浮かべている。
「…感謝などいらない、二度と呼ぶな!!」
「なんだと!何が気に入らない!感謝して礼をい……」
イチノセの言葉が途切れて、その肩に手をおく、筋骨逞しい人物を見たウゴは、苦虫をかみつぶしたような口調でつぶやいた。
「フェムト…ヒマなのかよ」
「ルムスに話を聞いて、お止めできればと馳せ参じました。
どうかお鎮まりください、何も知らぬ者達です」
「……………クソ、悪かった…帰る」
ウゴが立ち去った後も、市場には微妙な雰囲気が残ってしまった。
住人や子供達は怯え、なにがいけなかったのだろう?と不安になっている。
ウゴにぃはなんで怒ったの?口は悪いけど、ずっと優しかったのに、と泣きそうな子供達に、フェムトと呼ばれた男性が声をかけた。
「大丈夫、ウゴ様はちょっと眠たかったんだよ」
「…本当に?」
「あぁ、もちろんだとも」
「…そうだよね、ウゴにぃ、優しいもん」
「ああ」
するとウゴが暇な時は安楽椅子でごろごろしていた、と思い出した人々は、なんとなく納得した。
張りつめていた空気が弛緩して、「なんだ眠かったのかよ」とか「ウゴ殿はねぼすけか?」とか言い出した。
あとは、主役不在だがお祝いを、と酒を配り、宴会ムードになるのは早かった。
「ルウォルフェムス様、勇者殿とお仲間、使徒見習いのお二人にも、話がある」
炎赤のように鮮やかな髪を撫でつけ、同じ色の瞳を持つ美丈夫の竜王、フェムトは厳しい表情で告げた。
[弱者の神]教の神殿の一室。
テーブルにはお茶が出されているが、ぴりぴりと空気が張りつめている。
「ではまず、御主人様の怒りの原因を教える前に、自己紹介を。
我は炎赤の竜王フェルガスラムト。
八大竜王二位にして、[名も無き神]タナカ・ショウゴ様に、永世の忠を誓いし竜だ」
自己紹介を終え、精悍な30代過ぎの容姿をもつフェムトは、じろりとルムスを睨んだ。
「すべてそなたのせいだぞ、ルムス」
竜は強さこそが基準だ。
竜王筆頭のルムスを、二位のフェムトが略称で呼ぶ事は許されない。
しかしフェムトは、勇者タナカを知っている。
竜族がウゴの眷族になった経緯の発端は、フェムトがウゴを見知っていたからだ。
今は神である、「勇者タナカ」を魔王と戦えるまでに育て導いた、として全竜からの尊敬を得ているのだ。
「そなたは何十年、御主人様にお仕えしているのだ!
あの御方の唯一にして絶対の逆鱗に触れるなど、決して許されぬ!」
「…申し訳ありません」
ルムスは情けなさで、今にも泣き出しそうだ。
ウゴが禁じているとかではなく、竜は弱者である人族に興味を持たないため、基本的にかかわらない。
それなのに、フェムトが顔を出した理由。
ルムスがサプライズで、御主人様に住民達が礼をする、と言ったからだ。
止めようとしたが、ルムスは理由を聞こうとしない。
計画を聞いた瞬間に、御主人様がキレると思った。
今の御主人様が、唯一にして絶対されたくないことだ。
神の忍耐力を試す気はない。
現在の御主人様は、とても不安定だ。
最強の精神安定剤のハグベアのペグと、支えとなるホールス様がいないのだから。
フェムトは、己が知る事と憶測を交えて、説明をした。
「勇者タナカ」が、歴代において最弱の勇者であり、かつ200を超える魔王を討ったこと。
最弱ゆえの戦い方は、人々が勇者に求めるモノではなかったこと。
救った相手に、間に合わなかった!来るのが遅い!と罵られ、石を投げられ、追い立てられ、それを何度も繰り返したこと。
最後には何もかもを失い、己の命すら失い、人でなくなってもなお、人を救おうとしていること。
だからこそ、礼を言われたくないのだろうと。
人はすぐに裏切り、期待をかけ、勝手に失望する。
しかも、傷ついて助けを求める「勇者タナカ」に手を差しのべた者は、全て殺された。
最後にはすべて奪われた。
それを何十回、何百回と繰りかえせば、イヤにもなるだろうと。
「200越え?って、何かの冗談なの?」
魔法使いタノクラがぼそりと呟く。
ソバンとツィーレは顔をこわばらせて、知らなかった事を悔やんでいるようだ。
教えられていない上に、人族には「勇者タナカ」の伝承が残っていないため、知りようもないのだが。
女神官メイナリーゼも、あぜんとしていた。
ハージェルス教教会で教えられたのは、「4、5体の魔王が出現するはずなので、勇者様とレベル100を目指しなさい」で、4、50体ではなかったはず。
「そんなのウソです!」
叫ぶメイナリーゼに、フェムトが表紙が赤茶の染みになり、所々がすすけた、ぼろぼろの本を手渡す。
「かつて御主人様の仲間で魔法使いでもあった、我が友の日記だ。
少なくとも182体の魔王について、書かれている」
転移組は神の加護で会話はできても、文字を読めないので、メイナリーゼが目を通す。
古い言葉だが、ざっくばらんな書き方をされているので、訳せない事もなかった。
「…花の月28日、レベル54の狐頭の魔王を討ち果たす。
途中でショーゴが、攻撃も受けていないのに状態異常になるが、ホールス様が慰めて立ち直らせる。
いつまでたってもショーゴは泣き虫で頼りないが、あきらめる事を知らない強さは、恐ろしいほどだ。
ホールス様に下心があるのは、本人以外にはバレているのに、異世界の16歳はずいぶんとオクテである。」
メイナリーゼは所々を抜粋してくれたが、今現在のウゴしか知らない勇者(仮)一行にとっては、信じられない内容ばかりだった。
魔物の侵攻から助けた村人達に、「来るのが遅い!」と石を投げられ罵られて、泣いて謝ってショックで3日間寝込んだだの。
魔王となったため、しかたなく討ち果たした人族の親族郎党に、逆恨みされて仇として付け狙われ、毎日めそめそ泣いていただの。
助けてもらった礼をしたい、と呼ばれた祝宴で毒殺されかけただの。
しかも、学習しないのか複数回同じ目にあわされて、刺されたり、奴隷にされかけたりして。
毎晩のようにうなされて、泣きながら飛び起きてウザいので、魔物の巣窟に放り込んだだの。
辛い事があると(というか毎日)仲間の獣人に抱きついて、めそめそ泣いているだの。
連日のように殴って全身の骨を折り砕き、回復させ殴り、無理矢理レベルアップさせているだの。
毎日毎日メソメソべそべそ泣いている、だの。
内容がヒドすぎる。
勇者ってなんなんだよ?とイチノセは黒い腕輪を見る。
「お前等が何もかもどうしようもなくて、絶望した時に助けてやる」と言われた。
だが、俺は違う、とイチノセは思う。
これまでに出会った人々は、イチノセ達を敬愛してくれた。
今までのウゴの不遜な態度を見れば、敵ができてもおかしくない…だろう?
この日記に書いてある事が本当ならば、人間不信でもおかしくない。
というか、男のくせに泣きすぎだ、とイチノセは感じてしまう。
礼を言われれば嬉しいに決まってる、という自分の意見を変えるつもりはないが、言い過ぎてしまった。
謝らないとな、とため息をついた。